コリン P.A.ジョーンズ『アメリカが劣化した本当の理由』

そもそも、アメリカという国は、どういう国なのだろうか。

連邦議会を規定した憲法第1章第1条には、「この憲法によって付与されるすべての立法権は、上院と下院で構成される合衆国連邦議会に属する」と書かれている。つまり、連邦政府立法権が限定されていることは明らかである。これはアメリカ法を理解するにあたっての、難点のひとつである。
日本の場合、国会を通った法律が憲法に規定された手続きを経て成立した以上、憲法に規定される基本的人権を露骨に侵害しない限り、合憲性の問題はない。要するに憲法に違反していなければ、その法律は成立する。ところが、アメリカの連邦法では、「そもそもそういう法律を作る権限が連邦議会にあるかどうか」という点を考えねばならず、もしも「権限なし」と判断されれば違憲になってしまう。他の主権国家が当然にできることも、米国政府の場合、憲法のこの制約によってできない場合があるのだ。

アメリカの建国の歴史は、20ほどの自治州が、一つになった「合衆国」の歴史であるわけだが、ということは、そもそも、その各自治州のことを、「国家」と呼んでいたはず、ということになる。
これは、日本において、各藩という「国家」が、存在していたところに、日本という国家が生まれている、というのと似ているかもしれない。
また、国家の連合体である「国連」が、国家という加盟国家によって構成されていることにも似ている(EUもそうだ)。
こうした場合、一つの「アポリア」に直面する。

  • 一体、どの組織体には、どんな「権能」が与えられているのか?

つまり、ある意味、非常に不思議な議論が展開されることになる。

  • 連邦法には、何が書き込めるのか?
  • 各州法には、何が書き込めるのか?

日本においては、いずれにしろ、国会が国権の最高機関だと言っているのだから、ここが決めれば「たいてい」のことは、問題がない(つまり、憲法違反でない限り)。ところが、アメリカの場合は、不思議なことに、連邦法には、書き込める内容と書き込めない内容の二種類が、存在する、ということなのだ。なぜ、書き込めないのか。それは、

  • 連邦の役割では「ない」

と考えられているからだ。つまり、言ってみれば、「憲法が連邦の憲法に何を書けるのかを決めている」ということになる。
こういった事態は、私たちに、本当に、アメリカは「主権国家」なのか? という疑問を抱かせる。
例えば、EUについては、これを「主権国家」だと思う人はいないであろう。しかし、国家の最も重要な機能の一つであるはずの、通貨発行をEU内の国々はEUに「譲渡」している。そう考えると、「そんなことが可能なのか」という疑いと同時に、「だとするなら、むしろEUこそ主権国家だと言うべきなのではないのか」という疑問が湧いてくる。
なぜ、こういった疑問が重要であるのか、というと、例えば、アメリカの大統領選挙を考えてみると分かりやすい。大統領は、各州から選ばれた選挙人によって選ばれる。ということはどういうことか。

  • 州「でない」地域

に住んでいる人には、本来の意味の、選挙権が「ない」ということになるのだ。
アメリカは、必ずしも、どこの州にも属していない「自治区」と呼ばれている地域がある。有名なのは、首都のワシントンDCだが、その他にも、グァムなど、幾つかある(昔は、フィリピンがそうだった)。
こういった地域がおもしろいのは、州ではないから、じゃあ、「何なのか」というところであろう。
州法がないのだから、もちろん、その地域の自治法のようなものを作ってもいいのかもしれないが、思い出してもらいたいのは、先に述べた、連邦法と州法の関係である。つまり、そういった関係が、この地域には、存在しない、ということなのですから、むしろ、こういった地域は、あらゆることが、

にある、とも言えるわけである。
こういった地域の存在が、ある意味、現在のアメリカのその「ありよう」を、よく言えば、融通の効く形にしている、とも言えるのではないか。
そして、この事情は、まさに、「南北戦争」が、なんだったのか、とも関係してくる。

南部の州が新テリトリーへの奴隷制導入を図っていたころ、北部の州では、最高裁が次は州法の奴隷制禁止条項を違憲と判断するのではないかという不安が広まっていた。実は、南北戦争の引き金となった南部の州の合衆国脱退のかなり以前から、北部においても合衆国脱退論があった。つまり、これ以上は奴隷制と付き合いきれない、という趣旨の議論だ。
南北の亀裂は、結局のところ南北戦争という内戦に発展する。ただし、六十二万人の死者を出したこの戦争のきっかけが奴隷制度だったとしても、目的は奴隷解放ではなかった。
戦争の発端は、南部の州がアメリカ合衆国脱退を宣言し、奴隷制州だけの連合体を作ったことにある。残りの州と合衆国政府は、それを差し止めようとした。脱退した州の多くは奴隷制が廃止されるのではないかという危機感を表明していたが、連邦政府の狙いは奴隷制をつぶすことではなく、とにかくアメリカを一つの連合体として維持するというものだった(連邦側についた州の中にも奴隷州があったので、単純に”奴隷制対非奴隷制”という図式ではなかったわけだ。また、連邦から脱退したバージニア州の一部が分裂して連邦側に残り、現在のウェストバージニア州として別の道を歩むというケースもあった)。

南北戦争は結果的に、戦争が長期化するにつれて優勢になった北軍の勝利に終わり、南部の州はいわば強制的に再加盟させられた。そのおかげでアメリカは、今日まで一つの連合体として存続している。ただし、奴隷制が完全に廃止されたのは独立解放宣言と戦争の勝利によるものではなく、奴隷制を禁止する憲法改正(一八六五年の修正第13条)によるものだ。その後、黒人の市民権と法の下の平等を保障する修正第14条(一八六八年)と、黒人の参政権を保護する修正15条(一八七〇年)も批准された。
ここで読者は疑問に思うかもしれない。戦争をしてまで奴隷制を維持しようとした南部各州なのに、戦後はいやに素直に奴隷廃止の憲法改正案を批准しているじゃないか、と。
その答えは、日本国憲法制定の経緯になぞらえるとわかりやすい。戦後は北部軍が南部各州を占領して、様々な政策を強制したからである。南部の州は、合衆国に復帰し中流軍に撤退してもらう代償として、憲法改正を認めざるをえなかった。要するに、南部は日本と似たような「米軍占領期」を経験したのである。その際には、戦後日本と同様に、米政府による復興支援を受けるとともに、教育改正、土地改革等々、市民(白人)の意向が必ずしも反映されていない憲法改正を強いられたわけだ。

なぜアメリカは、黒人奴隷制度をやめることができたのか。それは、ある種の「内戦の結果」としか言いようのない、形であったことが、非常に興味深い。
この内戦は、黒人奴隷制度を維持したいという野望によって一部の州が結束して、連邦体からの「脱退」、つまり「独立」を目指したところから始まる。それに対して、連邦側は、

  • 連合体の維持

を目指して、戦うことになる。つまり、連邦法の「維持」を目指した戦いだった、ということになる。これは、例えば、大阪維新の会の橋本さんが、最低賃金制度の廃止を実現するために、関西地区を、日本から、独立される、と言っているようなものであろう。
上記の過程は非常に、日本の真珠湾でのアメリカ宣戦布告から、敗戦と占領までの過程と、非常に酷似していることが、分からないだろうか。
おそらく、アメリカは、あの日本との戦争を戦いながら、南北戦争との「酷似」「アナロジー」を考えていたのではないだろうか。
日本のアメリカ宣戦布告は、言ってみれば、上記の「自治区の反乱」といった感じに受け取られたのではないか、と考えられる。そして、アメリカによって「占領」された、この時期とは、言ってみれば、アメリカにおける法的な位置付けは、こういった「アメリ自治区」的なものとして、あったと考えられたのであろう。
そういった意味では、日本は今でも、アメリカにとっては、この

的な感覚からは、アメリカ「合衆国」の

  • 内部

に感覚されているのではないだろうか。
アメリカがイメージしている、この緩やかな「合衆国」イメージにおいて、おそらく、その「境界線」は、かなり緩やかな形で、全世界に及んでいる。日本がアメリカとの戦争に負け、占領されたということは、アメリ南北戦争において、南軍が、再度、(占領的過程を経ることで)アメリカの内部に吸収されたことと同様に、

というイメージで、彼らは受けとった、ということを意味している、と考えられるのかもしれない。そのことが、日本における、アメリカ軍の駐留が、これだけ長く、「アメリカ側においても違和感をもたれることなく」ここまで続いてきた意味だということなのだろうか。
(日本人は、日本が、アメリカの「占領下」にあった、ということを、十分に自覚していないんじゃないのか、と思うことがある。日本の憲法アメリカによって、武装放棄されていることは、二度とアメリカに向けて、戦争をしかけられない「ため」であることは、自明であろう。つまり、その時点で、日本は、アメリカの

  • 内部

になった、ということを意味する。日本はアメリカの「隣(となり)」の国であるが、この地政学的な意味は大きい。つまり、もし日本が、アメリカに向けて、戦争を仕掛けた場合、たとえアメリカが最終的に勝てたとしても、アメリカは甚大な被害を受けることになることは、地政学的に明らかだから、だ。
日本の戦後における、アメリカによる非武装化は、戦後のアメリカの圧倒的な世界政治的プレゼンスを考えたとき、必須の条件だったように思われる。つまり、なぜ、アメリカが戦後、これほどの政治的な発言力をもてたのかは、言ってしまえば、日本が非武装化されたことで、アメリカが日本との軍事的緊張に、大きなパワーを割かなくて済んだから、と言えるのではないだろうか。)
アメリカが国家の程をなしているのか、とは、アメリカが本当に主権国家なのか、という疑問であった。それは、最近のオバマケアが、あれほどの議論を経て成立しておきながら、それでもなお、その「正当性」が問題にされるという、「ごたごた」にも、見られる。

三月の二十六日から二十八日まで、最高裁にしては異例ともいえる長い期間、オバマケアをめぐる口頭弁論が行われた。そのあと、最高裁の各判事が検討・評議に入り、全国民は様々な憶測をたてながら、判決が出るのを何週間も待っていた。
この状態が、アメリカの民主主義体制がどれだけ異様なものになってきたかを物語っているかと思う。すなわち、上下両院が可決し大統領までが著名した法律により、連邦議会が通商規制権を駆使して、国民に私企業からの保健商品の購入を強制することの可否について、政治思想を理由に任命され、民意から隔離された九名の最高裁判事の単純多数決で決まる結果を、全国民が息を呑んで見守っているのだから。
かなり以前から五対四の判決が目立ってきた最高裁は、オバマケアについても二〇一二年六月二十八日、やはりギリギリのわずか一人の差で合憲判決を下した。連邦議会は通商規制権を根拠にはオバマケアのような制度を作れないものの、連邦議会の課税権の一環としては可能という判決で、辛うじて合憲としたのである。
しかし、オバマケアでは健康保険に加入していない人は連邦政府に対して金銭的なペナルティ(過料)を支払わねばならないことになっているが、最高裁のこの見解では法律中の「ペナルティ」を「税」と読み替える必要があるので、解釈論としてはいささか無理をしているという見解がある(そして、上院から発せられたオバマケアの法案が形式上は一種の「課税」であるとすれば、「歳入の徴収を伴うすべての法律案は、さきに下院に」[第1章第7条第1項]という憲法の要件に抵触することになるため、すでに別の違憲訴訟になりそうだ)。
また、当初は違憲派と見られていたロバーツ主席判事が合憲派と手を組んだのは、オバマケアを違憲にすれば”最高裁はやはり政治的な司法機関だ”という風評が広まり、国民の信頼が低下すると危惧したためだ、という噂も流れてきた。この”勇断”によってオバマケアはぎりぎりセーフだったというとらえ方が一般的だったが、もしこの噂が本当であれば、たった一人の判事の個人的な思想が三億の国民の健康と生活に多大な影響力を持つことをはっきりさせた、恐しい判例だと言える。しかもそれが国民のためではなく、最高裁の威厳を保つための”勇断”であったとすれば、悲しいではないか。

それにしても、もしも、最高裁オバマケアを「違法」としていたら、どうなっていたのだろう。このような、国民の健康の基本になるような部分でさえ、最高裁という何人かの、国民から選ばれているわけでもない人たちの「独裁」で、違法とされていたなら、それは、国の程をなしているのか、ということになっていたとは思わないか。
大統領とは、三権分立の行政の長として、国民から選ばれた国家の行動を決定できる地位と考えられる。そして、その正当性は実際に、自らが選挙に選ばれているだけに、大きいと考えられる。
そうすると、ある考えが浮ぶ。そもそも、大統領は、国民に信任されているんだから、別に、法律的根拠がなくても、「やっちゃえばいいんじゃね」ということなのだ。
つまり、大統領は、一切の政策を、法律なしで、やっちゃえばいいんじゃね、ということになる。
今、アメリカが外から、国家の体裁をしているように受けとられているのは、この大統領の強力な行政力にあると言えるであろう。しかし、それなら、三権分立はどうなったのか、ということになるであろう。
一切の法律を用意しない、法律という立法機関を介すことなく、あらゆる行政的命令が「通達」される社会。ある意味、世界は、より、主権国家をなくした、液状化した、

  • 命令だけが浮遊している

社会へと進もうとしているのかもしれない...。

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