砂原庸介『大阪』

東京に住んでいる人たちには、まったく、関心の範疇になかったことが、この平成において、全国で起きていたのが、いわゆる「平成の市町村合併」であった。
しかし、これは、なんだったのだろうか? 特例債などによる、さまざまな財政支援措置によって、市町村合併が強力に進められたにもかかわらず、2005年の法改正によって、その特例措置がなくなり、この法の期限である2010年において、実質的に、この、国家主導による、市町村合併運動が「終焉」した、ということなのである。
この合併運動は、成果としては、いわゆる「地方」都市においては、ほぼ全勝といえるくらいに、この「アメとムチ」は成功したが、東京などの大都市においては、ほとんど合併が起きなかったことに、特徴がある。
私にとって、驚くべきは、この合併が、本当に地域住民の「意志」だったのかが、まったく、「担保」されていないように思えることである。つまり、この合併の可否において、住民投票が義務化されなかったことで、完全に、地方議会の決議だけで強行された。
つまり、「この程度」の意志決定においてさえ、住民投票が行われずに、地方議会なる「架空」の意志決定機関による「独裁」が横行している。
もちろん、私はその「結果」について、なにかを言いたいわけではない。起きたことは、たんに起きたことであり、そもそも、以前の市町村であった地域の、「地域」単位が消失したわけではないわけであって(「なになに区」などと呼ばれていることが通例だ)、そういったアイデンティティの消失がうんぬんされるような性質のものでないことは明らかであろう。
しかし、だとするなら、なぜ、この国家主導の「平成の市町村合併」は、2010年で終わったのか。税制優遇の「アメとムチ」もなくなり、東京などの大都市は、ほとんどこの制度を利用することなく、地方ばかりが、国家の気まぐれにふりまわされて、じゃあ、なんだったのだろう?
私が気に入らないのは、これがやるべき「大義」であるなら、なぜ2010年で「終わる」のか、ということである。ずっと、やればいいではないか。本当にやるだけの価値があることなら。なんで、やめるのか。そして、こんな一時的な国家の税制優遇の「アメ」に踊らされて、バカじゃないのか!
もちろん、地方は今、車社会となり、いわゆる市町村単位自体に対する、アイデンティティへの希薄化があるように思う。地方は、なにをするのも基本が、車になっているので、もう、そういった単位が狭すぎるように感じているのではないだろうか。
私はそういった方向に批判的であるが、いずにしろ、地方は「そういう場所」に、なに下がってしまって「いる」わけなのだから、どうしようもない。おそらく、そういった「地域アイデンティティ」は、車をもたない、子供の頃のコミュニティ内において「だけ」というのが、実態だということなのかもしれない(子供の頃に地方で生活しなかった人たちと、そうでない人たちでは、大きな「感覚」の差があるように思われるし、実際に、その感覚から起因している、さまざまな「差別」発言が見受けられる印象を受ける)。
掲題の本を読んでいて、一番驚いたのは、あまり本論と関係のないところであるが、188ページに載っている「地方税の人口1人あたり税収額の指数」のグラフで、これを見ると、とにかく、東京都だけが、群を抜いて、大きい。あとは、愛知県や大阪府が多少多いくらいで、それでも、他の地方とほとんど変わらない。

  • 横並び

であって、とにもかくにも、東京都だけが、あまりにも2倍近い別次元を行っている。
私が中学高校の頃、なんとか工業地帯などと、日本の大都市を習ったもので、東京に続いて、名古屋や大阪が続く、みたいに勉強したものだが、バブル以降の日本自体の地盤沈下と、周辺東アジア諸国の台頭によって、相対的に、そういった地域の地盤沈下も続くことで、

  • 東京以外は横並び

が、ずっと進んできたのではないのか、という印象を受ける。
そもそも、なぜそういった地域が、東京と並ぶかのように「大都市」であったのかには、あまり大きな理由はない印象を受けなくもない。一つは、明治以前の大都市の「伝統」であったり、いわゆる、工場立地の関係による、大都市化といった関係くらいで、しかし、そういったアドバンテージも、周辺東アジア諸国の台頭で、横並び感の増大による、

  • 相対化

が進んできた、という印象を受けなくもない。
日本において、なぜ東京なのかは、著しく、国政の東京一極集中と、関係していることは間違いない。これだけ、国家意志決定機関が、東京に集中していて、むしろ、東京に本店を置かない企業の方が、その真意を疑われるというものであろう。
例えば、シンガポールのような所では、むしろ、日本以上に首都集中だ。つまり、都市とは、いわば、企業が経済活動を行う「ため」に作られていった場所という意味合いが強い印象を受ける。つまり、企業と都市は、不可分の関係にある。対して、なぜ日本において、あらゆる企業が東京に集中しているのかは、日本において、地方分権が名ばかりのものであって、実際は、国家こそが、あらゆる行動の意思決定を行っているということを、みんなが知っているから、ということになる。
このように考えると、東京という「都市」が、その周辺地域を巻き込んで、巨大化してきたことには、大きな理由がある。
他方において、311以降、福島第一の事故における、放射性物質の東京への襲来など、そもそも、なにもかもを東京に一極集中させている、日本の都市構造の

が懸念されるようにもなっているのではないだろうか。実際、ひとたび、巨大地震が東京に来れば、初期の江戸の頃から埋め立てによって、開拓されてきた、東京の地盤の脆弱さから考えても、阪神淡路大震災東日本大震災に、まさるとも劣らない

  • 甚大な被害

が東京を中心とした関東圏において、発生することは、予想できることでもあるように思われる。
都市とは、なんだろう? 実は、都市には、定義がない。強いて言えば、人間が多くいる場所(または、いた場所)くらいのことしか言えない。なぜなら、その形態は、常に変わるから、である。

本書では、「大阪」というフィルターを通して、日本における大都市の問題を議論していく。同じような議論は、「名古屋」をはじめその他の地域の大都市でも当てはまるところがある。重要なことは、従来の「国土の均衡る発展」という理想の実現が難しくなるなかで、経済成長のエンジンとなる大都市をどのように扱うべきかを考えることである。それは、本質的に特定の地名に回収されるべき問題ではないのだ。

都市とは、農村と区別される。つまり、都市で生活するということが、都市に住む多くの住民が、農業を行っていない、ということと関係して考えられる。なぜなら、農業以外の「なにか」をしてもらうために、むしろ、地方の農村から、人々を、ひきはがして、ここに連れて来ることによって、成立しているのが都市だからである。
先程も言ったように、都市と企業体は不可分の関係にある。企業が安い労働力を比較的容易に集められるのは、人々が地方の農村から都市に、生活場所を変えるからである。食糧の自前で確保する手段のない都会に、農民が来ることで、かれらは、それに変わる食糧確保の手段に訴えるしか、生きる術はなくなる。
しかし、いずれにせよ、それによって「生きられる」のであれば、それを選ぶ人々が現れることは、必然であろう。こうして、人々は都会に集まり、そこに人が密集していく。

大阪最初の「スラム・クリアランス」によって多くの「貧民」が周辺地域に分散することになり、これが後年の「釜ケ崎」形成の起点となる。大阪市内で木賃宿のような施設を運営することが困難になるなかで、当時の大阪市域を外れた地域に少しずう新しい「スラム」が生まれ、西成郡に位置した釜ケ崎もそのひとつであった。名護町の取り払いの後も、大阪のさまざまな地域で都市の改造という名目で「貧民」を排除する事業が行われ、新たな「スラム」に「貧民」が流入することが繰り返される。

都会問題とは、貧困問題であり、公害問題である。人が集まるということは、そうして集まった人々が飢えずに生き「させる」ということであって、もしそれができないのであれば、そこか都会であることを維持できなくなる。つまり、都会と「スラム」は不可分の関係にある。都会である限り、「スラム」地域の存在を避けることはできない。公害も同様だ。都会であるということは、その都会に、企業活動が行われているということであって、なんの公害も生まない企業活動がありえないという意味で、常に、都会には公害が避けられない。
しかし、日本の政治文化において、今まで、あまり「都市」が主題とされることはなかった。

総理大臣をはじめ、派閥のリーダーとなる議員の多くは、農村の比較的競争の少ない選挙区から選出される議員であった。そのような議員たちが農村優先の政策を改めようとする契機はほとんどない。そして『日本列島改造論』の後も、第三次全国総合開発計画での定住圏モデル地域やテクノポリス指定といった地域開発の手法が続く。都市問題を苦手とする自民党が、成長の果実を、自分たちを支える農村に対して還元しようとする手法には、ほとんど変化がなかったのである。
もちろん、このような状況を大都市が「搾取」されていると考えるかどうかは人による。大都市の繁栄は、農村部の負担、たとえば東日本大震災が明らかにしたように原子力発電の立地などの上に成り立っている。その負担部分を「還元」すべきであるという議論は強いし、そのような論理が一定程度採用されてきたのも事実だろう。しかし、自民党長期政権では、財源が絞られること、大都市が自らの抱える問題に、自律的に取り組む契機が封印されてきたのもまた事実である。
その背景としては、国政で都市全体の利益を掲げるような主張がほとんど見られなかったことが大きい。都市で一定の支持を得た政党が、それぞれの支持基盤である労働組合や地域団体をはじめとするさまざまな利益団体に対する還元を志向したとしても、受益者負担をともなう都市計画事業を推進しようとする統一的な政治権力は出現してこなかった。政党につながる組織に所属しない都市の有権者が、自らの意思を反映できるような経路は存在せず、都市の勤労者層を集めることが期待された革新勢力も、期待通りの支持を集めることがなく、結果として都市における「支持政党なし」が拡大したのである。

これは、今回の自民党政権においても言えるであろう。例えば、元民主党の総理大臣だった管さんが、衆議院小選挙区で破れたことを、多くの国民は嗤っていたが、それは、いわば、都市政治家の宿命のようなもので、これを笑って地方選出の自民党政治家を「有力者」みたいにあがめていることが、結局は上記の「構造」を温存していることになっていることを分かっていない、ということになるであろう。
都市が、企業活動による企業主導の地域体であるとするなら、その地域問題の解決とは、著しく企業主導の「需要」に関係してくることが分かる。それは、例えば、ある企業向けビル地帯や、工場地帯に、隣接する地域に、大規模な住宅街を「人口」的に設置することを目指す「都市計画」となって、運動する。

市街地化されていない地域を大規模に開発し、その地域と都心部を結ぶ交通機関を整備し土地の価格を上げて売却するのである。千里ニュータウンには北大阪急行が、泉北ニュータウンには泉北高速鉄道が整備されている。これは戦前であれば、市域拡張によって大阪市が行ってきた事業であったと考えられるだろう。

東京圏は、今も、次々と、この都市拡張が続いていると言えるのかもしれない。上記の「都市計画」の特徴は、「地価」の上昇が予想できることであろう。これによって、土地バブルを起こせる。つまり、都市とは一種の「錬金術」でもある。
しかし、上記でも検討したように、日本において、東京以外の都市の未来は、非常に不確定な印象をぬぐえない。特に、戦後以降、東京に並び称されてきた、名古屋と大阪の「大都市」としての、レゾンデートルこそ、おそらく、問われている。
この前の衆議院選挙において、関西圏における、日本維新の会小選挙区での躍進は、関西圏において、大阪維新の会というか橋本大阪市長が、大きな信頼を勝ち取ってきたことを意味していたが、逆に、そのことは、

  • 大阪圏以外

における、人気のなさを示したとも言える。

ただし、国会での意思決定を通じてある地域を特別なものと認めることは容易なことではない。それは国が自らの権力を弱めることにつながるからである。二〇一二年九月に発足した橋本率いる国政政党が「日本維新の会」という名称を採用し、「維新八策」と呼ばれる文書のなかで「大阪都構想」が数ある政策のひとつに並べられていることは、この困難を象徴している。社会的合意を目指して幅広い支持を得るためには、大都市のような限られた地域の利害を訴えるだけでは不十分とみなれてしまうのである。

日本における、東京の「異常」さは、東京だけが唯一、地方交付税交付金の受け取りを拒否するという「異常」さと同値だと言えるだろう。しかし、他方において、その東京と並び称して考えられてきた、名古屋と大阪は、どのような場所として、今後の日本において、位置付けられていくというのか。
言うまでもなく、都市には都市の問題があり、それは、その地域の人にしか分かりにくい性格だとも言える。しかし、他方において、同じ都市といっても、東京とそれ以外では、また、全然違っているであろうし、その中でも、名古屋や大阪のような比較的大きいとされてきた都市と、それ以外の、都道府県の首都のような所とも、同じ都市といっても、違っている。
そう考えたとき、名古屋や大阪が、自らの「都市アイデンティティ」を主張して、大都市の利益獲得を目指して、国政を目指すとき、果して、そのことが

  • 全国区的な支持を得られるのか

は別の話のように聞こえてくるわけである。そう考えるなら、本来的にこの話は、急激な地殻変動のようなものは、あまり考えられない。漸進的にしか、この改革は進まない。じっくりと、この国の形を、国家百年の計をもって、眺望していくしか、その国民的合意はありえないだけでなく、その結果だる、国政の姿の「変革」も見通せないのであろう...。

大阪―大都市は国家を超えるか (中公新書)

大阪―大都市は国家を超えるか (中公新書)