福谷茂『カント哲学試論』

言うまでもないが、私は、月も太陽も引っ張っているし、月や太陽も私を引っ張っている(まさに、コペルニクス的関係)。これが、物質なるものの間に起きる「重力」に関する法則なわけであるが、ということは何を意味しているかというと、

  • この関係を逃れられる絶対的な「外部」はない

ということを意味する。このことは、言ってしまえば、デカルトの「二元論」から、カントの一元論への絶対的な変更の意味を与えていると考えられる。

すなわち、不一致対称物というケースにおいてカントが問題にしているのは、全体と部分の関係という醇乎たる形而上学的問題であることが明らかであろう。空間に根源性を認めることは、全体と部分の関係をめぐる形而上学的問題において逆転を生ぜざるをえないことになるとカントが気付いたことをこの小論は示しているのである。これはさらに重大な帰結を持っている。それまでの形而上学は、特に「講壇形而上学」は、この観点から見ると、部分から全体を構成ないし合成することができるという前提に基づいていた。基本的な存在者 ens は個物として捉えられている。これは根本的な意義を持つ前提であり、世界と個物の関係も、概念と直観の関係もこの関係によって律せられてきたのである。ところがこの前提を置くならば不一致対象物というめあましい事物を説明することはできず、全体と部分の関係を逆転することによってはじめてこの事例を説明することが明らかになった。そうである以上、それにあわせて世界と個物との、さらには概念と直観との関係もまた考え直さえねばならない、という結論が導かれてくる。つまり、カントは在来の、そしてカント自身のそれまでの、存在論がその基本的了解において破綻したことをここで目撃したのであり、同時に、残された道は、絶対空間という形態において取り敢えず目撃されたニュー・タイプの基盤的存在者を受け入れた上で、なお存在論がどのようにすれば可能であるか、という問題であることを自覚したのである。もちろんこの論文でカントは問題の大きさに対する予感は示しているにしても、それが一七八一年に至るまでに次々と引き込むことになる諸課題はまったく予想できなかったことだろう。

なぜカントは超越論的哲学、つまり、物自体そのものの哲学から、現象のみの哲学へ移行しなければならなかったのか。不一致対称物というのは、例えば、右手と左手を考えてみるといい。この二つは明らかに違う。それは、空間的に二つが、たとえ透明であっても重ならないという性質が端的に表している。ところが、よく考えてみてほしい。この二つは確かに違うものでありながら、この二つを「概念」によって説明よしようとすると、驚くべきことに、まったく同じになる、というわけなのである。
それは、例えば、両手について書かれた文章を、テキストエディターで、その「右」の文字の個所を「左」の文字に、またその逆に、全置換しても「文章が成立する」ということを表している。
もちろん、こういった性質のものが別に、めずらしいわけでもないし、現代の数学であれば、なんらかのトポロジー理論のようなものによる「説明」はいくらでもつけられるのであろう。しかし、カントが受けた衝撃は、そういうところにあるのではなく、今風にう言うなら、シニフィアンシニフィエの違いのようなもので、ここで「形而上学」というものを「文章で書かれたもの」という意味で、ひとまず定義するとするなら、その文章で書かれたもの(=シニフィアン)の構造

  • だけ

では、右手や左手という私たち生活者には余りにも自明な差異でさえ、「説明できない」ということの自覚だった、というわけである。
もちろん、現在の私たちにしてみれば、ここでカントが「驚いている」理由が分からない、というのは、しごく常識的な感覚なわけでして、少し分かりにくい印象を受けることはしょうがない側面はなきにしもあらずなわけで、それは私たち自身が言わば、

  • カント以降

の世界を生きていることが示している、と言えないこともないわけである。言うまでもなく、カントはカント以前を生きていたわけで、彼にとっては、それ以前のアリストテレス形而上学であり、スコラ哲学であり、ヴォルフ--ライプニッツ哲学との対決を生きていたわけで、その彼にとって、「単純にそれ以前の形而上学ですますことのできない」ように思われる認識を迫られているように示唆され、動機付けられた、というわけである。
しかし、である。
既存の形而上学が存在する、その場所においてそれと対決するとは、一体どういうことを意味するのだろうか。
例えば、ニュートン力学が、「運動状態」という、アリストテレス以来の「運動」と「状態」という本来、あい矛盾する概念を結合することによって、まったく意味の違う

  • 公理系

に変えたことは、よく知られている。ニュートン力学において、等速運動と静止は、そもそも、区別されない。しかしこのことは、それ以前のアスリオテレス物理学においては、驚天動地の話である。これは、たんなる、一部の用語の「変更」では済まない。その体系

  • 全体

が、まったく違った意味において、息を吹き込まれた、まったくの「別物」(=別公理系)と呼ばなければならない状況であるわけである。

われわれの解釈は「一なる可能的経験」こそ、可能性と現実性との混淆というヴォルフ--バウムガルテン以来の難点を癒すものだということである。言い換えると、「一なる可能的経験」こそが、現実性の別名でしかない可能性と可能性の別名でしかない現実性とを超克して真正の可能性概念を樹立するという課題に対するカントの答えである。そして、より広い視野の中で言うならば、ヨーロッパ哲学の顕著な方向性であってきた、可能性が現実性に、現実性が必然性に、そして必然性がさらに(もはや様相性を脱却した)永遠性へと還元されてゆく動きを断ち切ることこそカントがこの概念によって果たそうとしたことなのである。

こういった傾向は言うまでもなく、ヘーゲルに似ていると言えるであろう。というか、ヘーゲルは明らかに確信犯的に、カントを無視して、先祖返りしている。そもそも、ヘーゲルはこういった意味でのカントを理解していないし、嘲笑している。そして、同じ意味において、近代のヘーゲルに親和的な哲学者も、この意味で、ヘーゲルに同調し、カントを嘲笑している。それは、ようするに、このことが、カント以前の

  • 常識

だったからであり、こういった「作法」がキリスト教の「ドグマ」と非常に密接に存在したからである(ヘーゲルにとって、哲学とはキリスト教神学の再構築と変わらない作業であった、ということを意味するのであろう)。
では、カントが「構想」した「人間の学問」とは、どういったものであったのだろうか?
このことについては、今では、多くの人が言及するようになったが、カントと数学や論理学(また、最近ではコンピュータ・プログラミングとの関係においても注目されるようになった)との関係における

が、一体、どういったものであったのかといった視点で考えると分かりやすいのではないだろうか。

さて直観主義を始めたのは L.E.J.Brouwer(ブラウワー)ですが、Brouwer は論理も人間と無関係のところに真とか偽とかがあるわけではなくて、論理自身も人間の行動に基づいたものでなければならないと考え、即ち、単に真とか偽とかを考えるのでは意味がなくて、我々がその事実を確認する方法をもっているかどうか、が重要だと考えます。したがって、今まで "Aが正しい" といっていたことを、"Aを確認する方法をもている" といいかえるべきだと考えます。

しかし次の二つのものはかなり意味が違って来るものです。

  • ∃xA(x) A(x) が確認できるような x を見つける(またはつくる)方法をもっている。
  • A --> B A を確認する方法が与えられたときに、その方法をもとにして B を確認する方法を作れる方法をもっている。

直観主義的集合論 (紀伊國屋数学叢書 20)

ブラウワー本人は、もう少し難しい表現で考えていたようであるが、現在の数学や論理学では、この程度に定式化されているが、明らかにブラウワーであり他の直観主義者たちが、カントの影響を受けていたことが分かるであろう。

カントは判断表を提出する際に在来の論理学にいくつかの修正を加えている。われわれの目的にとっては判断の「質」として肯定判断 S ist P. と否定判断 S ist nicht P. 以外に無限判断 S ist nicht-P. が立てられていることが重要である。一般論理学では無限判断は肯定判断として数えられるが、カントによると「魂は可死的ではないものである。Die Seele ist nicht-sterblich.」という無限判断(das unendliche Urteil)は「魂は不死的なるものである Die Seele ist unsterlich.」という肯定判断とは厳密に区別されねばならない。なぜなら後者は「不死なるもの」という明確に限定された外延のうちに魂を置くのに対し、無限判断のほうは「可死的ではないもの」という何ら限定されない外延と主語を関係付けるからである。言い換えると無限判断とは「魂はあらゆる可死的なものを除去した後に残存する無限個の物のうちの一つである」(A72=B98)ということを表明する判断に他ならない。この事態がどのような positiv な性質を主語に関係付けることによっても表現しえないものであるゆえに、無限判断が肯定判断から独立させられねばならなかったのである。

直観主義的数学が、カントの「無限命題」を非常に意識して定式化されていることがよく分かるであろう。カントのこの「無限命題」という論理学に加えた微妙な変更が、彼のアンチノミーにおいて、その二律背反問題に対しての扱いを微妙に変更させていることが、カントにとっての彼なりのアンチノミーの「解決」を許す構造になっているわけである。
言うまでもなく、直観主義的数学においては、その排中律は成立しないだけではなく、数学的定式化においては、一見、上記のような命題の「意味」のシニフィアンにおける変化がありながら、その定式的な意味においては、この排中律の公理を除去する「だけ」で、成立することが知られており、直観主義数学は完全に、一般数学の「内部」に内包された、トリビアルなものとして解釈されている。
そして、言うまでもないが、コンピューター・プログラミングは「直観主義的数学」の世界である。だとするなら、問題はここにおいて、どこまでのことが言えるのか、という問題になるわけであろう。

この様にして、「一なる可能的経験」は単に非汎通的規定的であるのみならず、実は、われわれがそこで新しい規定を生み出すおとができる場所であることが判明するのである。「一なる可能的経験」における物、即ち現象とは、ただ単に汎通的に規定されていないだけでなく、むしろ、あらかじめ確定されてはいない新しい規定を獲得し、また既製の規定を変更できる余地を有する存在なのである。
このことは重大な帰結を持つ。つまり、「一なる可能的経験」のうちに与えられた現象としての世界は本質的にそれ自体として未だ未完成なのであって、その未完成性を完結させることをわれわれに対して----その現象としてのあり方そのものによって----要請しているものなのである。換言すると、世界の非汎通的規定性がわれわれをして形而上学的レヴェルにおいてすでに能動的たらざるをえなくしている、ということができる。われわれが一方的に能動的であるのではなく、世界のあり方としての非汎通的規定性とわれわれの能動性とがぴったりと噛み合っている場所、両者が同時に成立する場所が「一なる可能的経験」なのである。現象としての世界は確かに汎通的規定性を持たず、従って、全面的に<知>の対象となることは決してない。しかし、まさにそれゆえにこそ、そこにおいてわれわれは能動的で自由な存在たりうるのである。

カントの構想した「人間の学問」としての批判哲学は、言わば、人間にとっての何かであり、ということは、われわれ人間が到達」できる

  • 限界

を認めるところから始める哲学だと言えるであろう。つまり、その理論の「最初」から、ある限界が仮構されることを認める理論だということになる。しかし、多くのカントを理解できなかった、また、今でもカントを拒否する

たちは、そもそものその「哲学の限界」という考えが納得できないのではないか。なぜなら、主観的に考えるなら、その「限界」を「認識」すればいい、と考えるのだから(いかにも、頭のいい人が言いそうなことだが)。
しかし、逆にカントはそうは考えなかった。限界があるということは、理論が完成していないということであり、ということは、その実践において、理論はさらに「発展」する、と考えた。むしろ、人々に実践的な「行動」が

  • 意味のあること

であることを、逆に証明し、後世の人々の行動を促した、ということになるであろう...。

カント哲学試論

カント哲学試論