福島第一のA級戦犯たちの「おもちゃ」

国家とは、なんだろうか。国家とはリバイアサンである。
つまり、国家とは、その国家を運営している人たちが、「動かせるもの」だということではないだろうか。つまり、運営している人たちが、なんとでも
遊ぶ
ことができる「おもちゃ」なのだ。
それにしても、年末に、自民党の安倍首相が、原発の新設を言ったことは、あいも変わらず、この

  • KY

は変わってないんだな、と思わせるに十分であった。
まったく、世間の空気と反対のことを、簡単にのたまう、この感性は、恐しいわ。じいちゃんの、本来A級戦犯として死刑になるはずだったのに、アメリカとの手打で、脱獄して、さらに、総理大臣にまで上りつめた、岸信介のように、彼も自らの、福島第一原発事故の「事故責任」を、再度、総理大臣になることによって、握り潰し、逆張りで、

  • もっと原発を作ります

とは、恐れいった。こういう人を再度、総理大臣にしなければならない、この問題で日本はまた、長期間、不毛な論争に、労力、エネルギーを費さなければならない、日本の不幸を思わせられますね。
そもそも、福島第一の安全対策が不十分だったのは、前の安倍政権が、徹底して、安全神話で強健的に相手にしなかった。型が古いとか言っているが、それは、一号機の話で、新しければいいなんて、どこの事故調査委員会が言っているっていうんだ。勝手なこと、言ってんじゃねえよ。
前の安倍政権の頃にだって、いろいろな専門家がその危険性を訴えていた。でも、それを「左翼」や「運動家」の世迷い言とか言って、まともに相手にしないで、にぎりつぶしていたんじゃねえか。
福島第一の

こそ、前の安倍政権の総理大臣だった、安倍さんそのものじゃねえか。だったら、この人を、牢屋に入れないで、誰が入るんだよ。原発は、法律によって、その他の「製造物」とは

  • 例外

にされている。つまり、その責任は著しく、「政治」的な形でしか、解決できない。つまり、その責任は本質的には、政治家がとるしか、手段はない。つまり、本当は、なによりも優先して、安倍さんを牢屋に入れるべきだったはずで、彼を牢屋に入れられなかった時点で、原発の政治的な

  • 責任の空洞化(無中心化)

は、まったく解決していなかった、ということになるだろう。
国家は、その国家を運営している連中の「おもちゃ」である。安倍のお友達に、政権の中枢を、のっとられた、この日本は、彼らが、日本の国家予算を使って、好きなだけ、原発という、

  • 彼ら非行少年たちの「火遊び」用の「おもちゃ」を作る「遊び」

に日本社会は付き合わされる、ことになるわけだ。
代議制民主主義においては、代議士に選ばれた途端、彼ら内の「数の論理」だけで、あらゆる、政策の遂行は「法的に合法化」される。それが、どんなに「非道徳的」であったとしても、そうなのである。つまり、彼らの行動は、どんなに「非人道的」であったとしても、代議士内のパワーポリティクスによって、遂行できてしまう。
この構造は、第二次世界大戦における、日本と非常に似ていないだろうか。
政治家や官僚たちが、武器製造会社などの、さまざまな、利権集団と、結びついて、戦争に突入する。武器を一個作れば、そのメーカーは儲かる。すると、そのメーカーとグルになって行動していた政治家や官僚に多額の謝礼金が入る。すると、彼らの政治的影響力が増す。
原発はそれを、日本国内で、日本国民に向けて撃たれる「武器」である、原発で行う、という違いしかない。原発という武器が「暴発」することによって、被害を受けるのは、この日本国民であり、日本の大地である。この日本の大地を汚してまで、自らの私腹を肥やすことにしか能のない、この連中が政権を牛耳っている限り、日本の

  • 中世暗黒時代

は、まだまだ続く、ということになるであろう...。