ポール・ヴァレリー『精神の危機』

今さらポール・ヴァレリーの重要さを強調する必要はないと思うが、前回、在特会のような「造反有理」運動であり、「錦の御旗」運動の、その「主観的」に幻想される何かについて考えていたとき、このヴァレリーのエッセイにおいて、すでに、

  • ドイツ脅威論

つまり、黄禍論ならぬ「ドイツ禍論」、ドイツという「脅威」について語られていること、この第一次世界大戦後における彼の視線が、この「精神」という「ヨーロッパ」の危機に対応して、それを

  • ドイツの問題

として語られていることの意味を、その後、第二次世界大戦というナチス・ドイツ大日本帝国による大惨事を経て現在に至っている意味を考えるにおいても、重要だと思われるわけである。

幾何学の試みは一般に最も両立しにくい才能の協力を要求した。それは精神のアルゴー舟勇士、自分の思念に引きずられたり、とらわれたりすることなく、感情に惑わされることもない堅固な水先人を必要とした。彼らを支える前提の脆弱さや彼らが探索する推論の微妙さ、果てしなさも彼らの意志をくじくことはなかった。彼らはあたかもむら気な黒ん坊からも、妖変するイスラム行者からも等しく距離を取っていたようにみえる。彼らは日常語を厳密な推論へ適応させるべく、繊細きわまりない、ほとんど不可能な調整を成し遂げた。運動と視覚が複雑にからんだ操作の分析、それらの操作が言葉の文法的特性とどのように対応するかおいう問題。彼らは言葉を信頼し、そうした操作を、明晰な精神で、手探りしながら、空間世界へ導いて行った......そして、その空間世界が世紀を重ねるにつれ、次第に豊かな、驚きに満ちた創造世界へと成長していったのである。それには思想が次第に己をよりよく統御できるようになり、類のない思考の道具立てを用意してくれた当初の驚嘆すべき理性と繊細な精神に対して、いっそうの信頼感を抱くようになったことがある。道具立てとは、定義、公理、補助定理、定理、問題、系、等々である。

ヴァレリーにとって「精神」とは、こと、「ヨーロッパ」の精神のこと、となる。そういう意味では、アメリカは、この「ヨーロッパ」の鬼子であり、そこに含まれる何かであることには変わらない。では「ヨーロッパ」とは何か、ということになる。一義的には、このユーラシア大陸の西の「岬」にすぎない。そして、歴史的には、基本的には「古代ローマ帝国」のことを意味すると考えられる。なんらかのローマ帝国の影響の延長にあるものが、「ヨーロッパ」だということになる。
これを思想的な範囲において考えたとき、古代ギリシア、特にその「ユークリッド幾何学」にまつわるものに集約される、とヴァレリーは考える。
なぜユークリッド幾何学はそこまで重要なのか。それは、この数学体系が採用する「公理論」的なストラクチャーが、常に、あらゆるヨーロッパの学問の「アナロジー」となってきたからである。
言うまでもなく、古代ギリシア以前から、ユークリッド幾何学の中にある、さまざまな定理は知られていた。そういう意味では、古代ギリシア幾何学は、技術者に対して、それほど大きな知識の増大をもたらしたわけではない。ユークリッド幾何学が行ったことは、それら過去から知られていた「知識」を、非常に少ない概念と公理から出発させて、全てを

  • 説明

できる、とやったことにある。
このことは、何を意味するのだろうか? よく言われるように、ギリシア哲学を考えるとき、ピタゴラス教団の重要さは言うまでもないであろう。彼らは、どこか「インド」的であった。この場合、インドの「特徴」とは、なんだと考えられるだろうか。その一つに「ゼロの発見」を考えることができるかもしれない。
ゼロとはなにか。ゼロの特徴は、「何も指示しない」ということである。アニミズム的な言語空間においては、あらゆる言葉は、その「指示対象」と区別できない。だからこそ、その言葉には「言霊」が宿る。ところが、ゼロとは、「なにもない」ということを指示するわけで、つまりは、具体的な対象を指示するという形式から外れている、どこか「メタ」的な用法に関係していることが分かる。
ゼロとは「空」であり虚無である。つまり、どういうことか。ゼロとは、言わば、物的世界から「言語」を

  • 分離

する出発点になった、ということである。ここにおいて、物的世界に対して、「言語」は「そこに含まれているいるもの」ではなく、「それを考察し、説明する<外部>」としての、メタ的考察、つまり、形而上学が始まったわけである。
代数学を考えるとき、フランスのブルバキ集団が作成した「数学原論」がまず、思い出される。この教科書郡を統一して説明する概念が「線形性」である。線形性とは、なんらかの「加法性」を保持し続けるものを意味するが、例えば、3・11において、東北を襲った「津波」は、波としての一般性としての「重ね合わせの原理」をもっていたからこそ、あそこまでの波の高さが、まさに、「当たり前」のように起きたわけである。
よくよく考えてみると、私たちにとって、なんらかの「説明体系」として保持されるべき秩序には、この「線形性」を自明としないものというのは、なかなか思いつかないくらいに、多くの特に「文系」の学問と呼ばれる「説明体系」には、含まれているように思われる。
この線形性を成立させる、最も基本的な概念が「群論(group theory)」だと言えるだろう。といっても、これはなにも壮大なものではなく、数学における、ある種の「対称性」を説明する非常にシンプルな公理群を言っているもので、当然、私たちが日常的に使っている数字も、この性質をもっている。
言語とは、なんらかの「変換」過程だと考えられる。この場合、その「対称性」とは、例えば「否定」がそうであるように、なんらかの「変換」の過程を経ることで、

  • 同一

な所にまで「戻る」ということを、その理論が含んでいる、ということを示す。この場合、それを「成立」させるものとして、「ゼロ」が重要な役割を果たす。つまりは、ゼロとは、こういった「代数」的なストラクチャーを成立させるのには、なくてはならない概念だということである。
言うまでもなく、デカルト以降、幾何学代数学の一部に還元される。ということは、あらゆる「学問」は、代数学の一部に還元された、ということを意味する。このことを意識的に取り組んだものとして学問を考えているものを、

と呼ぶ。ヴァレリーにとって、ヨーロッパはこういった意味での「総合」に対して、執拗なまでに徹底してきた世界だという意識が強い。この「成功」こそ、ヨーロッパ的なにかを意味している。
確かに、この側面におけるヨーロッパの先進性は彼の言う通りであろう。しかし、上記において、私なりに整理させてもらったように、むしろヨーロッパの上記の特徴は、その「インド的」な部分においてにあると考えるわけで、そういった意味では、インド的な「ゼロ」であり「無」であり「空虚」の理論は、仏教などを通して昔から、中国や日本に伝播してきていたわけで、まったく、そういった「萌芽」が東アジアになかったわけではない。
実際、少しではあったが、中国でも日本でも、そこで数学と呼べるような「道学問」がなかったわけではない。

しかし、人間は内部に環境との調和を打ち破ろうとする衝動を持っている。人間は自分を包みこんでいるものに満足しない何かを内に秘めているのだ。人間は刻一刻変貌する。人間は欲求や欲求の満足からなる一つの閉鎖系を構成しない。人間は満足すると、そこから満足感をひっくりかえすだけの何かしら過剰な力を引き出すのだ。体や体の欲求が満たされるや否や、内奥部で何かが作動しはじめ、人間をひそかに苛み、触発し、命令し、駆り立て、突き動かす。それが「精神」、汲めども尽きぬ諸々の問題を内に孕んだ「精神というものなのだ......。
精神は我々の内部で永遠に問いつづける。誰が、何を、どこで、いつ、なぜ、どんなふうに、どんな手段で、と。精神は過去を現在に、未来を過去に、可能態を現実態に、イメージを事実に対置する。精神とは先行するものであると同時に遅滞するものである。構築するものであると同時に破壊するものである。偶然であると同時に計算である。精神は、したがって、存在しないものであると同時に、存在しないものに供される道具である。そして、精神は、つまるところ、私が言及した諸々の夢の神秘的な作者なのだ......。

ヴァレリーにとって、ヨーロッパの「体系」的な、ユークリッド幾何学的な側面と、イギリス産業革命がもたらすことになる、さまざまな科学技術による生活習慣の変化は、深く繋がったものと考えられる。それは、当然、「生活」の質を変えていく。人間は真の意味で「満足」しない。過剰なまでに「消費」したから満足するのではなく、その満足でさえ、「過剰」である行為を繰り返す。精神はまさに、古代ギリシアにおいて、ユークリッド幾何学の体系が、終わることなく、探求され続けたように、その「過剰」の運動を、たとえ場所を変えてでも、続け続ける。

現代ドイツは実践的な結果において、その行動の全般において、他に勝っている。しかし、その優位性をもたらす人々の個人的な質は凡庸であり、一定である。全般的増大にはそれが一番いいのだ。ドイツにおいては、英雄の時代は過ぎた。そういう時代は意図的に終止符を打たれたのだ。英雄時代は時には宣伝になり、ある種の有益な言葉として用いられるが、そのことがますますそれを過去に追いやってしまう。大哲学者たちは死に、大学者たちも輩出されなくなった。彼らは席を一つの無名の科学、性急な科学、一般批判や新理論のない、特許ばかりが目立つ科学に譲った。そしてかつての偉人たちが発見した諸々の事象から、模倣可能なもの----模倣することによって、後続の凡庸な人々の富を増加させるものだけを保持したのだ。
しかし新しさはそこにある。社会全体が一体となって動くのだ。競合するエネルギーが整理されて、外に向けられる。国の企業は相次いで起こされ、それぞれが、最大限の力を発揮する。社会階級や多様な職業は、順次、最高の力を示す。かくして、今世紀の歴史の中で、ドイツは綿密に練り上げられた挙国一致の計画の実現に向かったように思われる。

では、なぜ「危機」なのか。それは、ヴァレリーにとって「第一次世界大戦」の経験なしには語れない。ヴァレリーは「ドイツ」的なるものが、一体なんなのか、と問わないわけにはいかなかった。それは、言わば、「ヨーロッパ」が

  • 産み出した

ものである。確かに、ドイツは、イギリスに対して、その「産業革命」的な意味における「後進性」が言われる。そして、そういった文脈において、近代国家、ネーションステートの成立の遅れを、その「封建的」な性格から説明される。しかし、そういった意味においては、日本と似ているわけである。
ドイツ的な上記の引用にあるような特徴は、まさに、日本と似ている。おそらく、その両方を説明する文脈には、「封建制」の問題があると考えられる。封建制の特徴とは、その「地域」性であり、つまりは、地方ごとの

にあると考えられるであろう。ドイツや日本の特徴を考えるときに、その最終的に形作られた「国家」のレベルから考えるべきではない。ドイツや日本において、人々が「ルールに従う」のは、本来は、その地域における

に関係している。彼らの規律正しさは、「自分たちの地域のことは自分たちで決めた」といった、自己参加型の動機付けに成功していることを示していると考えられる。
これに対して、イギリスが、そもそも連合国家であったことや、中国や韓国においては、「身分」「階級」が自明であったことが示しているのは、その「帝国」的な性格であり、「律令」的な性格だったと考えられるであろう。
日本における明治革命政権が目指したのは、飛鳥時代から始まる、日本の「律令」国家であり、つまりはそれが、中興の祖であった。この場合に、私にどうしても考えさせるのが、

  • 雪国

について、である。ヤマトタケルノミコトがそうであるように、律令国家は「侵略」を抜きには考えられない。飛鳥時代律令国家が、アテルイの東北の統一を目指したように、九州のような温かい地域に生まれた律令国家は、その性質上、寒冷地域の征服という

  • 野望

にとりつかれる。実際、明治政府が敵国として想定したのは、ロシアであり、彼らは最初から最後まで、ロシアのことばかり考えていた。それは、ナチス・ドイツも同じで、古くはナポレオンがロシア進出を図り、ヒットラーもロシア侵略の失敗と共に、ナチスの没落を結果した。
ここには、ある仮説を考えることができるかもしれない。南国人にとって、寒冷地帯は彼らの「想像」を超える、言わば、「幻想」なのだ、と。北海道も東北も言えることが、こういった地域にとって冬は

  • 生きることで精一杯

だということである。つまり、全然「楽じゃない」ということである。確かに、そこに人は住んでいる。しかし、その存在形態は、南国とはかなり違っている。そういった生きることの難しさが、南国の人の「想像を超える」わけである。
ハンナ・アーレントは、近代国家にとって、帝国を目指すことは「帝国主義」を目指すことを意味していたと言ったわけであるが、このことは、ドイツや日本が、その「封建主義的マインド」を維持しながら、帝国という「幻想」つまり「帝国主義」を目指したとき、いわば、

  • 封建主義的「拡張」路線

は、その地理的生活環境の違い、つまり、南国マインドの寒冷マインドとのギャップによって、その

  • 限界

を露呈した、つまり、「封建主義的マインド」の拡張路線(=明治の大日本帝国ナチスドイツのような帝国主義)には、このような「必然的な制約」があった、と考えることもできるのかもしれない...。

精神の危機 他15篇 (岩波文庫)

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