白井聡『永続敗戦論』

私たちは、もう一度、本気で、日本という「国家」が、どういったシステムによって成り立っているのかを、考える必要があるのではないのか。
そういった意味において、今回の videonews.com における、白井さんの話は、非常に明確だったのではないか、と思っている。
特に、今回の集団的自衛権閣議決定における、ネット上での、凡庸な議論を眺めていても、まさに、白井さんが言う「永続敗戦論」そのものではないのか。
まったく、この問題を追求しようとしない。
いくら、ラディカルなことを言っているふうを装うとも、結局、「永続敗戦論」の

  • 枠内

で発言しているだけではないか!
その中で考えている限り、その範囲での「戯言」の域を出ることはないわけであろう。
つまり、全然、トンチンカンなことを、ずっと言っているのと変わらない。

  • お前は「永続敗戦論」の「護持」を目指しているのかどうか

が問われているわけであろう。なんで、そこに答えようとしないのか。
彼の言う、「永続敗戦論」とは何か。それは、日本の第二次世界大戦での敗戦とは

  • なんだったのか

の「総括」をすることと変わらない。それについて、白井さんは掲題の本で、非常にクリアに整理されている。

一九四五年二月、近衛文麿は「近衛上奏文」と後に呼ばれる文書を起草し、天皇に差し出している。それは、もはや敗北は必至、戦争を終結させるほかない、と訴えるものであった。そこには、次のような文面がある。

敗戦は我国体の瑕瑾(かきん)たるべきも、英米の與論は今日でのところ、国体の変更とまでは進み居らず、(勿論一部に過激論あり、又将来いかに変化するは測知し難い)随て敗戦だけならば、国体上はさまで憂うる要なしと存候。国体護持の立前より最も憂うべきは、敗戦よりも、敗戦に伴うて起ることあるべき共産革命に候。
つらつら思うに我国内外の情勢は、今や共産革命に向って急速に進行しつつありと存候。

一見してわかるように、この文面は異様である。周知のように、治安維持法特高警察をはじめとして、戦前の国家体制は、あらゆる手段を動員して共産主義思想・共産革命勢力の浸透を防遏(ぼうあつ)してきた。戦中においてこの体制は著しく強化される。非共産党系のマルクス主義者(労農派マルクス主義)も弾圧され(人民戦線事件)、さらには戦争に対して多かれ少なかれ批判的な姿勢を取った自由主義者、さらには、古典文学の解釈を大東亜戦争大義へと結びつけて若干インテリ層に多大な影響を与えた保田與重郎までもが潜在的に危険思想家であるとみなされて、監視された。このように、事実として、「共産革命」を担う(あるいは担うかもしれないと妄想的に推定された)勢力は、徹底的に叩き潰されていたのである。確かに、一九四〇年代に入ってもゾルゲ事件(一九四一 - 四二年)のような出来事がありはしたが、それは共産主義思想の国内への浸透を意味するものではなく、「我国内外の情勢」が「今や共産革命に向って急速に進行しつつ」あるとの認識は、まことに奇怪である。
上述の議論を補強するために、近衛はソ連のヨーロッパでの政治的暗躍を説き、戦争終結後のアジアで、その影響力が高まる可能性を指摘する。この点は、別段ピントを外した分析ではない。しかし、話題が再び国内情勢の分析に及ぶや、近衛の議論はほとんど譫妄(せんもう)患者の様相を呈し始める。

翻って国内を見るに、共産革命達成のあらゆる条件、日々具備せられ行く観有之候。即ち生活の窮乏、労働者発言権の増大、英米に対する敵慨心昂揚の反面る親ソ気分、軍部内一味の革新運動、これに便乗する所謂新官僚の運動、及びこれを背後より操りつつある左翼分子の暗躍等に御座候。
右の内特に憂慮すべきは、軍部内一味の革新運動に有之候。少壮軍人の多数、我国体と共産主義は両立するものなりと信じ居るものの如く、軍部内革新論の基調も亦ここにありと存候。皇族方の中にも、此の主張に耳を傾けっれるる方あり、と仄聞いたし候。

なんと、悪化する戦況のなかで、残らず弾圧され尽くしはずの「左翼分子」が暗躍しており、彼らは「親ソ気分」を焚きつけ、軍人たち、ついには皇族までをも巻き込みつつある、というのである。さらに妄想は膨らむ。

抑々満州事変、支那事変を起し、これを拡大して遂に大東亜戦争にで導き来れるは、これら軍部内の意識的計画なりしこと、今や明瞭なりと存候。満州事変当時、彼等が事変の目的は国内革新にありと公言せるは、有名なる事実に御座候。支那事変当時も、「事変永引くがよろしく、事変解決せば国内革新はできなくなる」と公言せしは、此の一味の中心的人物に御座候。

つまり、そもそもこの負け戦への突入に日本を追い込んだのは、「左翼分子」に操られた「国内革新」を唱える一味であった、と近衛は主張しているわけである。かくして、大東亜戦争全体が国体を破壊しようとする「意識的計画」であったのだと解釈される。上奏文はさに次のように続く。

これ軍部内一部の者の革新論の狙いは、必ずしも、共産革命に非ずとするも、これを取巻く一部官僚及び民間有志(之を右翼よいうも可、左翼というも可なり。所謂右翼は国体の衣を着けたる共産主義者なり)は、意識的に共産革命にまで引ずらんつる意図を包蔵しおり、無智単純なる軍人、これに踊らされたりと見て大過んしと存候。

ここまで来れば、もう右も左もない。「之を右翼というも可、左翼というも可なり、所謂右翼は国体の衣を着けたる共産主義者」なのだとされる。これに続く部分で近衛は、二度にわたって国政を預かりながら、「革新論者」の「主張の背後に潜める意図」、すなわち共産革命・国体の否定という企みを、「十分看守する能わざりし」ことを天皇に謝している。まことに尋常ならざる認識であると言わなければならない。「アカ」に対してあれほど徹底した禁圧策を講じてきたにもかかわらず、「アカ」の陰謀は着々と実を結びつつあり、気づけば天皇共産主義者によってほとんど完全に包囲されているというのだから。マクベス夫人の手にこびりついた血のように、「アカなるもの」は消去不可能なものとして、この貴公子の目には映っていた。
しかも、近衛の認識は特異なものではなかった。「上奏文」に関して、河原宏は次のように述べている。

これが近衛個人の思想に止まるなら、近づく敗戦の恐怖に惑乱した一貴公子の神経衰弱症としてかたづけることもできよう。だが実態はそうでなく、むしろ天皇制支配層に共通した発想だったというべきである。その証拠に一九四四年六月、警視庁特高第一課長秦重徳は情勢を次のように捉えていた。「警視庁にては国体を否認する者を左翼とし、然らざるものを右翼と為し居るも、右翼の中にも左翼多きは論なし」。ここでも右翼と左翼の境界は乗り越えられ、右翼の左翼化、したがって国民全体の左翼化が示唆されている。

天皇制支配層は、全般として右も左もわからなくなった。もうどいつもこいつも共産主義者に見えてくる。だがしかし、このような惑乱のなかでこそ、国体とは何であるのかという問題は、かえって明瞭に把握可能なものとして現われている。否、近衛らが惑乱していたと考えるべきではないのだ。あくまで明晰であった。その本質は、「国体を否定する者=共産主義者=左右を問わない革新論者」という定式にはっきりと現れている。どれほど熱烈に国体を支持する者(すなわち、右翼)であっても、「革新」を口にした途端、その者は「左翼」と分類されるべき存在となる。してみれば、国体とは、一切の革新を拒否することにほかならない。
かくて、問題の焦点は、革命・革新に見定められなければならない。河原宏は、戦争終結の決断の本質を「革命よりは敗戦がまし」という選択としてとらえている。この把握は、なぜ本土決戦が避けられたのかを明快に説明する。

上記で最も重要なポイントは、「近衛らが惑乱していたと考えるべきではない」という所である。彼ら国家官僚エリートたちが何を考えていたのか。それは、徹底した、

  • この国家官僚エリートという「大枠」の<維持>

つまり、自己保身なわけである。上記の引用で何を恐れているかと言えば、つまりは、自分たちが、この権力構造からパージされるような、

  • 改革

を嫌がっているわけである。しかし、思わないか。こんなの、ちゃんちゃら、おかしい、って。だって、官僚組織など、しょせん、組織でしかない。その組織が、この国家にとって、役に立たないものと判断されるなら、速攻、廃止すべきであろう。必要なのは、国家、国民にとって、有益ななにかなのであって「それ自体」に、存続の意味など、あるわけないではないか。
上記の引用は、重要なポイントであるが、この核心をふまえて、以下では、今回の videonews.com での発言を整理してみよう。

白井:GHQが戦後改革を始めるわけですけど、間接統治と。じゃあ、だれに戦後の統治を支配させるのかと、アメリカから見て、そもそも、信用できる政治勢力って、もともと戦争を指導していたファシスト勢力と、あとは、ソ連大好きの社会主義者しかいないわけですね。となると、ソ連大好きって人は論外であると。なると、まあ、こいつら元ファシストでどうしようもないけど、というのを使わざるをえないとゆうことで、戦後の政治勢力の保守層の中核部分って、でてくるわけですね。まあ、端的に言って、55年体制で、自民党保守合同したときに、あれを後で手を引いていたのはCIAであるわけですから。この人たちがなんでまた、戦後、えらそうな顔してるの、とゆうことになるわけで、それを避けるためには、あれは敗戦ではなかったんだ、と。てゆうか、そもそも、戦争じゃなかったし、というところまで、ある意味、行っちゃうわけですね。
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最後の指摘ですよね。

  • 「この人たちがなんでまた、戦後、えらそうな顔してるの」

なんででしょうね?
一体、日本人の誰が、この問いに正面から向きあってきたんでしょうね。
完全に、最初の引用の個所と繋がってますよね。つまり、日本の当時の指導層は、非常に用意周到に、計算して振る舞ってきたわけでしょう。かなりの割合で、官僚組織も、戦後も、そのまま、温存されたんでしょ? じゃあ、なんでそんなことになったのかといえば、上記にあるわけですけど、つまり、一言でまとめるなら、

  • そういうふうになるように、日本の当時の指導層が裏で、さまざまに暗躍して、計画的に振る舞ってきた

ということじゃないですか。
だから、日本の政治は、結局のところ、今の今に至るまで、一度も、戦後の反省なんてしていない。だれ一人として、戦後責任を一人一人が取らなければならない、なんて考えなかった。
まあ、もっと言えば、それって、「なにも悪いと思っていない」ということですよね orz。

白井:国体護持ってなんなんだろう、と。なんだか神秘的な概念に聞こえますけど、結局、非常に実体的に考えれば、要はそれは、エリート層が自己保身、ていうことにすぎないんじゃないか、と思うわけですね。そのエリート層の自己保身をはかるにほかならない国体護持を実現するために、何万人死んだんですか、という話なわけですね。つまり、ミッドウェー海戦以降、軍事的にはほとんど戦闘は無意味になったわけですよね。太平洋戦争。ところが、ようするに、ずるずるずるずると、戦争を続けて、45年8月、原爆2発落とされるところに至るわけですけど、なんで、そんなに長びいたのか、と。もっと早く降参すればよかったのに、と。それというのは、ようするに、国体護持の条件を、相手に飲ませて、戦争終結させるには、どうしたらいいんだろう、どうしたらいいんだろう、って言っている間に、どんどん攻められて、戦死者の多くがそこの時期に、最後の一年とかに集中しているわけですね。さらに言えば、実質、14日にポツダム宣言受諾を回答しているわけですけど、あそこで止めた必然的な理由なんてないわけですよね。それまでは本土決戦を、怒号してたわけですから、言葉に責任をもつんであれば、やるべきだったわけですよね。しかし、それはやらないで、あそこのタイミングで、やめた、と。これは一般的に日本人の普通の考えとして、これ以上の日本人に苦しみを強いるということは、忍びないと、いうふうに戦争指導層も、さすがに思って、あそこで、いわば、国民に対する同情の感情で戦争をやめたと思われているけど、そんなの「大嘘」ですよ、という話ですからね。これ以上、続けたら、俺達自己保身できなくなっちゃうかもしんない、と。その恐怖にかられたにすぎないわけですよね。結局、だから、この行動原理ですよね。この行動原理っていうのが日本の官僚組織には、面々と受け継がれているのではないですか。ということで、だから、話が飛びますけど、TPPの問題だって同じことだと思います。TPPにしろ、今回の集団的自衛権で、米軍の使い走りをやりますという話だって、結局、なにをこの官僚組織はやってるんだろうなと考えたら、結局、自分たちのポジション、権力等々を守るためには、この国の有形無形の富やら、今回、生命やらという話にもなってくるんですけど、というものを最後の一片に至るまで、売り飛ばす用意があるんですよね、この人たちはね、だって、昔、そうだったじゃないですか、と。
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こういう形で、戦前と戦後は、「連続」している、ということでしょう。この連続性を問わずに、今の日本はけしからんとか、まるで、その問題が急に、あらわれた、かのように語る方が、お花畑としか言えないわけであろう。
安倍総理が、平気で、「侵略戦争の定義は決まっていない」みたいなことを言って、つまりは、サンフランシスコ講和条約の戦後フレームを、否定するようなことを言うということは、普通に考えるなら、アメリカは、この戦後のレジームを、日本は反故にする、と言っている、と受け取る。つまり、日本はアメリカに対して、もう一度、戦前の侵略戦争を始めようとしている、と受けとるであろう。
ところが、その安倍総理が、集団的自衛権解釈改憲とか言っていることは、アメリカの自己利益の戦争に、日本国民を贄(にえ)として捧げる、と言っているのと変わらない。
まったく、上記の引用にある、終戦時の近衛の敗戦の理屈、自己保身の理屈と変わらないではないか orz。むしろ、露悪的に、非常に幼稚に、なんでも、本音が口からポロポロでるようになっているだけに、よけい、アメリカに足元を見られているわけで、よけいに、国益を損ねていると言わざるをえない。
(というか、そもそも、アメリカは、こういった東アジアの軍事緊張を、やめてほしいと思っているんじゃないのか? というか、こういった憲法を「無視」する国家が、アメリカが<同盟国>と認めることを、近代国家として、恥かしいと思うんじゃないのか? つまりは、安倍ちゃんを、まともに相手にするのは、ソ連北朝鮮くらいしかいなくなる、ということですか orz。)
じゃあ、結局この、アメリカに「日本国民を贄として捧げる」ことを目指すことによって、

  • 利益を得ようとしている勢力

って何者なんだ、ってことでしょう。

白井:結局、鳩山政権って、普天間基地問題をめぐって、政権を去るわけですけどね。あれは、ことの本質ってなんだろうと考えて、ふりかえってみると、鳩山さんは公約として最低でも県外と言って選挙に勝ったんですね。それに対してアメリカは、一度決めたやないか、と。ふざけんない、卓袱台返しするんじゃないと言って怒ってきたと。だから、ようするに、選挙を通じて示された日本国民の意志というものと、アメリカの国家意志というものが衝突をしたわけですね。どっちかをとって、どっちかを捨てなきゃいけない、という局面に鳩山さんは立たされたと。そのときに、ようするに、日本国民の意志というものは否定してアメリカの意志をとらざるをえないんだ、とゆうことになったわけで、つまりは、負けたわけですよね。だけれども、あの当時のマスコミの報道は、どういうもんだったかと思い出してみると、えんえんと、鳩山さんの個人的資質の問題をずーっと言ってたわけですね。あれは変な人だ、とか。ばかだとか。狂ってると、ゆうようなことを、えんえんと言ってたと。鳩山さんという個人の資質がどうということは、私は人格について、存じあげないし、政治手法について拙劣なとことはあったんだろうと思いますけれど、そういった個人の問題に矮小化していい話じゃないでしょ。
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まあ、こういうことですよね(最近も、しつこいまでに、国民は「ばか」だとか言っている連中がいるがw)。こんなことをやってたら、何回、政権交代したって、

  • 鳩山は宇宙人
  • 鳩山は狂人

こうやって、官僚にリークというキャンペーンをはられて、どんな政治勢力も潰されていく、というわけでしょう。まず、さ。私たちの国民の感性として、マスゴミが「人格攻撃」を始めたら、なんか変だと思うべきだよね。しょせん、政治家なんて、日本政治という「機関」の一部でしかないわけでしょ。政治的アジェンダの問題を、その人の人格の問題であるかのように語り始めたら、

  • 御用学者

のメルクマールなわけでしょう(そういえば、福島原発事故で、こういった人格攻撃を好む学者がいましたねw)。簡単に、一人の人間を

  • (心理学における)狂者

と言い始めている時点で、「こいつ、なんか、おかしいな」って、思わないといけませんよね...。
(果して、国民と、国家エリート官僚の、どこかナルシシズム的な「パターナリズム」的「強圧」との、この、あくなき「闘争」は、いつまで、続くのでしょうかね...。)