理解と責任

以下の記事は、少しおもしろかった。

このことが意味するのは、「公的な場」で、沖縄振興なり基地問題についてはどうすれば納得するかについて「現実的な回答」を沖縄県庁の役人はしたくないということなのだ。何故ならば、仮に「こうしてくれれば満足します」と「理解」を示した瞬間に責任を引き受けなければならないからである。例えば、オスプレイについて「理解」を示した瞬間、万が一墜落した際は沖縄県も責任を取らねばならない。移設に「理解」を示せば、その移設の経過で反対派の危険な行動によって死者が出れば沖縄県も責任を取らねばならない。
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この記事は、ようするに、現在の安倍政権の「理解を求める」政治手法への疑問を呈している、ということになるであろう。
相手に「理解を求める」とき、相手が「自分たちが満足する条件」をバーターとして示したとき、当然、そのことによってもたらされる、あらゆる「結果」を

  • 共犯的

に引き受けたと解釈される。つまり、基本的に、「理解を求める」と言われた側が「こうしてくれれば満足します」と、条件付理解をすることは「ない」ということなのである。
ここで、何が問われているのか?
「理解を求める」という態度は、「自分が言いたいことを言う」という態度である。そして、その「言った」こと、

  • そのまま

を認めろ、と要求する態度である。つまり、相手の事情に関係なく、こちらが「言った」ことを認めろ、ということである。
問題は、その「理解を求める」と言っている内容が、相手の主張(=価値観)と共存ができない場合に、それでも、「理解を求める」と言うこと自体が、

  • 相手への挑発

だ、ということである。

要するに「理解」を得るというのは、同時に相手にも「責任」を要求することなのだ。だから、靖国神社参拝について、米中韓に理解をしろというのは極めて愚かであるし、挑発でしかない。米中韓にも、その結果についての責任を共有しろと言っているのに等しく、中韓は国内的に、米国は外交的に不可能だからだ。まさしく、先日の論考で引用したように、知日派ボストン大学のグライムス教授が「安倍首相一人の為に米国が歴史認識を変更するのは無理」なのである。故に、靖国で理解を求めるという目的は、実現は不可能であるし、余計に相手を挑発するだけなのである。
「理解を求める」「広報外交」という、安倍政権の「根性論外交」の無意味さ – アゴラ

大事なことは、「理解を求める」と言っている側が、相手の立場から考えて、

  • あなたの主張は、以下のようでありますが、その主張のここの部分は、次のように考えれば、私の主張を認められるのではないですか?

といったような、論理的な「説得」になっていない場合、たんに、自分の主張を言っているだけの場合、それは説得になっていない(いわゆる、熟議が成立していない)ということなんですね。
つまり、それは、説得ではなくて、「恫喝」だということになる。
安倍首相は、原発再稼働について、国民に「理解を求める」。ところが、原子力規正委員会は、事故時の、住民避難の可否については再稼働の認定には、考慮しないとなっている。つまり、その一切の責任を、都道府県知事の「判断」に押し付けている。もちろん、事故によって、土地を手放さなければならなくなった場合の「保障」についても、住民との

  • 事前の合意

はない。つまりは、事故が起きるたびに、今回の福島第一のように、土地を手放すことになる住民が、まったく「こういう保障が受けられるので、しょうがない」と納得していないまま、故郷を離れさせられることになる。常識的に考えて、「理解」とは、こういった諸懸念について、お互いが、納得する議論の到達点に至って、始めて「理解」をうんぬんすることに意味があるはずなのに、そんなことの「以前」から、理解しろと恫喝する。
同じことは、特定秘密保護法の成立時にも起きた。今の法文そのものが、さまざまな懸念を想定されるから、書き直せ、と言われて、いや、私たちの解釈は、こうこうなんだから、その懸念は杞憂です、と言うだけで、直そうとしない。だから、お前らが政権交代したら、その政権がその「解釈」と踏襲するとは限らないだろう、と言っても、「なぜか」まったく考慮しない。
特に絶望的なのが、安倍首相の靖国参拝であろう。
戦勝国側にとって、第二次世界大戦は、ドイツ、日本などの「A級戦犯」が起こした「犯罪」であって、その「犯罪」をとりしまったのが、この戦争だったとなっているだけでなく、その「戦後レジーム」を、ポツダム宣言サンフランシスコ講和条約などを経て、敗戦国側が

  • 受け入れた

という「形」で、戦後の世界秩序が作られていると、戦勝国側が考えているのに、その「戦後レジーム」は間違っている、僕のじっちゃんは「悪いこと」なんてしていなかった、それを分かってほしい、と言い始めたとするなら、

  • じゃあ、なぜ、そうだと、あなたは主張するのか?

について、この解釈に沿った形で「反論」ができなければ、たんに言っているだけ、「恫喝」しているだけに聞こえるであろう。
つまり、A級戦犯を「神」としている靖国神社で参拝したということは、A級戦犯を「神」としている「宗教」の信者であるということで、つまり、「神」ということは、西洋の解釈では、「絶対的に正しい」存在ということになるわけで、つまりは、A級戦犯の行った行為は「正しい」と言わなければ嘘になるということで、理解されない、ということなのだろう。
いっそのこと、靖国神社は「宗教ではない」し、神は「ゴッドでない」、なんだか説明できないけど、西洋で言う宗教とは違うものなんだ、と言ってみるということもありうるのかもしれないけど、むしろ、言いたい「本音」が、「じっちゃんたちは間違っていなかった」なのでしょうから、安倍首相が首相である限り、靖国参拝を止めないのではないか(さっさと、リベラルな政権に交代してもらうのが、ベストではあろうが)。
そうである限り、日米首脳会談は、永遠に行われない。なぜなら、アメリカの大統領と、安倍首相が、会談をしているとき、安倍首相が、急に、勝手に、「A級戦犯は悪ではなかった」「あの戦争は間違っていなかった」とか言い始めるリスクがぬぐえない。そうなった場合、その場で、立場上、アメリカの大統領が、日本との友好関係の破棄を言わざるをえなくならないとも限らない。
つまり、あまりにも、「なにを言い始めるか、どんなトンデモを言い始めるか、わからない」ので、危険すぎて、とてもツーショットの会談なんかできない、というわけである...。