猪瀬都知事の言ったこと

猪瀬都知事が、ニューヨークタイムズのインタビューに答えた内容が、トルコへの差別発言になるとして、問題になっている。
しかし、おかしなことは、むしろ、このことに対するネット上の反応であろう。
猪瀬知事は、最初、Facebook で、「弁明」をした。そこでは、自分の「真意」がねじまげられた、悪いのはニューヨークタイムズの方だ、という、

  • 自分は悪くない

という主張であった(しかも、日本語だけ)。ところが、翌日、全面的に謝罪をした。
まず、自分がニューヨークタイムズで話すことによって、世界的な影響を及ぼせると考えて、インタビューに応じた、つまり、ニューヨークタイムズを利用しようとしたはずだと考えるなら、その内容を糾弾されることには、反論の余地はないであろう。むしろ、猪瀬都知事自身が、自分の真意が伝わっていないと言うのなら、

  • どのように誤解されているのか

を各発言に対応させて説明すればいい。ところが、彼は翌日には、全面的にプレスを通じて謝罪を行なった。だとするなら、今度は、何が自分の発言において不適切だったと思っているのかを説明する必要があるであろう。各発言に対応させて。
その上で、私たちは、猪瀬都知事が、実際のところ、「差別主義者」なのかどうなのかを判断する必要がある。その上で、今後の東京オリンピックを目指すべきなのか、猪瀬都知事に、その資格があるのかを考えるしかないであろう。
今回の問題は、在特会朝鮮民族への差別発言が頻発している彼らのデモが、まったくとりしまられないでおきながら、脱原発や左翼の集会での公共の施設の使用を制限していることにおいても、そもそも、日本の首都東京でオリンピックを行う資格があるのかを判断しなけばならないであろう。
ところが、そういった議論は、今のところ、ほとんど起きていない。
つまり、石原元都知事の頃から、現場のリーダーが、「差別主義者」であることは、ここ日本では、日常茶飯事なわけだ。石原元都知事は、結局、中国を「支那」と呼ぶことをやめなかったが、その石原都知事

  • 政策を引き継いで

都知事となった猪瀬さんが、そもそも、差別主義者でないと、どうして言えようか。
そして、相変わらず、一人変なことを言っているのが、東さんだ。

つまりぼくは、被害者からの明確な抗議がない段階で、「これは問題になりかねない」と言って記事にするマスコミなりネットなりが嫌いなだけですよ。猪瀬氏の発言そのものについて言えば、そりゃちょっと口滑りすぎなんじゃないですか。でもそれをフレームアップするべきどうかは別判断でしょ。
hazuma 4月29日 14:00

「フレームアップすべき」と考えるかどうかは、一人一人の個人の判断であろう。事実、今回にしても、猪瀬さん自身が翌日に謝罪をしている。
それを「嫌い」と思うことは、ご勝手にであるが orz

ぼくが苛立っているのは、政治とはなにかわかっていない連中による、ネットを舞台とした安易な政治的(らしき)言説の流布一般かな。そこにはネット右翼ネット左翼も若手論壇も含まれる。
hazuma 4月29日 2:43

この人が勝手に「苛立つ」のは、ご勝手に、ですけど、国民に向かって「政治とはなにかをわかっていない」と言うことが、一つの

  • 差別的発言

だという意識もないんでしょう。国民主権の国で、国民に向かって「政治とはなにかをわかっていない」と言うことこそ、国民への最大の侮辱でしょう(つまり、国民主権とは国民の数だけ「政治」の数がある、ということであろう)。この人は、ずっと、こういった「差別」発言を繰り返している。

ぼくはすべてにおいて「テキトーな寛容」しかないというか、寛容とはすなわちテキトーであることであり、原理的寛容などは存在しないという立場です。つまりは、差別なり無理解なり偏見なりが存在することと寛容な社会は両立するというのが、ぼくの信条なんですが----これがわかりにくいんだよねw
hazuma 4月29日 12:40

原理的ってなに? そんな自分にしか通用しない言葉を使って、誰を説得しているつもりになっているんですかね。つまり、彼は自分の「差別発言」を大目に見てほしい、と言っているわけでしょう。石原元都知事や猪瀬都知事が作家なんだから、「差別発言」を大目に見てほしいと言うのと同じく。でも、それを大目に見るかどうかは、国民だけでなく、世界中の人が決めることでしょう orz。