ダロン・アセモグル『国家はなぜ衰退するのか』

(ジェイムズ・A・ロビンソンとの共著。)
この地球上には、すでに、国家がある。無数にある。その国家のうち、幾つかの国家の国民は「裕福」である。それらを、私たちは、戦後、「先進国」と呼んできた。アメリカや日本や北欧の国々。そして、最近は、ブリックスなどといって、それ以外にも、多くの国々の産業の新興が著しい。
他方において、依然として変わらず、国民が貧しい国がたくさんある。多くの有識者は、その理由を、地理や文化のような「風土」によって説明する傾向があった。しかし、この本においては、この傾向をなんらかの「制度」において、統一的に考えようとしている。
大事なことは、なぜ、なんらかのイノベーションが生まれ、それが、社会に普及していくのか、ということである。それは、たんに、その機能が便利だから、ではない。たとえ、それが便利であったとしても、その波及する効果が大きいとき、普及しない可能性がある。つまり、そういった「抵抗」を乗り越えて、イノベーションは普及してくるわけである。

  • 国家:支配者 --> 被支配者

国家は、大まかには、支配者と、被支配者に分けられる。こう言うと、戦後の日本は、国民主権なのだから、支配者と、被支配者は「同一」ではないのか、と言いたくなるかもしれない。しかし、いずれにしろ、こういった区別は有効である。
ここで言いたいことは、この国家においては、支配者が「主体」だということである。つまり、支配者にとっての、なんらかの「ホメオスタシス」が、現在の国家の「制度」を規定するわけである。
一般に、国家とは、支配者による、被支配者への「収奪」の装置と考えられている。つまり、この装置が、上記の支配者にとっての「ホメオスタシス」を実現する。この場合、被支配者は、この「ホメオスタシス」にとっての

  • 手段

であることに注意する必要がある。しかし、大事なことは、この「手段」は、自らの「意志」をもった「生活者」である。たとえ、「手段」であっても、それは、形式的にそう言っているにすぎず、この強制は、そう簡単には成功しない。では、支配者が被支配者から、恒常的に「収奪」をし続けられるためには、どのような条件が必要であろうか? 

先住民は搾取できなくても、おそらく入植者ならできるだろうというのが、ヴァージニア会社の考えだった。入植地を発展させる新たなモデルの一環として、ヴァージニア会社がすべての土地を所有することになった。男たちはバラックに寝泊まりし、会社が決めただけの食糧を配給された。作業グループが選定され、会社の差配人が各グループを監督した。手っ取り早い処罰として死刑があったのだから、この制度は軍の法に近かった。植民地の新たな法令の一部として、先に挙げたばかりの第一項は重要だ。ヴァージニア会社は逃げる人々を死で脅したのである。新たな労働体制が敷かれると、逃げ出して現地人と共に来らすことは、働かねばならない入植者にとってますます魅力的な選択肢となった。当時のヴァージニアには、先住民すらまばらにしか住んでいなかったことを考えると、ヴァージニア会社の支配の及ばない辺境で独力で生きるという展望を持つこともできた。現にこうした選択肢があったせいで、ヴァージニア会社の力は限られていた。必要最低限の食料を配給するだけでは、イングランド人の入植者に重労働を強制することはできなかった。
前ページの地図2に、スペインによる征服当時のアメリカ大陸各地の人口密度が推定値で示してある。合衆国の人口密度は、一部の地域を除き、一平方キロメートル当たりせいぜい四分の三人だった。メキシコ中央部やペルーのアンデス地方では、一平方キロメートル当たり四〇〇人にも達しており、合衆国の五〇〇倍を超えている。メキシコやペルーでできたことも、ヴァージニアではできそうになかったのだ。
初期の植民地化モデルがうまく機能しないことをヴァージニア会社が認識するまでには、ある程度の時間がかかった。「神、道徳、軍の法」が浸透するのにも、しばらく時間がかかった。一六一八年以降、きわめて斬新な戦略が採用されることになった。現地人も入植者も強制的には支配できなかったため、残された唯一の策は入植者にインセンティブを与えることだった。一六一八年、ヴァージニア会社は「人頭権制度」を始めた。男の入植者にそれぞれ五〇エーカー(約〇・二平方キロメートル)の土地を与え、その家族のそれぞれと、一家族がヴァージニアに連れてくるすべての召し使いにさらに五〇エーカーの土地を与えることにしたのだ。入植者は家を与えられ、契約から解放された。一六一九年には一般議会が新設され、事実上すべての成人男子に、植民地を律する法と制度の決定権が与えられた。これがアメリカ合衆国の民主主義の始まりだった。

支配者が欲しいのは、被支配者が提供する「収奪」品である。支配者にとって、自らの、なんらかの「ホメオスタシス」のために、この「収奪」品が、恒常的に収奪できなければならない。ここで大事なポイントは、支配者が欲しいのは、あくまで、「それ」なのであって、つまり、

  • それ以外

のことについては、なにも定義していない、ということである。つまり、支配者にとって、被支配者を、あくまでも、「手段」と考え、その「効率」のみを追求するとき、一見すると、被支配者を「奴隷」にして、こき使っていれば、「なんの無駄もない」ベストの選択のように思われる。
しかし、言うまでもなく、被支配者も「意志」をもった存在である。その扱いが、自らにとっての「モチベーション」を与えるものでない限り、長くは続かない。いずれ、抵抗運動を始める。一番、てっとり早いのが、

  • 逃走

である。つまり、もっと条件のいい、別の仕事先を探せばいい。
ここまでの関係をまとめよう。

  1. 支配者は、被支配者から、「ホメオスタシス」のための「収奪」を必要とする。
  2. そのための、一番単純な形は、被支配者の「奴隷」化である。
  3. 大事なことは、支配者にとっての「ホメオスタシス」なのであって、そのためであるなら、この「収奪」のための「奴隷」形態は、より自由を許す側に傾く判断を支配者側がすることはありうる(一種の、自由や福祉の許容)。
  4. しかし、逆に言うなら、支配者にとっての「ホメオスタシス」が実現されていると思えるくらいの「収奪」が実現できているなら、支配者側は、わざわざ被支配者の自由をより拡大しようというモチベーションをもちにくい。
  5. つまり、支配者にとっての必須条件が収奪の恒常化であるが、収奪の究極形態である奴隷化は被支配者にとって、収奪のための絶えざるイノベーションの向上を目指す意欲を減退させる。
  6. ということで、支配者はある程度の奴隷からの解放を許容しがちであるが、そもそも、支配者にとって大事なのは収奪の恒常化の方なのだから、多少のイノベーションの停滞があったとしても、「無関心」であることも往々にして起きやすい(支配者は、イノベーションの重要さを忘れ「堕落」しやすい)。
  7. というか、逆に、支配者は、そもそも「独裁者」なのだから、独裁者の決まぐれが、社会の根底的な部分を破壊することは、いつでも起きうるし、そうなったときに、だれかがこの動きを止めることが可能な社会のストッパーは「存在」しない。

つまり、基本的に、社会は、「堕落」するようにできている。長い年月は、国家の独裁者の「決まぐれ」による、国家破壊行為が起きる

  • 確率

を必然的に上げてしまう。つまり、支配者による「自爆」によって、国家は長い時間の経過の果てに、「堕落」していく。
ここで、なぜイノベーションが重要なのかは、つまり、支配者が被支配者から「収奪」するものは「経済」的な成果だからだ。つまり、イノベーションが重要なのは、これが、グローバルな「競争」に関係するから、である。

イノヴェーションのためのインセンティヴをもっと明確に産み出すべく、ソ連は一九四六年にそのものずばりイノヴェーション・ボーナスを導入した。早くも一九一八年には、イノヴェーターは自分の起こしたイノヴェーションに対して金銭的報酬を受け取るべきだという原則が認められていた。しかし、報酬は少額に設定されており、新たなテクノロジーの価値とは関連していなかった。これが変わったのは一九五六年になってようやくのことだった。ボーナスはイノヴェーションの生産性に比例すべきだと規定されたのである。ところが、既存の価格システムによって測られた経済的利益に応じて生産性が計算されたため、これはまたしてもイノヴェーションへの大きなインセンティヴとはなからなかった。これらの構想から生じたインセンティブの例を挙げれば、いくらページがあっても足りないくらいだ。たとえば、イノヴェーション・ボーナスの資金額は企業の賃金総額によって制限されていたため、労働を節約するイノヴェーションを創出したり採用したいするインセンティヴはてきめんに低下してしまったのである。

ソ連は、社会主義国家であったのだから、そもそも、私有財産が認められていない。よって、国民には、働くことのモチベーションがない。確かに、上記のように、イノベーションを認めることで、労働者の動機を煽ろうとしたのだろうが、うまくいかない。それは、イノベーションが無駄であることを意味しているのではなく、そもそも、ソ連の社会体制「全体」が、私有財産を認めないことを前提として、全てが組み立てられているから、そんな一部だけのイノベーションの国家による奨励なんて、無意味だったからなのだ。

技術革新は人間社会を繁栄させるが、新旧交代も引き起こすし、一部の人々の経済的特権や政治権力も破壊する。持続的経済成長には新しい技術と新しい方法が必要で、それらはリーのような新参者によってもたられることが少なくない。そうした経済成長は社会を豊かにするだろうが、それが引き起こす創造的破壊の過程で、リーの技術によって失業しかねなかった編み手のように、旧来の技術で仕事をする人の生活が脅かされる。より重要なのは、リーの靴下編み機のような大きな技術革新が政治権力をも刷新するおそれがあったことだ。結局、エリザベス一世とジェームズ一世がリーの特許に反対したのは、彼の機械のせいで失業するかもしれない国民の身の上を案じたからではない。政治的敗者になるのを恐れからだ。発明によって除外された人々が政治的不安定を生み、王の権力を脅かすことを懸念したのだ。ラッダイト(一二八ページ)について見たように、編み手のような労働者の抵抗は、やり過ごせることが少なくない。だが、エリートは、ことに政治権力が脅かされたときには、イノヴェーションに対してより手強い障壁を築く。創造的破壊によってエリートが多くのものを失うという事実は、彼らがさまざまなイノヴェーションの導入者にならないだけでなく、そうしたイノヴェーションに抵抗し、その導入を阻止しようとしがちであることを意味する。そのため、社会がきわめて抜本的なイノヴェーションを導入するためには新規参入者を必要とし、そうした新規参入者と彼らがもたらす創造的破壊は、いくつもの抵抗の根源に打ち勝たなくてはならない。そのなかには強力な統治者とエリートの抵抗も含まれる。

ソ連の堕落は、一見すると、社会主義国家体制の問題のように思われるかもしれないが、そもそも、イノベーションを国家が「弾圧」することは、自由主義国家であろうが、普通に見られる光景である。
なぜか。
それは、そのイノベーションが決定的に、産業構造を変えてしまうからだ。産業構造が変わるような事態を、その変化によって、明らかに「損をする」ことが分かっている側の守旧派が、わざわざ、自分たちが損をすると分かっていて、その変化を礼賛するだろうか?
この事態は、まさに、現在の日本における「原発」利権が、非常によく、象徴している。福島のあれだけの事故が起きながら、あい変わらず、「脱原発」批判は、とどまることを知らない。こんなもの、今すぐ、日本中からなくせばいいものを、逆に、自民党は、これを「基幹電源」にするとか、今まで通りの「原発の夢よもう一度」を捨てることができない。
というのも、まず、原発を推進してきた人たちは、例えば、東京大学原子力工学科の出身の、いわば、優秀な大学を卒業した、高学歴者ばかりである。つまり、東京電力などの、電力会社の社員は、みんな、高学歴者なのだ。彼らは、こういった、高学歴出身者を、路頭に迷わせるようなことをしたくない。つまり、高学歴連中はお互いの、「務め先」を守ろう、という「学閥同士の保持意識が強い」わけである。
同じことは、エリート官僚にも言える。彼らは、次々と、東電に天下りをしていたし、大量の今は不要な、原発関係の独立行政法人を作りまくって、天下りをしている。もしも、脱原発が実現したら、こういった無意味な原発独立法人は、今すぐ、一つたりとも残す必要がなくなる。全部、一瞬で無くさなければならないことになる。そう考えるなら、エリート官僚たちの、

を用意できない限り、彼らは、陰に陽に、脱原発を徹底して握り潰そうと工作してくる。
つまり、一切のイノベーションは、守旧派によって、握り潰されるのだ!

イングランドの歴史においても、君主と臣下、権力を求めて闘うさまざまな派閥、エリートと市民のあいだで対立が繰り広げられてきた。だが、対立のもたらした結果は、必ずしも権力者の力の強化ではなかった。一二一五年、国王のすぐ下のエリート層であるバロンがジョン王に立ち向かい、ラニミード(一六〇ページ、地図9参照)でマグナ・カルタ(「大憲章」)に署名させた。この文書に定められたいくつかの基本原理は、王の権威に大胆に挑むものだった。重要なのは、増税をするためには、王はバロンに諮らねばいけないとしたことだ。最も議論を呼んだのは第六一条で、「バロンは彼らが望むバロン二五名を選び、選ばれたバロンは全力を挙げて、朕のこの憲章で朕が承認し確証した平和と自由を尊重し、維持し、尊重させるものとする」と定めている。結局、バロンは国王にこの憲章を確実に実施させるための評議会をつくり、国王が順守しない場合、二五名のバロンは「......修正がなされたと彼らが裁定するまで」王の城、土地、財産を押収する権利を持つということだった。ジョン王はマグナ・カルタが気に入らず、バロンが解散するや、ローマ教皇に働きかけて廃棄を命じてもらった。だが、バロンの政治力も、マグナ・カルタも存続した。イングランドは、多元主義へ向かう第一歩をそろそろと踏み出した。

もちろん、現代の日本においても、ただ、守旧派によって、原発再稼働を指をくわえて見ているわけではない。原発を稼働しなくても、電気不足にならないように、エネルギー・シフトが、さまざまなレベルで起こり始めているし、その動きを主導しているのは、民間の活力である。
では、どのようにして、原発推進派の、悪魔の囁きに対抗できるのか? 例えば、こんなふうに考えればいい。もしも、戦前のように、天皇が国王だったとしよう。その場合、原発推進派は、政治家を通してなどして、天皇に近づき、天皇原発推進を話させる。そうすることで、なんとしてでも、既得権益が毀損しないようにするわけだ。
しかし、もしもそんなふうにして、あらゆることに、国王が介入してきたら、すべてのイノベーションは握り潰され、イングランドにおける、産業革命は起きていなかったであろう。では、なぜイングランドにおいて、産業革命は起きたのか? それが「立憲主義」である。つまり、議会が、「契約」によって、国王の振るえる権力の「範囲」を制限したのである。いや。逆に言えば、国王「自ら」が、その制限に自分から従うと宣言した、ということである。
しかし、もしもこの事態が国王側にとって、「致命的」であったなら、おそらく、こういったことは行わなかったであろう。つまり、大事なことは、こういった「契約」が、必ずしも、国王側に不利であったわけではない、ということである。国王が、さまざまな国内における利益争いに巻き込まれると、その国王自体の「正当性」が弱まる可能性が大きくなる。つまり、国王の長期的な存続可能性が弱まる。そう考えるなら、「立憲主義」は合理的でもある。つまり、立憲主義の場合は、形の上では、現在の秩序を産み出したのは、国王の「契約」だったという形になる。
事実、日本の戦後憲法も、大日本帝国憲法の「中」の、改正手続きに則って、生まれた憲法と考えられる。つまり、むしろ、この憲法改正を主導したのが、昭和天皇なわけで、この事実が、国民の昭和天皇からの「贈与」への「恩義」を長く感じさせてきたわけである。

明と清が外国との交易に反対する理由はもうおわかりだろう。創造的破壊への恐怖だ。統治者のいちばんの目的は政治の安定だった。イングランドの商人が大西洋の両岸で勢力を拡大していたように、外国と取引すれば、商人が豊かになって大胆になり、政治の安定が損なわれるおそれがあった。こう思っていたのは明と清の皇帝だけでなく、宋の皇帝も同じだった。宋の皇帝は、技術革新を支援し、より広い交易の自由を認めてはいたが、それも自分の目の届くところまでという条件つきだった。明と清の時代になると事態は悪化し、経済活動に対する国家の締めつけが一段と厳しくなり、海外交易は禁止された。たしかに、明・清時代の中国には国内市場が存在し、国内の経済活動への課税率はずいぶん低かった。しかし、それもイノヴェーションを支えるところまではいかず、実際には商業の発展と商業の繁栄が政治の安定の犠牲になった。こうした絶対主義による経済の支配が行きつく先は見えている。ほかの国の工業化が進む一方で、中国経済は一九世紀から二〇世紀初めまで停滞していた。一九四九年に毛沢東共産党政権を樹立したときには、中国は世界の最貧国の一つになっていた。

そうは言っても、国王側が自分の力で、その関係に気付くことは、歴史上少なかったと考えるべきであろう。むしろ、国内の既得権益の利害を代表していた方が、国内的な権力バランスとしては、「安定」しやすい、と考えるべきである。
上記の引用は、『中国化する日本』という本の、一定の批判になっているのかもしれない。もしも、宋以降の中国が、そんなに自由主義で、すばらしかったのなら、当然、中国が産業革命をやっていたはずであろう。
日本の江戸時代の「鎖国」が日本の停滞の原因としてよく言われるが、むしろ、中国がある意味で鎖国だったし、日本はむしろ、長崎の出島を使って、中国並みには「開国」だったと言えないこともない。つまり、中国も日本も、支配者側の「需要」においては、この程度で十分だった、ということなのである。
なぜ、日本の明治以降の産業革命は「成功」したのか? それは、江戸時代における、ほとんどの国民が「農民」だったから、ということなのではないか。つまり、それ以外の、呉服や家具などを作っていた人たちや運送業などは、非常に小さな家族経営の組織体しかもたず、政治的影響力も小さかった。だから、文明開化に対して、強力な抵抗勢力とはならなかった(実際、こういった集団が、同じように、文明開化の主導的担い手になって行った側面もあったのだろう)。
対して、中国では、おそらく、宮殿お抱えの、日用品を作り続けていた伝統的な職人集団の強力な圧力団体としての実力があったのではないか。そのため、どんな海外からの変化も、国家レベルの所で、握り潰されてきた。
しかし、同じことは、世界中において、今も、「ラッダイト」運動として続いている。原発も似たようなものであろう。
では、今後、この状況は変わるであろうか? 私は、少なくとも、今までのような形では、「ラッダイト」運動は成功しないと思っている。それは、

  • 情報

が、これだけの速さで、世界中を回るようになっているからである。東欧の民主化革命は、ラジオなどにより、欧米の生活水準の高さが、情報として流入していたことが、きっかけだったと考えられている。中国の改革開放政策も、つまるところは、欧米の物質的豊かさを情報として国民が知って行ったことが、彼らの自主的な生活レベルの変革を動機づけていった。
ある意味、中国における大気汚染と日本の原発事故は似ている。つまり、両方とも、「公害」の一種と考えれば、である。公害の特徴は、それが「文明病」だと言えることであろう。文明の発展が、その負の側面である、公害物質の排出を「必然的」に生み出す。興味深いことに、こうして、「文明病」としての公害がたれ流されると、住民は病気になるが、

  • 医者は儲かる

わけだ。つまり、公害は資本主義の運動を強く進める。このことは、戦争についても言える。戦争で人が死ねば、病院は「儲かる」し、武器が売れることで、武器商人は儲かる。好戦的な知識人はマスコミにひっぱりだこになる。しかし、言うまでもなく、公害も戦争も多くの「犠牲者」を生み出す。つまり、上記のフレームで考えるなら、

  • 被支配者

の側の状態は、「奴隷」化に近づき、こういった状態の慢性的継続は、被支配者にとっての「逃走」の動機を与える。
私たちのこの「ゲーム」は、いいとこ取りはできない。つまり、一方の「欲望」を全て叶えたから、「勝利」ではない。一方の極端な欲望充足は他方の「不満」の増大を招き、力のバランスの崩す。だとするなら、支配者、被支配者に関係なく、お互いが、この

  • バランス

の継続を「意識」して、ゲームすることが重要だ、ということである。しかし、そもそもシステムは長い時間と共に、「堕落」する。長い時間は、多くの作法を時代遅れの「ださい」慣習に変え、人々は、その時代遅れの慣習を毛嫌いし、目新しい、「やんちゃ」な悪ふざけにひかれていき、戦争や公害といった、社会システムのバランスの崩壊を引き起こす。
いかにして、システムの「新鮮」さと、システムの崩壊をもたらさない「バランス」を全プレーヤーが意識して、維持し続けることを、動機づけられるか? 私たちは、確かに、その「実験」の世紀を生きている。少なくとも言えるのは、被支配者たちに、なんらかの生き続ける「動機」を考える「余裕」を残すような、

  • 自由

を担保する生活の「豊かさ」を「全て」の国民が少なからず感じられない限り、この「実験」は、そういった局部から「腐り」始める、ということである...。

国家はなぜ衰退するのか(上):権力・繁栄・貧困の起源

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