片岡剛士『円のゆくえを問いなおす』

日本経済の問題が、「デフレ」であると語られて、久しい。失われた20年から、はて、何年たったであろうか。

リーマン・ショック以降、わが国は急激な円高に見舞われました。
ドル/円レートでみると、2011年は過去最高値を更新し続けた年でもあり、10月31日には一時1ドル=75円32銭をつけます。後でみるように、やや円高は沈静化したとはいえ、2012年2月時点の実質実効為替レートはリーマン・ショック直前期と比較して23・8%もの円高となっており、先進国のなかでは突出しています。
一方で、政府は3度の為替介入に加えて「円高対応緊急パッケージ」や「円高への総合的対応策」といった対策を打ち出しました。そして日本銀行は金融緩和を打ち出しています。2012年2月半ば以降、ドル/円レートはやや円安にふれ、3月末には1ドル=83円台で推移していますが、米国FRBL(連邦準備制度理事会)がQE3(量的緩和第3弾)に踏み切る可能性や欧州財政危機の深刻化といったリスクを考慮すると、未だ為替レートの動向は予断を許さない状況です。

リーマンブラザーズのサブプライムローン破綻から、欧州危機を経て、日本の円高が止まらない。
よく考えてみると、日本の円は、ゆるやかだったとしても、ずっと円高が進んできた。固定相場制の360円から、今では、78円ですか。一時は、75円までいった、と。
しかし、円高は、歓迎すべきことなのか? いろいろと困ったことなんじゃないのか? だったら、だれか、

は、この円高をなんとか止めようと、立ち上がらないのか?
しかし、あまりにも長い間、円高基調が続いているからだろうか。しまいには、この円高トレンドを、まるで、

  • 運命

のように語る「お悟りボーイ」が現れ始める。

いうなれば、これはジレンマとも言ってよい状況です。広く指摘されている議論をみると、このような「円高は対外要因に基づくから仕方のない、運命的な現象である」「仕方のない現象だから、進む円高を耐え抜き、強い日本経済を作るにはどうしたら良いかを考えるのが望ましい」、最近では影を潜めているようですが「円高は日本の国力を反映した結果である」といった議論も散見されます。

(「思想」とは「悟り」のことだと考えれば、「思想」を「持った」時点で、その人は、

  • 考えない

ということを宣言したのと同然だと言えるだろう。お金持ちにとって、お金持ちを優遇する「屁理屈」について、考え続けることは危険です。なぜなら、必然的に、そこからは「金持ち優遇への疑問」が噴出してくるからです。だから、

  • 金持ち優遇「思想」

を「悟った」ら、光の速さで「思考停止」をする。自らに刷り込むために、
他人を怒る
わけだ。世界の中心で「ケシカラン」を叫ぶ、と。

レーヴィットならこう言うはずである。「懐疑的に哲学するとは求めること、問いつつ探究することを通して可能な答えの範囲を廻ることを言うのであって、啓示された真理を確信することではない」、と(『知識・信仰・懐疑』)。哲学の目的は知ろうとすること、知るために探究すること、何が正しいかと問うことであって、信ずるのは宗教の領分である。すなわち、「<非知>に向かって還流する」のはあくまで信仰の課題であり、思想的・哲学的な知にとっての課題ではない。似たようなことをラカンはこう言う。「説明のあるところにしか科学的構造はない。了解はあらゆる種類の混乱に道を開くのである」「もし私が了解してしまったら、私はもう解ってしまったのだから、私は了解したままで、そこに留まって思案することがない(...)了解したときに間違うのだ」(『精神病』)。
レーヴィットの「啓示された真理を確信すること」も、ラカンの「了解」も、根拠のないまま納得し、理解したつもりになるという錯誤的な心理を意味している。レーヴィットにとって「確信」は信仰の水準にあり、ラカンにとって「了解」はパラノイアの水準にあるが、信仰というものが多かれ少なかれパラノイアックな傾向を持っている以上、煎じ詰めればさしたる違いはないとも言える。

吉本隆明『共同幻想論』を解体する―穴倉の中の欲望―

吉本隆明『共同幻想論』を解体する―穴倉の中の欲望―

そもそも、えらそうに、分かったようなことを説教してる時点で、そういう奴って、キモいし、ウザいし、まあ、友達にはなりたくねえ、ってわけだ orz。)
もし円高が、アメリカと欧州の「地域的問題」だとするなら、なぜ、日本「以外」の国々は、日本のように、通貨高になってないんですかね。なんで、日本

  • だけ

が、通貨高に苦しんでるんですかね。
お金持ちたちが、今以上にお金持ちになり、貧乏人たちが、今以上に貧乏になるのは「しょうがない」「歴史法則」「運命」。なんと言おうが勝手だが、こういったことを言っている連中は、そもそも、

  • セレブ

な、ご身分であらせられて、

  • お金持ちたちが、今以上にお金持ちになる

その「お金持ち」の側の人たちですからね。なんのことはない。むしろ、そうなることを

  • 望んでいる

だけなわけでしょう。そりゃそうだ。貧乏人がもっと貧乏になれば、

  • 必然的に

お金持ちはもっと裕福になる。そういうように「パイの配分」はできてるんだからね。だから、彼らは貧乏人が飢えて死にそうになっているのを見ているのが楽しくて楽しくてしょうがない。貧乏人が一人飢えて死ねば、その人に必要だった福祉のお金は、お金持ちの「減税」に回せる。よかったね、お金持ちさん、貧乏人が死んで。
正直に言えばいいじゃないか。

  • 貧乏人を殺して、お金持ちになりたい

って。だって、そういうことなんだろ。貧乏人が死ぬ「から」、お前はお金持ちなんだろ。税金を取られなくてすむんだから。

経済成長とインフレが進むことで名目金利が上昇して、それが円高につながるのであれば、円高をことさらに懸念する必要はないのかもしれません。しかしながら、わが国の現状はデフレであり、このようななかで円高が進むことがともかく望ましいという考え方は、デフレ予想が円高につながり、円高がデフレをより強固なものにするという現状にあっては非現実的と言えます。

「過度な円高」が持続すれば、輸出産業の収益性は悪化するため、輸出産業は対外直接投資の拡大や国内雇用の削減といった形で収益性の悪化を食い止めようとするでしょう。さらに輸出産業の収益性の悪化は、輸出産業が比較優位産業であり、高生産性産業であることを考慮すると国全体の生産性の低下にも結びつきます。

よく、円高になれば、消費者は海外のいいものが安く買えるとか言うけど、しかし、これを「素直」に受け取るとしたら、あまりに、ナイーブな学生さん、ってことだろう。
今日、円高だからって、今日、安売りしてる小売店が、一体、どこにあるのか。儲けているのはいつも、この「差額」を「ハゲタカ」しまくる、輸入業者たちであり、つまり、末端の消費者が、その恩恵を受けると考えることの方が、どうかしているだろう。
だって、もし円高で、海外製品が相対的に安くなっているなら、

売ればいいではないか。輸入業者で「カルテル」を結んで。
こうして、日本国内に、企業はなくなる。
日本国内では、だれも、なにも、作らない。
それでいいのか?
もしも、本当に、今の円高が日本の国際的な価値を反映しているのならば、しょうがない、と言えるのかもしれない。もしも、そんな価値が日本にあるのなら、ですよ。
しかし、そんなものが、本気で「ある」と考えている人って、どうかしているでしょう。
だって、明らかに、日本の国際的な発言力は、衰えているじゃないですか。国内のメーカーの衰退に比例して。これのどこが、「国力の増大」なんですかね。
なんて言いますかね。そもそも、金融システムって、日本が金本位制から固定相場制から、今の変動相場制に移行した時点で、絶対に無視できない、国家存亡の「手段」なんでしょ。
あらゆる、手練手管、マキャベリ的権謀術数を使ってでも、

  • 「身命を賭してでも」日本を絶対に円高にしない

ということを、宣言して、日本の梶取りをしてくれる人は、どうして現れないのかな。
だって、日本以外の国は、普通に「デフレ脱却」の「インフレターゲット」などの「強力」な施策をやってるんでしょ。だから、デフレの脱却に成功してるんでしょ。
それに比べて、日本は国力が大きいんだから、もっと、ラディカルに効果的にやんなきゃいけないことは、掲題の本が、実証的に証明している通りなわけでしょう。
それなのに、なんか、本気(マジ)で、やる気があるんだか、なんだか分かんないような、ことを、ずっと続けて、少しも

  • 本気さ

が感じられてこないんですけどね。なんなんでしょうか。
やっぱり、アメリカ様の陰謀論ですか。アメリカが日本を「使いたい」と言ったら、逆らえないんですかね。
そもそも、なんで、こんなに日本に、原発が増えたのかって、ようするに、アメリカで原発がずっと作れなかったから、なんでしょ。
アメリカが定期的に世界で戦争をしてきたのが、国内の武器製造会社が、在庫一掃セールをやるために、政府を動かしてきたんだと。
まったく、同じ構造だと。
こういったインフラは、一度作られたからといって、製造する会社は、ずっと、定期的に「仕事」がなければ、会社を維持できない。
ところが、アメリカの原発はスリーマイル事故から、まったく作れなくなった。じゃあ、どうするか。
日本に日本国内に原発を作ると言わせて、その

  • 公共事業

を、そういったアメリカ企業に「回せば」彼らの食い扶持は確保される。
しかし、日本国内が、福島第一の事故で、今後原発の立地が難しくなった。そうすると、今度は、アメリカは日本に、

  • ODAで、日本は日本以外の国に原発を作らせ、その「公共事業」を、アメリカの企業に廻せ

と、圧力をかけてくる。
アメリカにNOと言えない、この国は、たとえ国内の原発立地はあきらめたとしても、原発の海外輸出は、あきらめない、というわけだ。
(もちろん、これを「陰謀論」と、トンデモ扱いするなら、態度で示してほしいものだね。原発を日本にもう作らないし、外国にも輸出しない、って。)
同じように、アメリカは、日本の「デフレ」によって、アメリカ国内の企業を助けられる。じゃあ、アメリカにとっては、こうやって、日本が「没落」し続けてくれることが、アメリカの国内政治的には、助かるというわけだ。
なぜ、日本のデフレは終わらないのか。
その、第一義的な理由は、当然、日本の

  • 金融政策

にある。そうに決まっている。なぜなら、「そのため」の金融システムなのだから。こういった場合に、金融システムが「なんとかする」からこそ、変動相場制なのだ。そうでなかったら、

  • なんのための金融システム

なのか。アメリカに脅されたら、もう、言われるがまま、か。本気で、国家の「意志」を示そうという気概はないのか。
よく考えてみてほしい。
こうやって、国内企業の衰退が続けば、一体、誰が割を食うか。
言うまでもない。
若い働きざかりの労働者にきまっている。

デフレは、雇用者・企業・政府にとどまらず、年金を受給する高齢者にも影響を及ぼします。デフレが生じてから長い間、年金の名目給付額はデフレに応じて減額されるという物価スライドも適用されることはなく、さらには年金制度の加入者数の減少や平均寿命の延びを加味した年金給付の削減(マクロ経済スライド)も実施されることはありませんでした。これらはデフレを加味した実質年金給付額が増加するという形で年金受給者に有利に働きます。一方で現役世代にとっては負担増につながります。

なぜ、お金持ちのお年寄りたちは、この事態に文句を言わないか。なぜなら、彼らは、どうせ、もう、企業では働けないからだ。もう、退職して、年金生活を始めているから、どんなに、国内の企業が元気になっても、彼らが、労働を売って、お金を増やすことはない。
そもそも、彼らが今まで稼いで集めたお金を増やすのに、どうして、国内企業かどうかなど関係があろうか。彼らは、たとえ、どんなに「売国奴」的に、他国の企業に投資しようが、それが彼らの「財テク」なのだから、なんとも思わない。むしろ、日本を貧乏にすることで、自分の投資が成功するなら、

  • 喜んで

悪魔に魂を売る。
こうして、若者は、お金持ちお年寄りの「エゴイズム」によって、自らの労働力を売って、お金を「貯める」

  • 機会

を奪われる。
はっきり言えることは、日本の円高を止める気のない、日本の「労働」環境の改善に、反して行動する連中は、

  • 若者=労働者

の「敵」だということであろう。若者が夢をもって働いて、お金を稼げる社会を目指すことに反して行動する政治家や学者に、本気で人々が「敵対」しない限り、日本の「没落」は止まらないのだろう...。

円のゆくえを問いなおす―実証的・歴史的にみた日本経済 (ちくま新書)

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