千葉君の「ファール打ち」とルール

ここのところ、高校野球花巻東の千葉君の、いわゆる「カット打法」が話題になっている。ルール論こそ、21世紀の最も重要な課題となると考える私にとっては、この、一見ささいな話題も、大変に興味深く思われるわけである。
ユーチューブなどで、その打法を見る限り、たしかに、かなり、「バント」を行うときのかっこうが残ったまま、打ちに行っていることは確かではあるが、ほとんどの場合は、それほど問題にするような打ち方ではないようにも思われる。
では、なぜ千葉君は、高野連にクレームをつけられたのか。その辺りの、「野球の歴史」について、以下のブログによくまとまっている。

さて、イチローの先輩であるウィリー・キーラーは、現在でも適用されている、あるルールを作るきっかけになった選手としても有名だ。「スリーバントルール」だ。今でこそ、2ストライクからのバントで打球がファールになれば、その打者には三振アウトが警告される。1902年に施行されたルールだが、そのきっかけになったのがウィリー・キーラーと言われている。実際、ウィリー・キーラーは得意な球が来るまでバントで粘るという戦術をとっていた。スリーバントルールが当たり前になっている現代から見ると、ウィリー・キーラーの作戦は何ともセコイものだが、彼がルールを変えるだけの打者だったことは否定できない。

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興味深いのは、ネット上において、いろいろと「法律家」のような人たちが、野球のルールブックの「文言」(=一個一個の単語の意味)から、千葉君の打法を「擁護」しているわけだが、このブログでは、むしろ、そのルールが生まれた歴史的な「立法意志」にまで遡って考察している、ということである。

  • なぜ、スリーバント失敗がバッターアウトになったのか。
  • なぜ、「カット打ち」(=度を越えたファール打ち)がバントとされるルールが生まれたのか。

こういったことには、これを禁止するようになった、「歴史的事件」が過去にあったから、そこで「反省」されたルールだということである。
(つまり、バントは比較的ファールにしやすい特性があるところから、甘いボールが来るまで、「バントで逃げる」行為と、野球ルールがずっと戦ってきた、ということになるだろう。)
さて。千葉君は間違っていたのか? 大事なことは、

  • そもそも、そのことを判定するルールはない

ということである。つまり、これは「メタ」の議論だということである。
しかし、なぜこのことが「問題」となってきたのかを考えたとき、事実として、千葉君が脅威的な成績をおさめ始めたことがある。
そのとき、大会運営側が、野球ルールの「立法精神」から、再度「反省」を強いられた、自分たちが行っていることの「正当性」が疑われた、ということなのである。
例えば、野球をやったことがある人は、野球において、ピッチャーの「ボーク」が、「非常に厳しい」ルールになっていることを知っている。ちょっとした、動作でさえ、ボークをとられる。
考え方として、ここまで厳しくすると、スポーツの自由性、ダイナミックスを損うので、おもしろくないんじゃないか、と考えることもできるであろう。
しかし、他方において、ルールの抜け道を使って、何時間でも、バントでファールを打ち続けて、試合が終わらないゲームを私たちが見たいか、というと、それはそれで「結果としてそうなった」ゲームを見たいとは思わないかもしれない。
しかし、たとえそうであったとしても、「ルールの中」において、選手が技術をみがき、努力してきたものを、そう簡単に「反則」と言えるのか、には賛否両論あるであろう。多くのイノベーションは、そもそも、「法律違反」スレスレのアイデアが多い。というのは、そういったグレーゾーンだから、人々は忌避して、避けて来たのだから(グーグルの検索機能もそういったものの一種であろう)。むしろ、法律違反で「あるにもかかわらず」、人々が

  • それなしでは生活できない

くらいに、普及してしまった「後」において、むしろ、法律の方が、その存在を後追いで「肯定」してしまう(法改正を行わせてしまう)のが、イノベーションだとさえ言ってしまえるのかもしれない。
上記の千葉君の例にしても、むしろ、日本のプロ野球では、それは「高等技術」として、評価されているように、思われなくもないし、もっと言えば、こういった「境界線」に、必ずしも、体格の大きい人でなくても、その技術を競える「余地」があり、競技としてのエンターテイメント性を高める部分があるのかもしれない。
そういった意味で、私はあまりこの議論をどちらかに倒して、判断したいとは思わない。どちらに傾くにせよ、その結果としての、歴史的推移が、ルールとどのように関係していくのかの、その「意味」を「フェア」に考察する視点はどこにあるのか、を興味深く思っている、ということである...。