安田浩一ほか『ヘイトスピーチとネット右翼』

在特会の運動は、どこか、文化大革命における、紅衛兵に似ている。または、小泉元首相が首相のときに、靖国参拝を行ったとき、中国で起きた、反日デモに。または、2・26事件の青年将校たちが天皇に「裏切られた」と語ったことに。
それは、ようするに、時の政権に「黙認」される、(彼らの視点から幻想される)「造反有理」の運動であり、そこに、(彼らの視点から幻想される)「錦の御旗」のように見えるからであろう。しかし、このことは端的に言ってしまえば、「ナチス・ドイツ」の運動に似ているわけである。
このことは、現在の国家公安委員長である山谷えり子が、外国人記者クラブでの会見で、大いに在特会との懇意な関係を臭わせたことにと見られるだけでなく、安倍総理自身が、かなり深く関係しているのではないのか、といったことを思わせる。
在特会の問題は、そのデモにおける韓国人や在日韓国人への「死ね」「殺せ」といった、本来の人権国家において、公の組織が、組織的に主張することが許されるはずのない主張(この事実は、ちょうど、ナチス・ドイツユダヤ人への「ヘイトスピーチ」と、ほぼ同列に受け取ることができる)を、時の政権が「黙認」しているところに、端的に現れている。
これをたんに、デモに参加している、ある個人の逸脱行為としてのみ扱うことはできない。つまり、在特会という公的な呼び名によって行われるデモにおいて、かなり定常的な状態として、こういった発言が続いているから。つまり、こういった行為は、

  • そのデモの主催者の意図

と考えざるをえない。一般に、人権国家においては、こういった行為をいつまでも許すはずがない。ところが、現政権は、実質上、黙認している。こういった態度を、果して、欧米の人権国家のマスコミを中心として、いつまで見過ごし続けるのか(そもそもそれを、本格的に批判しようとしない、日本の大手マスコミの体たらくが、最大の問題のはずなのだが)は、確かに疑問ではあるが、しかし、そういったことを抜きにしても、

  • 今、こうやって「ここ」で起きていることは、なんなのか?

といった疑問は、それはそれであるわけである。
掲題の本は、これに対して、いくつかの多角的な視点を提示する。それは、ドストエスフキーの小説郡を、ちょうど「カーニバル」的と呼ばれているように、さまざまな視点が、「重なり合った」形で、多くの事態は進むということであり、この事象においても、それは同じ、ということである。

実は、彼女の父親(五二歳)は地元っでは知られた民族派の活動家だ。「嫌韓デモは日本の恥」だとして、これを毛嫌いする民族派は少なくないが、この父親はむしろ積極的に参加。ときには娘を連れてデモへ加わることもあり、若者たちの間では父親のように慕われている。
この父親に話を聞いた。
娘の「虐殺発言」に対しては「騒ぐほどの問題ではない」と完全に擁護、そのうえで「なぜ中学生がそこまで思い詰めなければならなかったのか、考えなくてはいけない」と、次のように続けた。
「いま、我が国に喧嘩を仕掛けているのは韓国のほうじゃないですか。嫌韓デモが頻発しているといっても、口で言うとるだけですよ。ヤツら(韓国人)は竹島を力で奪い取り、ときには日の丸燃やしたりするなど過激な反日活動を繰り返している。こうしたなか、若者たちが必死で戦っとるわけですよ。なんでメディアはそれを理解しようとしないんですか?」
また、この日のデモの責任者を名乗る男性も、えげつないデモを批判する私に、こう反論した。
「これまでの日本人は優しすぎたんですよ。近隣国に遠慮ばかりして、主張すべき言葉を飲み込んできた。その結果がどうですか? 中国や韓国によって領土は脅かされ、日本に住んでいる在日までもがつけあがってきた。いまや荒っぽい言葉を使ってでも、日本の危機を訴えなければならないのです。ボクら、国のためには率先して汚れ役になるつもりでいます」
安田浩一「正義感の暴走 〜先鋭化する在特会レイシズム〜」)

在特会が、より過激な活動として注目されるようになった、大阪でのデモで「鶴橋大虐殺」という言葉を使って演説をした女子中学生の父親は、上記のように述べて、まったく悪びれるところがない。上記の「汚れ役」という言葉が示すように、彼らは別に、自分たちの言っていることが「正論」だと言いたいわけではない。しかし、これは「必要悪」なのだ、と言うわけである。それくらいに、今、日本の置かれている状況は「危機」なのだ、と。
こういった主張は、その陰謀論的な色彩を色濃くも纏いながら、どこか、その主張には、なにかの「純粋」さがあるわけである。直情的とも言っていいが、どこか思い詰めて、純粋真っ直ぐになっている部分がある。

彼の「正義感」を揺さぶったのは、生活保護制度に関する在特会の主張だった。
生活保護を受給することができずに餓死していく日本人が後を絶たない。一方で「在日」は生活保護を手にし、日本人の飢餓者を尻目にのうのうと暮らしている。こうした「在日特権」こそが、日本の福祉を歪めているのだ----。
このロジックに、彼は強い危機感を持った。
当時の彼にすれば、在特会こそが「民衆の側に立つ抵抗組織」に見えた。そして、在特会の隊列に加わったのである。街頭で「在日特権の廃止」を叫び、愛国に目覚めよと訴えた。
安田浩一「正義感の暴走 〜先鋭化する在特会レイシズム〜」)

高校の頃から、日本における「貧困」や「格差」に興味をもっていたという、この青年は、一時期は左翼運動にも関わっていたという。上記の引用は、この青年の「純粋」さが非常に伝わるわけである。もちろん、在特会の主張がさまざまな「デマ」によって覆われていることは言うまでもないが、そういった一つ一つを、この青年は信じてしまう。その過程で、本気で

  • 日本の貧困や格差で苦しんでいる人たちを助けたい

という義の感情を強く含んでいるわけである。
もちろん、こういった「同情」が、あまりにもデマにだまされやすい、世間知らずすぎる、といった批判は容易であろう。しかし、例えば、韓国人だって、自国の貧困で苦しんでいる人を助けたい、と思う気持ちは、この「青年」と通じるような部分は、まったくないだろうか。

戦後保守はアメリカの庇護のもと「反共」から出発している。強敵ソビエトの脅威を受け、アメリカの極東制作は、東アジアに反共の砦を築くことだった。そしおてその中心が日本であった。反共の砦となったのは日本、台湾、韓国、フィリピンなどであった。つまり冷戦期の日本は、反共という明確な共通価値観をこれらの国々と共有していたことになる。とりわけ韓国にあっては、北朝鮮と対峙し、地政学上も重要な位置にあり、日本の隣国であることから、歴代の日本における保守政権、つまり自民党にとっての外交上の要衝であった。日本と韓国は、冷戦期、密接な関係で結ばれ、岸信介佐藤栄作などによって、日韓国交正常化とそれに相前後する韓国軍事政権(朴正煕)と日本の保守政党の蜜月を維持していた。それを国内的に強力に推し進めたグループが、フイジサンケイグループであった。伝統的戦後保守の精神的・経済的支柱がフイジサンケイグループであり、ここから『正論』など戦後の保守論壇が形成されていったのである。つまり日本の戦後保守こそ、実は親韓的、融韓的傾向を強く有していたのだ。
ところが冷戦が崩壊すると、それまで反共で結ばれていた日韓両国の関係性が変化し、もはやソ連を省みる必要がなくなった韓国は金大中太陽政策を代表格として北を反共の敵から民族同胞とみなし、同情の対象として捉えた。韓国が反共を標榜して連携していた台湾と断交したのも、冷戦終了直後の一九九二年である。このような国際情勢の激変の中で、もはや共通の「反共「」イデオロギーを持たない韓国が、従前から国民をまとめ上げるために使ってきた反日といおう政治カードをますます顕著にしてきたのは自明である。
(古谷経衝「嫌韓ネット右翼はいかに結びついたのか」)

日本の知識人は、冷戦が終わっても、ようするに言っていることは「反共」なわけである。その延長に、「資本主義礼賛」がある。格差社会肯定もその一種であって、ようするに、「稼いだ人の勝ち」なのだ。それは、結局のところ、「反共」だから、賛成というわけである。じゃあ、なぜ人権派(=リベラル)かと言えば、ようするに、言論統制社会主義国の象徴だから、この一線は譲れない、というわけである。
この戦後の「反共」文化人たちにとって、韓国は常に、たんに「反共勢力」であることを意味しているにすぎなかった。それは、戦後の「親米保守」の一貫した姿勢であった。
ところが、である。
冷戦が終わった、のである。
このことが何を意味していたのかを考えることのない、日本の「反共」知識人たちは、日本の「親米保守」的マインドを根底から考え直すという根性もなく、惰性のまま、戦後の平和国家日本を前提に安穏と、冷戦時代と同じ主張を続けた。
ところが、隣国は、そんな日本を尻目に、冷戦を境に、急激に変化していた。
冷戦の消滅は、韓国という国の「アイデンティティ」に、強烈な危機をもたらした。なにをもって「韓国」なのか。なぜ韓国でなければならないのか。同じことは、中国においても言えた。すでに冷戦もなくなり、なぜ、自分たちが韓国や中国でなければならないのか、といったアイデンティテイを問われる状況において、彼らは

に自らのこと自意識の「危機」を乗り越える何かを見出した。朴正煕が活躍していた頃の韓国の軍事独裁は、言ってしまえば、民衆と政権中枢は「分離」していたし、違っていることが当たり前であった。政権は、国民とは抑圧するものであると考えていたし、事実、大衆は軍事政権の「支配下」にある何かにすぎなかった。
しかし、今の冷戦の終わった韓国において、普通に「民族」の問題が台頭してくる。たんに、北朝鮮を「反共」と言っているば済む時代は終わった。彼らは新たな自民族の団結を目指す「錦の御旗」として、以前の軍事政権時代は「抑圧」されていた

という掛け声に飛びついたわけである。
嫌韓」とは、何か。それは、日本における上記のようなコンテクストに関係している。上記のように、日本の戦後の「反共」保守勢力にとって、韓国は「戦略的互恵関係」である。つまり、「友好国」であり、それは自明である。そのことは、今も変わらない。そもそも、彼らにとって、冷戦が「終わった」ということの意味が分からない。彼らにとって、今も中国はあるし、ロシアとソ連になにか違いがあるとも思えない。つまり、なぜ日本の大衆の中から、こういった「嫌韓」感情が露出してきているのかの理由が分からないわけである。
大衆による嫌韓は、ちょうど、韓国における冷戦以後の「反日アイデンティティ」の、

のような構造になっている。韓国内部で、「反日アイデンティティ」イベントが打たれると、それに、「対応」する形で、日本の「嫌韓」情念が、ネット上にだだ漏れてくる。

東海地方にはトヨタを始めとする製造業の巨大工場が多数立ち並び、彼ら日系南米人は人材不足を補う存在として非常に重宝されたわけです。賃金もそれなりの水準で決して安いものではありませんでした。その中でなぜ彼らが日本で仕事があったかというと、日本人がその雇用の場に存在しなかったんです。僕も実際に真似て働いてみましたけれども、とても重労働で、これに耐え得る人びとというのはそうした重労働を苦としない人々、あるいは何かの目的意識を持って働く人でなければ勤またない人でしょう。それくらいキツイ仕事です。そういうところに日系南米人は集まるわけです。
そうすると、当然そこにコミュニティができる。僕はずっとそのコミュニティの中で取材をしていたのですが、二〇〇〇年に入ってからは集中地域の外側から、つまり彼らをどう見ているのかという日本人の意識というものも取材対象に加えたわけです。当初は日本人は彼らをお客様として扱っているわけです。内実がどうであれ、実態としては南米人は人材不足を補ってくれる存在であり、なおかつマーケットとして日本の商店街にお金を落としてくれる。
ところが、南米人がどんどん増えていく。そうした中で今度は雇用のあり方を巡って、あるいは自分たちの立ち位置を巡って権利主張をするような人が増えてくるわけです。権利主張をするようになると、今度はあちこちで軋轢が起きてくるのです。そうした動きが二〇〇〇年以降に出てきて、それまでどちらかというと国際化ごいうことを口にしながら好意的にブラジル人と付き合ってきた人々が、とたんに、排外主義とまでは言いませんが、ゼノフォビア(外国人嫌い)的な動きを見せてくる。そうした声もいろいろと耳にするようになって、僕も正直驚いたわけです。「きのうまで仲良くやっていたじゃない」と。この流れというものは非常に興味深いなと思いました。
安田浩一「座談会 ヘイトスピーチが日本社会に突きつけたもの 〜ネット右翼ナショナリズム〜」)

本当は、こういった「問題」は世界中にあるはずであるが、多くの知識人はこの問題を深く突きつめることがない。ある地域の住民は、どのようにして、新住民を「受け入れていくのか」。また、それは

  • 成功するのか?

東京に上京してくる地方住民に対して、東京人が抱く、なんらかの「差別」感情も同じようなものである。貧乏人は窃盗などの犯罪を犯す可能性が高いから、自分たちが暮らす高級住宅街に近づけたくない、と言って始めたのが、アメリカにおけるゲーテッド・コミュニティであろう。しかし、彼らにとって「貧乏人」とは、ようするに、

  • 地方出身者=新住民

なのだ。つまりは、なんらかの地方出身者の東京のような都会への移住の「制限」を考えているわけで、これも一種の

  • 外国人排斥運動

なわけである。上記の引用にあるように、最初は地域住民も「おもてなし」マインドであって「いい人」だったわけである。しかし、それが恒常化していく過程で、さまざまな「トラブル」を経験することで

  • うんざり

していく。つまり、もう「人権」だとか「自由」だとか「どうでもいい」となっていく、というわけである。
しかし、である。
今度は、それが「自分」の身にふりかかってきたとき、そんなに簡単に「自由」や「人権」が、どうでもいいとか言ってられなくなる、というわけである。もしあなたが、東京で暮らせなくなったとしよう。もう一生、東京に戻ることはない。新天地で骨をうずめる覚悟で、向かったとしよう。ところが、である。そうすると、今度は、上記の

の事態が、自分に待っているわけである。つまり、である。どちらにしろ、この問題は、どういう立場の人であれ、徹底して考えることを強いられる、必然的に強いられる問題なわけである...。

私は、日本の保守が劣化した原因をつくった勢力は3つあると思います。それは「新しい歴史教科書をつくる会」、「日本会議」そして「日本文化チャンネル桜」です。彼らに共通するものは何か。それはひとつの意見しか許容しないという点です。「教科書が良くなれば世の中は良くなる」そう言って、少しでもつくる会の教科書を批判しようものならその人物を「非・保守」として徹底的に排除しようとする。私は実際につくる会の教科書を読み、最もまともな教科書だと思います。従って、つくる会の教科書自体は批判しません。しかし、「この教科書が日本に普及すればすべて良くなる」というのは、さきほど安田さんがおっしゃった設計主義的な匂いがします。つくる会に集まる人も、チャンネル桜に集う人も、日本会議に集う人も、みなさん真面目な愛国者であることは疑いようのない事実です。しかし、一つのスローガンの下に集まる人々を増やせば、日本はよくなるとういう発想は、結局のところ、保守の知性を鈍麻させることになったのではないかと考えます。これが、より過激なスローガンの下に集う人々を準備したと思うのです。
(岩田温「座談会 ヘイトスピーチが日本社会に突きつけたもの 〜ネット右翼ナショナリズム〜」)

たしかに言論の自由は正しいと思いますが、「お前が言うな」と思うんです。それは「普段差別発言をしているくせに何を言うか」という意味ではなく、そもそも彼らは戦後日本的なものに反旗を翻したところから出発したのではないか? というわけです。
彼らにも人権はあるし、デモの自由もある。でも、認めていながら彼らを軽蔑してしまうのは、彼らが人権救済の申し立てをするという行為そのものは、まさに設計主義以外の何ものでもないわけじゃないですか。それが一番情けないと思う。在特会らしからぬ行動ではないですか。
もしかしたら、あるいは在特会というところはイデオロギーで考えるならば、保守や右翼という政治的文脈とは違うところから派生しているのかもしれません。
安田浩一「座談会 ヘイトスピーチが日本社会に突きつけたもの 〜ネット右翼ナショナリズム〜」)

ある人に街頭演説を願いしたら、自分の本名を晒すのは危険であるから、自分の本名、例えば佐藤なら "佐" の部分などを、一文字替えて "伊藤" にして欲しい。などという要望をしつこく出してくるわけです。なぜそんなに本名を出すことに抵抗を感じているのか、と問うと、「今後の就職活動に問題があると思うから」と答えるんですね。別に何のことはなし一般人が平然とそう言うんですよ。え、ちょっとまってくれよと。じゃあ、貴方がこれから演説する内容というのは、あなた自身が何か引け目を感じているんですかと。そういうことを逆説的に言っているわけですよね。つまり、当人の持つ過剰な自意識と、一方で自らの「政治的な」主張に、一等引け目を感じているから本名に抵抗するんですよ。実に倒錯している現状があるわけです。
(古谷経衝「座談会 ヘイトスピーチが日本社会に突きつけたもの 〜ネット右翼ナショナリズム〜」)

上記の三つの引用は、非常に興味深いことを言っている。在特会とは、そもそも、インターネット上において生まれ大きくなってきた、言わば、「ネトウヨ」に含まれる存在と考えられる。それをよく示す点として、上記にある「匿名」性が言える。
確かに、在特会のデモでの発言は異常なまでに、ポリティカル・コレクトネスからはありえない、一線を超えたものであるが、言ってしまえば、彼らは、それらと変わらないことを

  • ネット上

に毎日書いている。つまり、それが「日常」なわけである。なぜ、ネットに匿名で書いている内容は、そのまま放置して、街頭のデモにばかり文句を言うのか。本来であれば、どちらも非常に問題の多い行為であることは変わらない。
しかし、上記にあるように、彼らは「引け目」を感じているわけである。どこかこれが「悪」だと思っている。人様に説明のできない種類のことだと思っている。
彼らは自分たちの人権は守られるべきだ、と言う。彼らは「言論の自由」は守られるべきだ、と言う。しかし、だとするなら、彼らと「戦後左翼」を区別する境界線などあるのか? 戦後民主主義となにも変わらないんじゃないのか。だったら、左翼でいいんじゃないのか。
上記で挙げられている、「新しい歴史教科書をつくる会」、「日本会議」、「日本文化チャンネル桜」なんて、まったくもって、彼らが批判する「反共」の

とまったく変わらない。言っている「内容(=シニフィエ)」が、一見、保守が主張してきたものを恣意的に「つまみ喰い」しているだけで、その「形式(=シニフィアン)」においては、まったくもって、

  • 戦後左翼

そのものなわけであり、彼らはそれに気付かない、わけである...。

いわゆる「在特会問題」が大きな転換点を迎えたのは彼らに対するカウンター集団「レイシストしばき隊(通称・しばき隊)」の登場であった。在特会・会長桜井誠を「ヘイト隊」と呼ぶ彼らしばき隊は、東京・新大久保で行われる在特会のデモに対するカウンター行動を積極的に繰り広げるようになった。簡単にいえば、それまで唐突に街に踊り出た存在としての在特会に、初めて大きな「天敵」が出現したのである。つまりそれは在特会と反在特会の罵倒合戦の様相を呈しており、結局のところ桜井及びしばき隊メンバーの逮捕劇、という自体にまで発展したのだ。
(古谷経衝「まえがき」)

国家がこういったポリティカル・コレクトネスに反する行動を野放しにするということは、弁証法的には、必ず、それに「対抗」する勢力が現れる。これが、上記の「しばき隊」と考えられるであろう。つまり、必ず「悪」は、なんらかの「均衡物」によって、並行されるわけである。もしも権力側が、露骨にこの対抗勢力の「殲滅」を目指せば、それは

  • 反人権国家

の様相をより強くすることになり、世界の人権国家のマスコミによって糾弾されることによって、より日本の国際社会での手足を縛ることになるであろう。この「均衡」状態は、一種の「日本の健全さ」を示している、と考えることもできるのかもしれない。
しかし、もしもこれが60年代の全共闘の時代であれば、そのカウンター勢力は、たんに、「左翼」だったのではないだろうか。また、別に、こういった活動を、古株の右翼団体が行っていたって不思議ではないわけである。
ようするに、ある特定の市民に向かって「死ね」だの「殺せ」だと公的な活動として言っているパブリックな団体を、たとえ、国家権力が黙認しようが、国民は黙っちゃいないわけである。それが、人権国家だ、というわけであろう...。

ヘイトスピーチとネット右翼

ヘイトスピーチとネット右翼