澤井正子「核燃料サイクルの本当の話をしよう」

私が原発が嫌いなのは、たんに、原発が危険だからだけではない。原発に関わる高学歴エリートの連中が、平気で

  • 嘘(うそ)

をつくからだ。彼らは、原発のことだけは「例外」として、いくらでも「嘘(うそ)」を言ってもいい、と思っているらしい orz。

安倍政権が4月に決定した「エネルギー基本計画」では、原子力発電を以下のように位置づけている。
「燃料投入量に対するエネルギー出力が圧倒的に大きく、数年にわたって国内保有燃料だけで生産が維持できる準国産エネルギー源として、優れた安定供給性と効率性を有しており、運転コストが低廉で変動も少なく、運転時には温室効果ガスの排出もないことから、安全性の確保を大前提に、エネルギー供給構造の安定性に寄与する重要なベースロード電源である。」
この一段落で一文の長文の意を、即座に正確に理解することは容易ではない。特にわからないのは、「数年にわたって国内保有燃料だけで生産が維持できる準国産エネルギー源」というくだりである。
「準国産エネルギー」とは? かつてそれはプルトニウムをさして使われていた。ところが今は違うらしい。東京電力のウェブサイトでは、
「この(核燃料)サイクルが確立すると、ウランやプルトニウムは、国産のエネルギー資源みたいに使うことができます。そのために、ウランやプルトニウムを準国産エネルギーというのです。」
とある。全量輸入されているウランは、石油や石炭と同じように外国産のエネルギー源なので?「このサイクルが確立すると」と東京電力も断っているように、確立できていないのだから、やはり準国産とは言えないはず。昔、原子力発電によるウランの核分裂反応の結果、副産物として原子炉内に生じるプルトニウムを「準国産エネルギー」と言っていた。ところが、いつのまにかウランまで「準国産」になっている。
一方、「数年にわたって国内保有燃料だけで生産が維持できる」というのは、もっとわからない。核燃料はなるほど3〜4年原子炉に装荷されている。しかし実際は、燃料の1/3〜1/4を新燃料に毎年交換しており、5%以下の濃縮度で燃料の取り替えなしで数年運転するのは実際は無理だろう。

私には、この

的な言説を、国家の最高機関である、経産省が「大まじめ」で言っているという「事実」自体が、あまりにも、恐しすぎると思っている。
そもそも「サイクル」とは、何を言っているのか。
まず、そもそも、この「サイクル」は、今もって実現できていない。つまり、実現できていないものを「原発とはサイクルで<ある>」と言っていることの意味とはなんなのか、なのである。じゃあ、いつ「サイクル」になるのか。いつなることが「保証」できるのか。いつになったら、達成できるのかさえ分からない「なにか」を、そうであると呼ぶことには、なにか、根源的な欺瞞があるとしか思えない。
しかし、この「嘘(うそ)」の、どこまでも広がる無限の「ばかばかしさ」は、こんなものでは終わらないわけである。
上記において、指摘されているが、まず、私たちが普通に考える「サイクル」は、

  • それ自体

において成立しているものを言うであろう。ところが、そもそものところで、かなりの量が、新燃料を使わなければ成立しない、と言っているわけである。
こういったものに「サイクル」という呼び名を付けるものだろうか?

いわゆるプルサーマル燃料(1/3MOX燃料)は、燃料集合体平均でプルトニウムが約5%、ウランが95%の組成である。六ヶ所再処理工場のMOX粉末はプルトニウム50%、ウラン50%でプルトニウムの濃度が高すぎるので、このMOX粉末にウランをまぜてプルトニウム濃度をさげる必要がある。材料の搬入先として、日本原燃の資料は、プルトニウム(MOX粉末)は「再処理施設から」、ウランは「再転換施設から」としている。再処理工場からではない。「再転換」とは六フッ化ウランの再転換を意味していて、MOX燃料製造に新たに利用されるウランは、六ヶ所ウラン濃縮施設に貯蔵されている劣化ウラン(ウラン238が約99・9%)を再転換して利用する計画なのである。つまり、日本原燃自身にも、六ヶ所再処理工場の回収ウランを使用する予定はまったくない。それは再処理回収ウランが、燃料とするにはとても扱いにくいためだ。

日本中の50基近くある、原子力発電所を運転すると大量の放射性廃棄物が生成される。そのほとんど90%以上が、劣化ウランと呼ばれているものである。普通に考えるなら、「リサイクル」しています、と言うなら、このウランを「リサイクル」していると考えるであろう。ところが、それはやっていない。
なぜか。
儲からないし、危険だからだ。そして、ここで「リサイクル」すると言っているプルトニウムは、たった、1%近くにすぎない(そして、残りの数%が、その他の高レベル放射性廃棄物なりの、中間生成物だというわけである)。
驚くべきことに、この、たったの「1%」ばかりの、なにがしかのために、

  • サイクルしています

と言っている、というわけなのだ。
しかし、話は、これで終わらない。
その「1%」のなにがしかを、抽出して「再利用」するために、一体、何が起きているのか。

次に”Reduce”である。使用済み燃料を再処理することによって高レベル放射性廃棄物が減容化され、有害度が低減されるという、まるで環境に対して大きな利点があるような主張である。
高レベル放射性廃棄物は、再処理工場ではガラス固化体に製造される。なるほど、BNFL(英国核燃料会社)もCOGEMA(仏の核燃料企業)も、再処理で生じる高レベル廃棄物の量を減らすことに多大の投資をしてきた。よく言われるのは使用済み燃料とガラス固化体の体積の比較であり、体積比だけをみれば1/4になるかもしれない。しかしこれは比較できないもの同士を比べていて、およそ科学的議論とは言えないだろう。前項でも切らかにしているが、使用済み燃料には、94%のウラン、1%のプルトニウム、そして5%の高レベル放射性廃棄物が含まれる。一方のガラス固化体には4%の高レベル放射性廃棄物しか含まれていない。使用済み燃料中の95%は分離されて、別の場所に貯蔵されているだけだ。たとえガラス固化体を地層処分できたとしても、地上に残された膨大な回収ウランはどうなるのだろうか。

「恐るべき」ことに、日本の政府エリートは、リサイクルによって「ゴミが減る」というような、宣伝をしているということである。
なぜ、これが「恐ろしい」のか?
それは一体、どこの、どんな「量」が、どれだけ減ったという話なのか、ということなのである。すでに言ったように、原発から排出される、90%以上の劣化ウランは、なんにもリサイクルされていない。ただ、中間施設に貯蔵してあるだけである。さて。それで、何が減ったと言っているのであろう。
しかし、もっと欺瞞的なのは、そもそも、この「再処理」

  • 自体

が、その行為において、何が起きているのか、なのである。

むしろこの減容化議論で問題なのは、再処理に伴って必ず発生する大量の中・低レベル廃棄物について徹底的に無視していることではないだろうか。

笑ってしまうことに、そもそも、再処理も一つの「物理反応」だということである。つまり、この「再処理」という物理反応によって、たんに、プルトニウムが抽出され、再度、原発に使うというだけでなく、この「過程」で

  • 膨大

な、中間生成物、つまり、この「再処理を行わなかったら発生しなかった」高レベル放射性廃棄物が、大量に生み出される。
リサイクルをやると言っている、その端から、大量の「ごみ」が生みだされる。
つまり、どんどん、どんどん、「リサイクル」をやる端から、どう管理したらいいのかも分からないような、高濃度の危険な放射性廃棄物を、生み出し続けられる。
つまり、何がリサイクルなのか、さっぱり分からない、というわけなのである orz。
よく考えてみてほしい。ただでさえ、こういった「高レベル放射性廃棄物」は扱いが難しい。もちろん、人間が簡単に近づけるわけがない。もしかしたら、さまざまに、揮発性などをもっていて、簡単に空気にふれさせることさえ、やってはいけないかもしれない。
もしも、である。
もしも、こんな、原発以上に危険な物質を次々と作り出してしまう場所で、「大爆発」を伴うような「事故」が起きたら、一体、何が起きるのだろうか。
言うまでもない。
福島第一など比べものにならないレベルの、高濃度の放射性廃棄物の生活空間への

  • 漏洩

であろう。言うまでもない。人間のやることである限り、必ず、「ミス」は起きる。しかし、それが起きたときに、一体、だれが、なにをできるのか、なのである。
だんだんと、この「サイクル」という話は、うさんくさくなってきた。まったく、国民と離れた所で、官僚が勝手に決めて、勝手に運営している、この「サイクル」なんとか。
どう考えても、おかしい。
だって、上記にあるように、なんのメリットもないことは明らか、だからだ。

再処理工場が環境にやさしくない実態は、別にもありこちらのほうが深刻な問題だ。六ヶ所再処理工場放射性廃棄物といて貯蔵されるものは個体廃棄物のみであり、気体廃棄物、液体廃棄物は、すべて操業中に環境へ放出されることになっている。「放射能の垂れ流し」である。もちろんさまざまな処理やフィルを通したりするが、後述するようにトリチウム、クリプトンなどは経済的理由で処理施設の設定が見送られた。

このように大気中、海水中に捨てられる放射能は、廃棄物としてはいっさい管理されない。これが、政府から事業許可を得ている六ヶ所再処理工場の運転方法である。一方気体廃棄物、液体廃棄物の管理目標値は表3のようになっている。原子力発電所と比べて桁違いの放射能が事故ではなく通常運転の状態で環境に放出される。再処理工場のための特別な基準だ。管理目標値は、規制値でも基準値でもなく、この程度には収めたい、という日本原燃の「期待値」である。この数値が達成できなくても、事業許可が取り消しになるようなものではない。このような運転がなぜ許可されるのか、原子炉とくらべても完全なダブルスタンダードである。

この「サイクル」なんとかの、おかしさは、ここに極限として、あらわれる。ただでさえ、原発が毎日、一定量放射能を海に捨てている。これだって、十分に問題である。しかし、その量は、普通に考えて、世界の原発稼働のスタンダードから、ある一定の範囲に抑えられていると、公的機関の指導もあって、行われていると考えていた。
ところが、この再処理工場は、ほとんど「無限」に排出する、と言っているのと変わらない。つまり、自分たちが「必要」になったらなっただけ、海に捨てます、と言っている。
もはや、「なんでもあり」でありながら、なぜか、これを「国家」が「認めている」というわけである。
一体、何が起きているのだろうか?

もともとプルトニウムという軍事物質を分離するための施設である再処理工場では、環境への配慮、被ばく対策など、十分に考慮する対象ではない。

私は、この一言に全ての意味が含まれていると思っている。
つまり、「サイクル」など、ちゃんちゃら、最初から「嘘(うそ)」なのだ。そんなもの、だれも信じちゃいない。そんなこと、やれっこない、と、みんな思っている。というか、やったって、なんのメリットもないと思っている。お金ばっかりかかって、だれも責任のとれない、危険なゴミばっかり生まれて、どうしようもない、国益を損ねる行為だと思っている。
しかし、一点だけ、間違いなく、「魅力的に思える」側面がある。
それが、プルトニウムの軍事利用である。つまり、核爆弾への転用である。
私は、日本で、今、原発の稼働に賛成している人たちというのは、ほぼ全員が、ここに繋がっていると考えている。
彼らは、たんなる、原発再稼働派ではないのではいか。つまり、本気で原発を動かすことが、経済的な意味において重要だなんて思っていない、ということである。もしも、原発が「安い」から動かすべきと思っているとするなら、あの福島第一の惨状は、どう考えても、こういった「合理的」認識と矛盾する。だとするなら、答えは一つしかない。
彼らは、この「プルトニウム」の生成が、結果として、日本の軍事力増強に寄与すると、本気で思っているから、原発再稼働派に与している。そう考えるのが最も合理的なんじゃないだろうか。プルトニウムを「無限」に増やし、潜在的核兵器を作成する能力を保持することへの

  • 無限の欲望

が彼らの欲望を動かしている。つまりは、究極の軍拡主義者であることを証明している、と考えるわけである...。

科学 2014年 05月号 [雑誌]

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