なぜ人々は民主党政治の総括をしないのか?

今回の選挙の結果が、どうなろうが、明らかに、おかしかったのは、民主党が、なぜ「脱官僚」や「政治主導」の、看板を下げたにもかかわらず、まったくそれについて、説明(反省=アカウンタビリティ)をやらないのか? であろう。つまり、それなりに頭のいい、長年、政治家をやってこられた方々が、国民に向かって約束をしていたことにもかかわらず、その看板を下げて、平気の素振りなわけで、
つまり、民主党は「だんまり」を決めこんだ。
しかし、それは、おかしくないか?
だって、なぜ、国民が民主党に投票したのか、を考えれば、民主党が政権をとれば、それまでの自民党にはできなかった、「脱官僚」や「政治主導」を実現することによって、今までの日本の政治を変えるのを妨げていた、官僚を抑え込むことによって、日本の政治を変える「から」、今よりも政治が良くなる、と思えたからであろう(むしろ、その公約を「無茶だった」と、公約の方を「愚か」だったとか自分で言い始める始末なわけで、じゃあ聞きたいのだが、それで、どうやって今回の選挙で勝とうと思っているわけ? なにで、国民を説得するの?)。
たとえば、民主党が、まず行ったものが、「事業仕分け」であったわけだが、よく考えると、これは変だった。なぜなら、このことによって起きることは、ようするに、「財務省」にとって、ありがたい政策だったからだ。これによって、各省が「節約」を行うようになることは、財務省にとっては、願ってもないことで、だとするなら、それのどこが、
政治主導
だったのか、ということであろう。つまり、民主党は、「脱官僚」「政治主導」を行うのではなく、

  • 財務省「側」につく(味方になる)

という「選択」をしたことしか、意味していなかったのではないか。そう考えたとき、民主党が、「消費税増税」を言い始めることは、時間の問題であったのであろう(民主党が、選挙に敗北し「ねじれ」国会を生み出し、政策が進まなくなったことが、あらゆる「原因」だという議論があるが、そもそも、その選挙直前に、消費税増税を指唆したことによって、敗北したことを思い出すなら、その「原因」は逆で、民主党
官僚(財務省)主導
を選択した「から」、選挙前だろうが、「消費税増税」と言わないわけにはいかなくなった「から」、選挙に負け、「ねじれ」国会になったわけであり、どっちにしろ、「脱官僚」「政治主導」を期待できたわけではない、ということになるのではないか)。それ以降、民主党政権運営に、初期の頃に持っていた

  • 革命性

は、著しく減少していく。非常に、以前の自民党と似たような主張が多くなり、事実、政権運営は、自公との、大政翼賛会的な政権運営が続くようになる。
そのように考えてきたとき、民主党が、野田首相になって、消費税増税を強行し、多くの離党者をだした時点で、民主党は、結党した当時とは、

  • 別の党

になった、というふうに国民から見られていることについての、アカウンタビリティも、ほとんどなかったな、ということだろうか(もともと、考えの違う人たちを内部に抱えながら、民主党政権になってから、一年ごとに、総裁選挙を行ったことで、どちらにしろ、いつかは、民主党政権になった時とは「違った思想をもった人」が、総裁になり、民主党を「別の党」に変えることは、目に見えていた、ということなのかもしれない)。
しまいには、民主党は今回の選挙で、

  • 純潔主義

という、訳の分からない戦法をとるようになっている。
野に下った、保守政党である自民党が、政権を奪還するために、あらゆる、国民のナショナリズム的感性の琴線に触れるような「飴玉」を主張してくることは分かっているわけで、実際に、自民党は、言ってみれば、「バラマキ」をやって、皆さんの懐を潤す、緊縮政治の「打倒」を主張してくることは、分かりきっているわけで、それなりに国民の「期待」に応えようと、無茶なことを言ってくるわけで(もちろん、長期一党独裁の頃には言う必要のなかった「サービス」まで、なりふり、かまわず言ってくるわけで)、
つまりは、
強敵
なわけでしょう。
そういった相手に、小選挙区で勝とうとするなら、リベラル勢力の結集は不可欠なわけで、なぜ、民主党は、自民党以外の政党と選挙「協力」を、できなかったのか。
野田首相を別の人に変えて、消費税増税をより遅らせるリベラル野党の主張をより取り入れて、より積極的な、脱原発のシナリオをリベラル野党と合意して、緩やかな、リベラル勢力の結集を目指そうとしなかったのか?
野田首相党首討論で、解散を宣言する直前に、そんな雰囲気もあっただけに、つくづく、政治は水物ということなんですかね orz。