水島治郎『反転する福祉国家』

掲題の本は、オランダの、現代政治の近年の、二つの側面、

が、実際のところ、深く結びついているのではないのか、という分析となっており、これらが日本の政治の近年の右寄りの傾向とも関係しているように思われ、興味深く読ませられる。
オランダは「大陸型福祉国家」と呼ばれ、カトリックを中心とした、家族を中心とした育児や教育を行っているところが、北欧の小国が、大きく国家が育児や教育に介入している国々と違っている部分で、日本とも似ている印象がある。
他方において、オランダを特徴づけているのは、その小さな国家、民間主導の行政単位であって、これはむしろ、ずっと戦後日本が目指してきた形なのではないか、という印象さえ受ける。

官僚制が発達しなかった一方で、公的な役割を積極的に担ってきたのは、むしろ市民社会のさまざまなアクターである。「軽量な国家」が可能となるためには、市民社会の側の協力が不可欠である。オランダでは、教育や福祉、医療、環境、開発援助などの諸分野において民間セクターの果たす役割が非常に大きく、国家の役割はむしろ財政支援と執行の監督にとどまっている。たとえば今に至るも小中学校の半数以上はキリスト教系の私立学校であり、これらの学校は公立学校と同等の公的補助を保証されている。貧困者救済や高齢者ケア・医療保健サービスにおいても、公的財源に支えられつつ、宗派系の団体を含む多数の民間非営利団体が実施主体となっている。福祉や教育を基本的に公的セクターが担う北欧諸国などとは対照的である。

半数以上が「宗教系の学校」であるというのは、驚きである。それによって、教育と「道徳」が、学校という「教会」を通して、結合されることによって、

  • 国民自身による(民間主導の)社会変革運動

が動機づけられ、国民に主体的な行動によって国家運営が実行されてきた国こそが、オランダと言えるのであって、むしろ、これこそ日本が目指してきたような、国家と言えるのかもしれない(小国ではあるが)。
(だからこそ、こういった先進的な実験国家において、日本にこれから、待ち受けている、政治の方向を「予言」しているものになっているのではないか、と考えられるわけである。)
オランダの近年の、「成功した」福祉政策は、まさに、近年の日本のさまざまなアポリアに、そのまま対応しているかのように思われるくらいに、「うまく」政策運営されてきたように、思われるわけである。

このような雇用と格差の問題を考えるとき、注目されるのがやはりオランダである。オランダでも近年、パートタイム労働者・派遣労働者などの非典型労働者が大幅に増加しており、特にパートタイム労働者(週あたりの労働時間が三五時間未満)は全労働者の約半数に迫り、「世界中でオランダほどパートタイム労働の多い国はない」(Merens, 2008, 22)と評されるほどである。とりわけ女性労働者の七四%がパートタイムで働いており(二〇〇六年時点)、これはEU一五カ国の平均値(四一%)を大きく上回っている。
このような非典型労働の拡がりをみる限り、オランダが雇用の不安定化、労働市場の分断、所得格差の拡大といった問題に直面してもおかしくない。
しかし、オランダでは、パートタイム労働が広がっているここ一〇年余りをとっても、格差はあまり拡大せず、その点ではOECD諸国のなかでも格差の小さい国として位置づけられる(二〇〇年代半ばのジニ係数は〇・二七であり、OECD三〇カ国中低い方から八番目である)(OECD, 2008, 51)。しかもオランダの場合、福祉制度を通じた移転支出はもともと北欧諸国に比べて少なく、近年はむしろ減少している。のことから、福祉を通じた再配分を強化して格差の拡大を防いでいる、とみることもできない。

日本においては、小泉政権において採用された、非正規雇用の拡大によって、日本国内では、

  • 格差

が拡大してきていることが、大きな問題として指摘されるようになっている。ところが、オランダでは、それほどの大きな格差になっていない、と言うわけである。
近年の日本における、グローバリズムやフラット化の言論において、

  • 不可避

とまで、言われている「格差の拡大」が、ことオランダでは、それほど大きくなっていない、と言うのだ...。

オランダでは一九九〇年代以降、非典型型労働者の保護規定が大幅に拡充された。ことパートタイム労働者と派遣労働者についてみれば、正規労働者と均等、あるいはそれに近い地位を獲得するに至っている。
まず一九九六年の「労働時間差別禁止法」は、労働時間の違いに基づく労働者間の差別を禁止した。これによパートタイム労働者は雇用保護や賃金をはじめとする労働条件につき、基本的にはフルタイム労働者と均等、あるいはそれに準ずる待遇を保障された。その結果、フルタイム労働者が労働時間を減らしてパートタイム労働に移行しても、待遇の大幅な悪化を招くことはなく、労働者としての権利が継続的に保護されることになった。現在、オランダのパートタイム労働は法的保護の貧弱な日本のパート労働と異なり、「短時間正社員」とみるほうが実態に近い。
そして二〇〇〇年七月に施行された労働時間調整法は、労働者に労働時間の短縮・延長を求める権利として認められた画期的な立法でる。これにより、ライフスタイルに応じた労働時間の選択が労働者の権利として認められたのである。たとえば育児や介護で忙しい時期には勤務時間を短縮し、仕事に千年可能になれば通常労働に復帰し、あるい労働時間を増加させて収入を確保する、というパターンも可能である。そしてフルタイム・パートタイム間の差別が禁止されたことから、労働時間を短縮したがゆえに解雇やリストラといったリスクを背負い込むという問題もなく、「安心」して労働時間の増減を実現することができる。
労働時間変更の申請を労働者が提出した場合、使用者がこれを拒否するには十分な理由を示すことが必要とされる。立証責任を使用者に負わせたことにより、労働者の申請が認められる可能性は高い。たとえば労働時間を短縮する申請を拒否するには、使用者は当該労働者の労働時間の減少にともなう代替要員の確保が困難であるなど、重大な問題が発生することを明示しなければならない。現実にこの制度の運用が始まって以降、労働時間の短縮や延長の申請の大半は、使用者によって認められている。
また派遣労働者についても、一九九九年のフレキシキュリティ法などの保護措置によって、正規労働者に準ずる保護が与えられている(Bekker and Wilthagen, 2008)。以上のようなさまざまな権利を保障されたオランダのパートタイム労働者や派遣労働者は、依然として「非典型労働者」であるにせよ、「非正規労働者」のカテゴリーに入れることはもはや適切ではない。

オランダでは、そもそも期間の定めのない労働者について、解雇に強い制限がかかっている。使用者が労働者を解雇しようとする場合、公的な職業紹介機関(二〇〇二年以降は雇用・所得センター)に申請を行うか、裁判所に申し立てを行わなければならない。雇用・所得センターの場合は審査に一定の期間はやや短く、却下される可能性も低いが、まとまった額の保障金を労働者に支払うことが求められる。いずれも使用者にとっては使い勝手がいいとはいえず、安易な解雇に歯止めがかけられている。

また、産業別に労使間で締結される労働協約の存在も、パートタイム労働者などの非典型労働者保護において、重要な意味を持っている。オランダの労組の組織率は二二%程度に過ぎないが、大企業を含むほとんどの企業が労働協約の締結に参加していること、さらに労働法制上、産業別の労使間で締結される労働協約が、社会問題相の出す一般的拘束宣言を通じて当該業種に一律適用されることが可能であることか、結果的にオランダの労働者の約八〇%は労働協約の適用下にある。パートタイム労働者も、基本的にこの労働協約の適用を受けることになる。また派遣労働者の場合は、派遣業そのものを一つの単位として産業別労働協約が締結され一般的拘束宣言の対象となっていることから、やはり労働協約の適用を受ける。非典型労働者が労使交渉の枠外におかれたり、正規労働者の享受する諸権利から排除されることが起きにくい仕組みになっているのである。

二〇〇一年一二月に施行された「労働とケアに関する法律」は、出産・育児休暇や介護休暇など労働者が携るケアに関し、従来の支援制度を束ねるとともに、いくつかの分野でさらに踏み込んだ規定を設けた法律である。労働者が就労を継続しつつライフサイクルにおいてかかわるさまざまなケアに十全な対応が可能となることを目指している。
従来、妊産婦には妊娠休暇・出産休暇(一六週間にわたり従前賃金の一〇〇%が給付される)が保障されてきたが、この改革で、産婦のパートナーに対しても出産時休暇を認める規定が新設された。生まれた子どもを認知しているパートナーには、出産時には、出産時の立ち会いを保障する短期休暇や、新生児の出産登録を行うための短期休暇に加えて、産後四週間の間に二日間の産後休暇(賃金は一〇〇%保障)の取得が認められたのである。両親のいずれもが取得できる育児休暇(一三週間)に関しても、子どもが八歳になるまでの期間のうち最大限三回まで、分割して休暇を取得することが認められた。双子や三つ子の場合には、それぞれ二倍、三倍の期間の育児休暇を取ることもできる。
子どもやパートナー、親など家族が病気になったときには、短期ケア休暇が認められている。労働者一人あたり、一年について合計一〇日間ずつ取得することができる。休暇中は給与の七〇%が保障される。
個人的に急な事態が生じた労働者は、緊急休暇を取得することができる。具体的には、家族の事故や病気・入院や家の火事といった突発的な事態が想定されている。相当な理由に基づきこの休暇申請がなされた場合には、使用者はこれを拒否することはできず、給与も一〇〇%保障される。

長々と引用させてもらったが、ようするに、ワーク・ライフ・バランスを「真面目」に考えた国が、オランダで、真面目に今だに考えていないのが日本だということが分かるのではないだろうか。
北欧のように、国家が子どもの福祉を徹底して行う形態が、社会風習として、あまり合わない(ベビーシッターのような家政婦の雇用が普及しない)、日本のような、家族中心の子育てを実態として行いたい国民にとって、オランダのような形態は不可避のように思われる。
なぜなら、そうでなければ、女性は会社を退社せざるをえないから、であろう。
徹底して、正社員と、非正規社員の「差別」をなくし、柔軟な、労働時間の

  • 選択の自由

を労働者に認めていく方向以外に、日本の少子化を止める手段はないように思われるのだが、どうも、日本の雇用慣行は、こういった方向とも、あまり、相性がよくないようだ。

しかし、現在の日本の状況では、「多様な働き方」を通じてワーク・ライフ・バランスを達成することは難しい。その最大の問題は、日本では正規労働者と非正規労働者の間に、きわめて大きい格差が存在することである。パートタイム労働者や派遣労働者の圧倒的多数は、フルタイム労働者の補完的な位置づけしか与えられておらず、賃金や雇用保障をはじめとするあらゆる待遇において正社員労働者より劣るばかりか、景気が悪化すればまっさきに職を失う。そもそも日本では、労働法学者の濱口圭一郎が指摘するように、職務内容・就業場所が契約で定められていない正社員労働者と、特定の職務を一定期間提供するに過ぎないとされているパート労働者とのあいだには、一種の「身分論的な処遇の違い」が存在する(濱口、二〇一一、二一五)。

今の日本の会社は、社宅の提供など、会社が多分に社員への「福祉」を行っているため、そもそも、非正規社員とは、大きな待遇の差別が存在しているわけで、同一労働同一賃金と言われても、なにを言っているのか分からない、といったようなことが実情なのではないだろうか。
橋本徹大阪市長を中心とした、大阪維新の会の今回のマニフェストに、最低賃金制度の廃止が入っていたことは、驚くべき恐怖を国民に与えたのではないだろうか。
もちろん、その場合には、橋本さんは、「口約束」で、その分の福祉を国家が(BIで)やるから大丈夫と、根拠も示さず、暴論を言っていたわけだが、そもそも、最低賃金制度は、国民が国家から勝ち取ってきた、

  • 成果

であろう。それをみすみす、あけ渡すことを「公約」にして、選挙に勝てると思っている、その能天気さが、よく理解できない(戦中の、女工哀史など、こういった労働環境の改善のために、マルクス主義などがさかんに議論されてきた歴史を、すべて捨てろ、と言っているようなものだ)。
なぜ、日本の政治の場では、ワーク・ライフ・バランスなど、上記のオランダのような雇用環境の「改善」が、議論にならないのか。今回の選挙をみていても、たとえ、(なにかの間違いで)景気が回復するようなことがあったとしても、それは企業の収益が増えるだけで、労働者の労働現場の改善へと向かうような形ではないように、思われるわけだが、なぜそれを人々は言わないのだろうか?
一見すると、上記のオランダの現状は、なにもかもがうまくいっているように思われるが、しかし、よく考えてみると、そんなに世の中はうまくはない。なぜ、オランダで、ここまでの労働者の労働条件改善運動が、前進しているのかの裏には、

  • 負の側面

が、あることに注意がいる。というのは、興味深いことに、こういったリベラル的な改革を前進させたのは、むしろ、

と言われるような、どちらかというと、右寄りの勢力が推進してきた,という部分があるから、なわけである。

しかも二〇〇二年に政権が交代し、キリスト教民主アピールが与党に返り咲いてパルケネン政権が成立すると、新政権はコック政権の就労促進政策を全面的に引き継ぎ、「参加」の拡大を掲げて改革を継続する。
まず公的扶助制度は、就労を優先する仕組みが強化され、大きな変化を遂げた。二〇〇四年一月、従来の一般生活保護法に代わって導入された「雇用・生活保護法」は、市民を「自立して生計を営むべき存在」とする発想に基づき、受給者の就労復帰を最優先する制度に改められた。「就労は自立をもたらし、人々が社会に参加できるよう促す」というのが社会省の主張である。特に、受給者に課される就労義務は大幅に強化された。受給者(一八歳以上六五歳未満)は原則として全員が求職義務を課せられ、「切迫した事情」を立証できない限りこの義務を免除されることはない(同法九条)。それまで免除されてきた、五七歳以上の高年齢層や、五歳未満の幼児を抱えたひとり親についても例外ではない。
ここで導入されたのが、「一般的に受け入れられている労働(algemeen geaccepteerde arbeid)」という概念である。受給者は、斡旋された仕事が「一般的に受け入れられている」ものである限り、これを拒むことができないとされた。違法な労働、あるいは最低賃金を下回る労働などを除き、一般人が通常従事するような職業であれば、基本的にすべて「一般的に受け入れられている」労働に該当する。旧制度下では、受給者は当人の学歴や就労経験に応じた職種を選択することができたが、そのような当人の事情は新法下では勘案されない。原則的には斡旋された職業を受け入れる義務が生ずることになる。

上記の引用の個所は、近代市民社会の常識から考えたとき、どう考えても「トンデモ」にしか見えない。生活保護を受ける権利が欲しいなら、人々は、国家が斡旋した仕事を行う

  • 義務

がある、というわけである。それを拒否「できない」。拒否する権利がない、というのだ。普通に考えれば、それは「奴隷」と変わらないのではないか? と思うであろう(しかし、他方において、このことがオランダにおいて、高齢者の就職率の拡大をもたらして、生活保護の資金の縮小にも寄与している、と考えられるわけだ)。
しかしそれは、今回の日本の選挙で、自民党日本維新の会が、憲法改正を主張し、自民党は改正憲法案において、基本的人権の破棄を匂わせる記述に変更し、徴兵制の復活のように、国民に基本的人権を認めない、人権を認められる存在とは、国家に

  • 奉仕

している日本人だけ(そうでもしなければ、国民が進んで徴兵制を受け入れ、自分の命を国家に捧げるようにならない)、といった

  • 保守派(右翼)

の主張としては、いたって「自然」なわけで、この認識は、むしろ、オランダの右翼政権が、一方において、国民への福祉政策を推進させながら、他方において、こういった、従来からの、右翼的主張が「併存」する、といった構造が見られるようになっている、というわけである。

ウィルデルスはなぜイスラムを徹底的に批判するのか。二〇〇五年に出版した『自由への選択』において彼は、イスラムを「民主主義と相容れない」ものと規定し、紙幅を割いてイスラムをめぐる「問題点」を説明したうえで、物議をかもす政策を打ち出している(Wilders, 2005)。
彼が主張する第一の問題点は、イスラムにおける政教分離の欠如である。彼によれば、イスラムは、それ自身が一つの政治秩序たらんとする宗教であって、政治と宗教の分離はそもそも想定されない。コーラン市民社会の立法として啓示さた以上、政教分離イスラムの根本教義を否定するものとなる。イスラムが政治化するのは必然であって、他宗教やイスラムを離れた者たちへの攻撃は激しくならざるをえない。いうなればイスラムは、ユダヤキリスト教および古典古代以来の、政治と宗教の相互に自立的な関係という伝統をくつがえそうとする後向きの宗教である。「リベラルなイスラム」はありえない、と彼はいう。公職者のスカーフ着用は禁止すべきであり、オランダの「価値規範」を共有しないイスラム系の学校は認められない。
第二は、その反民主的・暴力的特質である。現在オランダでは「ファシスト的なイデオロギー」の信奉者が、ごく一部とはいえイスラム住民のなかに増加している、と彼は主張する。コーランに基づき反ユダヤ主義が正当化され、甚だしい場合にはヨーロッパにおける民主主義の転覆、シャリーアイスラム法)の導入さえ企てられている。そしてこのような暴力的な行為に自らは携わらないにせよ、暴力活動を容認する急進志向のイスラム住民は、オランダだけで五 -- 一〇万人はいるのではないか、とウィルデルスは推測する。
そして彼は、暴力活動でデモクラシーを掘り崩そうとする中核的メンバーについては、予防拘禁などの措置を積極的に発動すべきとする。オランダの市民を保護するためには、「一定の基本権を剥奪する」ことはやむをえない、というのである(Wilders, 2005)。過激な思想を広めるイマーム(指導者)は国外追放し、過激なモスクは閉鎖すべきである。彼はいう。

われわれの法治国家への脅威に対しては、強硬な手段をとらなければなならない。まさにオランダを寛容な国たらしめ続けるためにこそ、そうしなければならない。われわれはオランダにおいて、常に寛容であり続けてきたが、ついには、不寛容な者たちにたいしてさえ寛容を示すことになってしまった。われわれは、不寛容な者たちに対しては、不寛容になることを学ばなければならない。それが、われわれの寛容を守り続けるためにできる唯一の方法だ(Wilders, 2005, 73)。

第三は、イスラム住民の「統合」の失敗という問題である。イスラム過激派に与するムスリムはごく一部であるが、そもそも多くのムスリムはオランダ社会に統合を果たしていない、というのがウィルデルスの認識だ。特にオランダ語の習得は不十分であり、ムスリムの社会的な孤立を招き、貧困や福祉依存の背景となっている。また、モロッコ系をはじめとして、犯罪に走る者も少なくない。非西欧世界からの移民は大幅に制限し、オランダに入国しても統合が不十分である移民は国外追放すべきである。国籍取得要件の大幅な厳格化や、罪を犯した移民の国籍剥奪も必要であるとする。
ウィルデルスがその主張の根本に置くのは、やはり「自由」である。しかしながら、オランダにおけるイスラム移民は、その「自由」を濫用し、オランダ社会に敵対関係を持ちこんでいるという。「ある者たあちは、信教の自由を悪用して憎しみを撒き散らし、教育の自由を悪用して子どもたちにオランダ社会に敵対的な教育を施し、結社の自由を悪用してオランダ社会の転覆のための活動を行っている」と彼は説く。
以上のようにみてみると、ウィルデルスの主張は、基本的にはフォルタインと同様、自由・人権といった西洋的価値を援用してイスラムを批判する、という論法を取っていることが明らかであろう。「啓蒙主義的排外主義」ともいえようか。ここがまさに、フォルタインやウィルデルスをいわゆる極右と分かつ点である。ウィルデルスはむしろ、女性や同性愛者の権利を守る立場から、女性差別的・同性愛者差別的なイスラムを批判する。彼もま、自らを「リベラル」と規定しつつ、「自由の敵」には自由を認めない、「不寛容なリベラル」の旗手となったのである。

戦前の日本の政治に大きな影響を与えた、北一輝の主張が、天皇独裁の形態をとり、戦後憲法のような国民に基本的人権を認めるものでなかったにもかかわらず、著しく、社会主義的な、
平等
の実現を目指していたものになっていたことは、そもそも、右翼勢力と、社会福祉の充実は、
矛盾しない
ということを、よくあらわしているように思われる。むしろ、オランダにおける、イスラム教徒の移民受け入れ拒否の近年の傾向は、そういった、中道右派が、

  • 寛容なリベラル

というプラットフォームを守るために、「非寛容」になる、という、キャス・サンスティーンのカスケード現象の問題を、ベタに受け取る醜さを呈している。つまり、「寛容なリベラル」であるという、自らの「仮面」を維持できない、化けの皮がはがれてきている、と。
ヨーロッパにおける、排外主義は、オランダに限らず、一つの近年、急激に拡大している傾向と言えるのではないだろうか。それは、日本のように、昔から、海外からの移住を、著しく制限してきた(差別的であったと言ってもいい)国とは違い、多くの移民を受け入れてきたはずの、こういった国々で、起きている変化なだけに、興味深い。
つまり、なぜ「今さら」なのか、なのである。

そもそも脱工業社会の到来は、生産されるものが「モノ」から「モノならざるモノ」に転換することを意味する。このことは、労働のあり方や価値の創出の方法に、大きな変化を及ばさざるをえない。経済学者の諸富徹はこの変化について、次のように説明する。すなわち先進諸国においては、生活水準の向上、経済のサービス化と情報化・知識経済化などの変化にともなって人々の価値意識も大きく変わり、環境や安心、安全、町並みや景観、文化や芸術性、製品デザインといった「非物質的価値」が追及されるようになっている。そしてこの「非物質的価値」を生み出すうえで重要なのが、「人々が取り結ぶ関係性」であるという。なぜなら、非物質的な価値は「人々がチームを組んで相互に刺激し合い、化学反応が起きるなかで生まれてくるからである」。人間同士の「創発的」なネットワークを作り上げることで、それぞれの人間のもつ知識や価値観が相互作用を起こし、新たな価値を作り上げるというのである(諸富、二〇一〇)。

興味深いのは、平塚が引用している、この新しい「能力(コンピテンス)」概念を取り上げたOECD、EUの報告書のいずれもが、その「能力」の構成要素の第一に、「言語(によるコミュニケーション)」をとりげていることである(平塚、二〇一〇)。OECD、EUの報告書はともに、人間相互の協力関係や対人関係といったコミュニケーションの能力を「能力」の基本においているが、そのさい、言語を通じたコミュニケーションが、その重要な前提とされているのである。
そうだとすれば、言語を十分に習得し、そして相互にコミュニケーションをとりつつ協力しながら問題解決にとりくむ力をつけることこそが、脱工業社会における職業生活・社会生活にとって必要な能力とされているといえる。

そもそもかつての製造業中心だった先進諸国においては、移民にそのような社会への積極的「参加」を求めることはなく、したがって「言語によるコミュニケーション」の能力を要求することも少なかった。各国は経済成長を支えるための労働力の大幅な不足に対応するために、ホスト国の言語習得が不十分であろうが、また「前近代的」宗教を信仰する国の出身であろうが、健康な若年男性であればそれ以外の条件を課すこともなく、労働移民を受け入れてきた。その背景には、工場での大量生産を中心とした生産過程においては、職場でホスト国の労働者と会話をさせて交わさなくとも、またクライアントとやりとりしなくとも、作業マニュアルを覚え、定型化された業務をこなすことができれば、十分な職務能力を有しているとみなされた、という事情があった。

上記の指摘は、とても重要に思われる。なぜ、ヨーロッパが長い間、移民に寛容な政策をとってきたのか。それは、そもそも、彼らの「人権」が十分に保証されるためには、必要だからという、「リベラル」な発想からではなかった。むしろ、足りない労働者を、どのようにして確保するのか、という、やむにやまれる事情からであった。
だから、事情が変われば、簡単に、彼らを捨てる(それは、日本の非正規雇用が、まっさきに、リストラの対象になるのと同じだ)。
だから、脱工業化社会が進むことで、むしろ、「国民の統合」つまり、

  • 言葉

によるコミュニケーションの齟齬が問題とされるようになってしまった。国家が国民を、どこかの会社に斡旋するにしても、その職場で働けるだけの、「言語能力」がなければ、十分な能力を発揮できない。
つまり、母国語並みに、言葉を話せるようにならなければ、話せるようになるように努力を行うことを、国家へ忠誠を誓わなければ、国民の
資格
を得ることができない。オランダ福祉国家の根幹に、言語能力がデフォルトとして据えられることで、むしろ、従来の左翼的な普遍的人権から、当事国での「言語能力」を中心にした、

  • 労働国との親和性

を中心に

  • 構成

された「福祉」システムへの変化。おそらく、こういった「風景」こそが、日本の近未来に待ちかまえる、社会課題を予見しているようにも思われるわけである...。

反転する福祉国家――オランダモデルの光と影

反転する福祉国家――オランダモデルの光と影