地方への忸怩たる思い

地方は、完全に自動車社会になっている。それは、言わば、「彼ら」が望んだとこであったのだと思う。もちろん、こういった言い方が、なんらかの彼らの真実を言い当てている、と言うつもりはない。
しかし、私が言いたいのは、事実として、地方は自動車をもっていることが前提に、今の

  • 自生的秩序

が形成されてきたのだろう、と言っているわけである。基本的に、あらゆる、ショッピングは、国道沿いや高速道路沿いに作られ、JRの駅前の、衰退ぶりは、顕著だ。
車とは、人々の「足」を、非常に高度に発展させたものだ。車があれば、多少、足腰の弱った老人でも、かなりの遠出が容易にできる。
そして、地方のもう一つの大きな特徴が、一軒家の多さであろう。田んぼや畑の多くは潰され、そこには、道路やマイホームが建てられる。
地方において、車によって、ベッドタウンと化している郊外に、マイホームを建て、車で会社まで行くと今度は、会社から、作業場まで、車で向かう。つまり、地方は、車が前提とした「経済単位」になっていることを意味する。
(一点、地方の利点を指摘するなら、そこに、親世代がいることだろう。つまり、年金生活をしていて、基本的にやることのない彼らの家に、自動車で、子供を連れて行き、子供の世話をしてもらえばいいんじゃないか、と...。)
しかし、思うことは、どうして、それが「前提」であることが、自明なのか、ということだ。
言うまでもなく、東京で車を持っている人は少ない。それは、そういう街作りをやってきたからではないのか。
なぜ私は、この「地方」の「車社会」化にこだわるのか。それは、車が巨大な「インフラ」に依存した「インフラ」だからであろう。
地方は一見すると、仕事も少なく、暮すには厳しそうに思うかもしれない(だから、多くの人が都会に出てくる)。しかし、ということは、このことは、逆も真なわけだ。
つまり、じゃあ、なぜ今地方にいる人たちは「そこ」で暮せているのか。それは、たとえ給料が少なくとも、仕事を確保できているからであろう。それは、親戚をたどる「コネ」が直接のきっかけだったのかもしれないし、そうでないかもしれない。
いずれにしても、むしろ、なぜ、地方が活性化されないかは、単純に、交通が不便だからじゃないのか。
私がグローバル化をアイロニカルに考えざるをえないのは、そもそもそこに、「インフラ」のアイデアが、どこまで組込まれているのか疑問だからだ。
世界の最貧困国に工場をもって行くとしよう。もちろん、人々の給料は安い。しかし、

  • 電気
  • 水道
  • 道路
  • 運輸

こういったもろもろはどうなっているんですかね。まあ、足りないとしましょう。実際、現地の人は、ずっと素朴に生きていたんでしょうからね。
じゃあ、どうするか。作るしかありませんよね。ここに、工場を作るって決めたんですから。
しかし、もし、そういったインフラを、その工場を作りたい企業が自分で作ったら、ペイしませんよね。せっかくの、安い労働力があっても。
じゃあ、どうするか。言うまでもないでしょう。現地の国に作らせる。そう言って、勝手に作ってくれたら嬉しいですよね。しかし、作ってくれなかったら、どうしたらいいのか。この場合に、一つ、スーパー大逆転の方法がある。
日本国家に、ODAなどの屁理屈で、この国に作らせるわけだ。
そうすれば、一見すると、その国のその地域は、発展するんだからいいじゃないか、と思うかもしれない。しかし、発展とは、

  • 既存のシステムの破壊

のことではないのか。じゃあ、そういった企業が、「もっといい条件を見付けた」と、この地域を

  • 捨てた

らどうなるのか。ODAの借金はどうなるのか。昔の、それなりの秩序のあった、コミュニティは元に戻るのか。

  • ただ破壊しただけじゃないのか。

(例えば、ある食料や、家畜の餌を、遠い彼方から、船やトラックで運ぶとする。そうした場合、その船やトラックの値段、運搬に使われるガソリンが、どれだけの「価値」なのかは、クリティカルなはずだ。しかし、もし国の政策により、ガソリンの価格が「インフラ」として、低く抑えられていれば、

  • 食料の遠方からの運搬

はミニマムに低く抑えられる。しかし、よく考えると、そのガソリンの値段の低さが、どこまで「自明」かは疑問だ。しかし、もし、それらの食料を「家の裏庭」で育てていれば、「ガソリンは不要」であることは、理解されるだろう。)
同じようなことを、日本の地方についても考えたりする。
一見すると、のどかな平和な印象を受けるかもしれない。
しかし、そのモビリティは、自動車に依存し、つまりは、石油がなければ、

  • 絶対に成立しない

システムになっている。石油がもし、高騰したら、地方の自動車社会は、いつまで、維持できるのか。私は別に、仕事で、どうしても必要な「作業車」について、どうのこうのと言っているわけではない。こういったものは、どんな時代でも調達しないわけにはいかない。
しかし、そうでなければ、あとは、

  • 都市設計

の問題なんじゃいか、と思わずにいられないわけだ。つまり、自動車に依存しない都市作りを、各地域で考えないのだろうか。そんなことは無理だと思っているのだろうか。だとするなら、なにか寂しい感覚を覚えざるをえない。
次々と、農地を潰し、マイホームに変え、でも、そこまでして、マイホームは必須なのか。アパートでいいんじゃないのか、と思わなくもない。
そういった意味で、私には、地方は魅力を失った地域に思える。つまり、地方はどこか、

  • 身の丈

に合っていない印象を受けるのだ...。