武田知弘『生活保護の謎』

掲題の新書は、生活保護という日本の制度が、今、どういった状況にあるのかを、現場レベルで、丁寧に説明してくれている。多くの日本人が知らないだろう、かなり、細かい部分まで説明されている。
日本の有識者は、よくセーフティーネットという言葉を、水戸黄門の印籠のように使う。なにか困ったことがあると、それは「セーフティーネット」でなんとかなるんだから、みたいな。しかし、これが、日本において「生活保護」のことであることを、どこまで、理解されているのかは不明だ。
日本には、セーフティーネットは「生活保護」しかない。つまり、この「生活保護」を受けられなかったら、

  • 飢えて死ぬ

のだ。ところが、そういった有識者に限って、セーフティーネットなどまったく関係ない「セレブ」な生活をしていて、具体的に日本の「生活保護」がどういうものなのかも分からずに(そりゃそうですよね、だって、「生活保護」なんて絶対にお世話になることのないセレブな生活をしているから、そんな「えらそうな」所から発言できるんですからね)、セーフティーネットとか言っているんだからお笑いだ。
私にとって不思議なのは、こういった「セレブ」が、日本はこれから格差がどんどん開いていって、生活デバイドが深刻になるのは

  • 避けられない

とか言って、なんか「世の中の真実」でも言った気になって、悦に入っているのは、なんなのだろう。こういった連中って、

  • それを避けるように、みんなで努力しよう

と言いたくない、ってことなんですかね。だって、「避けられない」って

  • 言い切っちゃって

ますからね。無理なら、努力したって無理なんでしょ。やる気がないんでしょ。
なんか変な気がしてきませんか。
こういう人って、本当は、そういう「格差」が心地いいんじゃないんですかね。だって、そういった「格差」があったって「セレブはセレブ」なんですからね。自分の生活が脅かされない限り、上から目線で、

  • 評論家気どり

をしていれば、だれにも文句を言われない。いいですね「セレブ」って。
話を戻すと、大事なポイントは、日本のセーフティーネットは「生活保護」しかない、というところにある。つまり、こいつの網にかからない限り、それは、なにも「セーフ」じゃない、ということなのだ。
簡単に、その制度の概要を列挙すると、

  • 収入が基準以下:例えば、都心部の一人暮らしの健常な50歳の男性なら、収入から家賃を差し引いて月8万1610円以下の収入であれば、受けられる。
  • 資産(預貯金、車など)が基準以下:預貯金は、生活費の半月分以下。
  • テレビ、エアコンは原則OK(パソコン、ケータイはOKの場合も。自動車は原則はNG)
  • 家はローンが残ってなければOK
  • 住民税、国民健康保険、医療費自己負担分、国民年金、水道料金など、免除
  • 借金の返済に使えない

(預貯金が、生活費の半月分というのは、どう考えても、非現実的としか思えないわけですが(だって、そこまでしかなくなっている人は、もうすでに「ギリギリ」でしょう。そんな追い込まれてから審査して救いましょう、っていうこと自体が、現実離れしている)、まあ、これがこの制度の文言上の欠陥といったところなのでしょう。多くの場合は、ある程度は、タンス預金などで回避しているということらしい。)
こうやって眺めてみると、この制度が「憲法」の「必要最低限度の文化的生活」の保障を非常に意識した内容になっていることが分かるだろう。
だから、原則として、車をNGとしていても、地方などでは、どこに行くのだって、車がいるし、特に地方で仕事をしようとしたら、車は必須になってくる。そうなると、「認められる」でしょう。それが、「原則」という意味なわけですね。それは、パソコンやケータイも同じ。
これで、自分の今の収入との差額をもらえるわけで、そう考えると、どう思われるだろう。いわゆる、ワーキングプアとか、路上生活者とか、ネットカフェ難民とか、みんな貰えるわけだ。
(ちょっと気持ち悪いのが、借金のある場合で、これが、今の制度の欠陥と言えるだろう。つまり、借金がある「から」、生活保護を受けられないわけではないが、借金の返済には使えないのだから、なんらかの借金ありの場合の、制度上のパッチ当てが必要そうには思いますね。)
では、まず、私たちが「生活保護」をお願いしたいな、と思ったとしよう。なにをすればいいか。実は、非常に簡単なのである。

しかし役所がいくら申請させまいとしても、当人が頑として申請をすれば、それは必ず受理されるのだ。たとえば、申請書がなくても、便箋一枚にでも「生活保護を申請する」という旨を書いて役所に提出すれば、生活保護は受給できるのだ。多くの市民はこのことを知らない。

これだけでいい。というと驚くかもしれないが、よく考えてみると、当たり前なのである。だって、「憲法」で保証されている権利なのだから。

しかし、生活保護の申請に関しては、弁護士は無料でやってくれる。これは、各地域の弁護士会が申し合わせて、生活保護の弁護士費用については無料にすることにしているのだ。各弁護士は、生活保護の申請を代行してやった場合、弁護士会から報酬のようなものが支払われることになっているので、弁護士としても損はない。だから、気軽に相談すればいいのである。

こういうわけで、とりあえず弁護士の組合みたいなところに、なんとかお願いすれば、というふうに

  • 使える感

がわいてこないだろうか。
よく考えてほしい。
上記でも言ったように、私たちが、

この日本で、「セーフティーネット」にすがりたいと思っても、この「生活保護」しかないのだ。これで、なんとかするしかないのだ。どんなに使い勝手が悪かろうが、これを、どうにか駆使して、私たちは生きていくしかない。だって、

  • これしかない

のだから。
では、ここで論点を社会システムに移行してみよう。近年、なぜ「生活保護」は問題視されているのか。

生活保護の費用は、4分の3は国が出し、4分の1を地方自治体が出しているのだ。地方が負担している4分の1は、国から出されている地方交付税で賄われているという建て前になっている。
しかし、生活保護費に関しては無条件に国から支給されているわけではなく、「地方交付税の中で賄ってくれ」という話にすぎない。そのため、生活保護費が増えれば、自治体の財政は圧迫されることになる。

これを見て、あれ? と思った人はセンスがある。つまり、そもそも、貧しい自治体は、「生活保護」を支給

  • できない

ようになっているのだ。つまり、国家は最初から、貧しい地方自治体では「生活保護」ができないようにしておいて、

と「嘘」をついている、ということになっていることが分かるだろう。
もし、地域共同体がセーフティネットの担い手にするなら、それが可能になる制度になっていなければ無理であろう。ということは、ようするに、国家はセーフティネットをやる気がない、ということを、示している、と言える。
また、上記の整理から予想できるように、実は、生活保護のほとんど(半分以上)は「医療費」に消えている。

生活保護受給者の医療費というのは、前述したように全額が生活保護費から支給される。医療機関にとってみれば、請求すればした分だけ、自治体が払ってくれるということだ。受給者にとっても、まったく負担感はない。だから、どれだけ診療費がかかろうとおかまいなしである。

つまり、医者は生活保護者を捕まえておけば、いくらでも稼ぐことができる。そいつの病気をなんとでも、みつくろって(だって、その人が病気であると決めるのは、医者その人なのだから)、ずっと薬を与え続ければいい。
(大阪の橋本さんは、逆に、病院自体の収支をチェックすることで、過剰な支出を抑えようとしているみたいですけどね。)
生活保護」のもう一つの欠点は、「そもそも、働かない方が得じゃねえのか」というところにある。つまり、働いて稼ぎが少しでもあると、その分を、支給額から、天引きされるから、働こうというモチベーションが、そもそも、上がらないようにできている。

もし、生活保護受給者が、新たに仕事をはじめても、その収入分を削るのではなく、一定の貯金ができるまでは生活保護の支給額を削らないなどの処置をとれば、働こうと思う生活保護受給者はかなりの程度増えるはずである。詳しくは後述するが、欧米などでは、実際にそういう制度が取り入れられている国もあるのだ。

どうだろう。
こうやって、ここまで見てきて、素朴に思わないだろうか。

  • 国ってバカなんじゃないだろうか?

確かに、憲法に「必要最低限度の文化的生活の保障」と書いてあります。だから、国は、それに相当する「生活保護」という制度を作りました。だって、そうしなかったら、法治国家じゃないですからね。
しかし、そうやって、出来上がっている制度は、あまりに、お粗末に思えないでしょうか。
上記の、働くことにモチベーションが上がらない点なんて、その典型でしょう。なんで、こんな制度のまま、変えようとしないんですかね。

  • やる気あるんでしょうか?

これをやるために、給料をもらっている人がいるんだと思うんですけどね。
本気(マジ)で、ある国民が「貧困」に直面した場合のことを、イメージして制度を考えているんでしょうかね。

  • ある国民が仕事が見つからない。貯金もどんどん減っていく。
  • 小さい子供を抱えて、離婚をしたので、一人で働きながら育てていかなければならない。
  • ある怪我をしたために、当分は働けなくなった。その間、貯金でしのがなければならない。

はい。憲法の「必要最低限度の文化的生活の保障」は、この場合、どういった

  • 制度

によって、担保されるんですかね? 具体例で示してもらえませんかね。

  • どうやればできるんですか?

まあ、なんにも考えてないんでしょうね。憲法なんて守る気ないんでしょう。守らなければならないとも思ってないんでしょう。日本の借金に比べて、これ以上の「生活保護」受給者が増えたら、国家財政がもたない。どうやって、国民にセーフティネットを受けさせないで、そのまま死んでもらえば、国家財政を救済できる、とか。
そんなことしか、考えてないんでしょうね。
だから、格差社会運命論みたいなことを、平気で言えるんでしょうね orz。
つまり、もっと真剣(マジ)に、セーフティネットのことを考えた方がいいと思うんですけど。だって、

  • 貧困

って、自分がもし、そうなったらって、考えてみれば分かるでしょう。貧困って、本当に大変な事態ですよ。そしてこれは、急に来るわけじゃない。徐々に、貧困に近づいてくる。精神的に追い詰められてくる。精神的な余裕がなくなってくる。そんな、
ギリギリ
で、ネットにかかれば、なんとでもなる、って簡単じゃないでしょう。

アメリカには勤労所得税額控除(EITC)と呼ばれる補助金がある。
これは収入が一定額以下になった場合、国から補助金がもらえるという制度である。EITCとは Earned Income Tax Credit の略である。課税最低限度に達していない家庭は、税金を納めるのではなく、逆に還付されるという制度で、1975年に貧困対策として始まった。
年収が1万ドル程度の家庭は、40万円程度の補助金がもらえる。これは子供を持つ家庭だけに限られる。また片親の家庭では、現金給付、食費補助、住宅給付、健康保険給付、給食給付などを受けられる制度もある。イギリスやフランスにも同様の制度がある。
このように、アメリカは貧しく子供のいる家庭は、手厚い公的扶助を受けられる。
またアメリカは子供のいない健常者(老人を除く)などに対しては、現金給付ではなく、フードスタンプなど食費補助などの支援が中心となる。現金給付をすると、勤労意欲を失ってしまうからである。
フードスタンプとは、月100ドル程度の食料品を購入できるスタンプ(金券のようなもの)が支給される制度である。スーパーやレストランなどで使用でき、酒、タバコなどの嗜好品は購入できない。1964年に貧困対策として始められた。
このフードスタンプは申請すれば比較的簡単に受けられる。日本の生活保護よりは、はるかにハードルが低い。2010年3月のアメリカ農務省の発表では、4000万人がフードスタンプを受けたという。実に、アメリカ国民の8人に1人がフードスタンプの恩恵に与っているのである。

まあ、この制度があったら、生活保護を受けられなくて、「おにぎりを食べたい」と言って、飢えて死んだ方は救われたんじゃないんでしょうか。
ここで言っていることは重要で、言わば、「アメリカ国民の8人に1人」は「生活保護」を受けている、と同等のことをやっている、と言える、ということでしょう。

欧米では、ホームレスの支援をするとき、もっともオーソドックスな方法は、国籍を取らせることである。国籍さえ取れば、国の保護を受けられるからだ。つまり、欧米のホームレスのほとんどは、自国の国籍を持たない、不法移民、不法滞在者なのである。正真正銘の自国民が、これだけ多く路頭に迷っているのは日本だけなのである。

じゃあ、なんで日本では、それができないんでしょうか。
日本の論壇では、あい変わらず、年寄り批判をして、若者の権利保護を訴える議論が多い。しかし、そういう人は、そもそも、日本の年寄りこそ、

であることを分かって言っているのだろうか。

高齢者のすべてが豊かではなく、豊かな人は突出して豊かだが、貧しい人は他の世代に比べて著しく多いのである。つまり高齢者というのは、各世代の中でもっとも貧富の差が大きいのだ。

例えば、日本には年金制度がある。しかし、これで老後は

  • 安心

と思っている日本人が一人としているのだろうか。それは、日本の年金が破綻するとか、そういうこと以前に、これって、

じゃないでしょう? ただの金融商品じゃないですかね? だから、お金持ちはすでに「安心」なんだから、大金がもらえようが、そもそも「福祉」の対象じゃないし、貧乏人は、大金を賭けられないから、苦労しているわけですし。

その一方で、日本の年金制度は、高額所得者にとりわけ有利になっている。以前、日銀の総裁が年金を年間800万円以上もらっていることが話題になったが、日本の年金は掛け金が大きい人はそれに比例して年金がもらえるので、年金の高額所得者はかなりいるのだ。65歳以上で、年間700万円以上の所得がある人はなんと400万人もいるのだ。
掛けた金額に応じて支払われるのであれば、それは「公的年金」としての意味がない。極端な言い方をすれば、これではただの金融商品である。公的年金というのは、老後の不安を解消するために社会全体で資金を拠出し、生活に困っている人に厚く、困っていない人には薄くするのが当たり前なのである。
しかし、日本の年金は「公的年金」としての機能をまったく果たしていない。だから、年金だけでは食えない人が続出しているわけである。

なんか、本末転倒していますよね。どうして国家は、

  • どんなことをしても、国民を貧困にさせない。一人として貧困な国民がいないようにする。

と言えないのかな。

他の先進国は、年金の面でもさまざまな工夫をして、低所得の老人のケアを行なっている。たとえば、ドイツでは年金額が低い(もしくはもらえない)老人に対しては、社会扶助という形でケアされることになっている。日本の生活保護のように一律の支給ではなく、その人の貧困具合に合わせて、家賃の補助、住居の提供、食費、光熱費の補助などが行なわれるのだ。
また、フランスでも、年金がもらえないような高齢者には、平均賃金の3割の所得を保障する制度がある。イギリスにも同様の制度がある。

早い話が、もっと「柔軟」に運用できないのかな。例えば、ある人が貧困に近づいているなら、カウンセラー的な人がアドバイスをする。そして、その人が自立に近づいている方向に、さまざまな納税の義務などを免除したり、必要なものを買ってやったりするなど、

  • 超法規的

に「さえ」福祉をやることで(それぐらいの「権限」をカウンセラーに与えることで)、後押しすれば、いずれは、その人は、たくさん税金を払ってくれるかもしれない。
もっと、国民一人一人の事情に合わせて、なにに困っているのかを聞いて、その事情の深刻さに合わせて、どんどん、税金を免除したり、必要な食券を提供したり、していくような、

  • 「カウンセラー」社会

を実現していければ、そんなに膨大なお金が必要ということもないように思うんですけどね...。

生活保護の謎(祥伝社新書286)

生活保護の謎(祥伝社新書286)