國分功一郎『スピノザの方法』

掲題の本のタイトルにある「方法」という言葉は、どこか「不思議」な様相を帯びている。なぜか。
言うまでもなく、ここで言う「方法」とは、デカルトにおいてすでに問われていた命題で、つまり、真実に辿りつくための「方法」ということである。しかし、それは、どういう意味か?

なぜ標識は必要ないのか。というか、なぜ標識を求めてはならないのか。それはこれまでの議論からすでに明らかである。標識はその標識の正しさを証し立てる別の標識を必要とする。この論理は無限に繰り返すことができるから、われわれは標識を求めるかぎり無限遡行に陥るほかない。

デカルトは「真実」に到達するためには、それを実現させるための確実な「方法」を探求することが重要だ、と考える。ある方法に則るなら「確実」に真実に至れるのであれば、「安心」だ、というわけであろう。しかし、スピノザはこの考えに反対する。なぜなら、これは一種のトートロジーについて言っているように聞こえるから、となるであろう。もし「確実」に真実に至ることを可能にする「方法」なるものがあるなら、それは、情報論的な言葉を使えば、

  • その「方法」は、その「真実」の情報のコンパイルされたもの

と言うこともできるであろう。つまり、この二つの間の「準同型性」が証明されるのだ。
しかし、こういった指摘は、そもそものデカルトの「関心」を確実に逸脱してしまっているように思われる。デカルトは言わば、懐疑論者からの「懐疑」と戦っている。その過程において「方法」の重要性も考えられている。
彼にとって、自らの実践は、そういった懐疑論者との論戦における「応答」として意味があるのであって、それ以上でもそれ以下でもない。つまり、デカルトにとって、こういった闘いには意味がある、と思っているのであって、そうである限り、単純にこういった態度を否定することはできない。
他方、スピノザにおいては、そういった「情熱」は、もはや冷めてしまっている。彼はデカルトのその熱さに「しらけて」いるのだ。

スピノザはみずからの哲学のなかに論駁、あるいは説得というモーメントを設けていないのだ。「真実の十全な観念あるいは想念的本質をもつ人のみが最高の確実性の何たるかを知りうる」のだから。したがってスピノザの考える真理は弱い。それは討論のような場においてはまったくの無力である。それは誰も説得しない。そしてその弱さが理論的に意味するところはきわめて大きい。
スピノザ自身、みずからの真理の弱さに自覚的だった。スピノザは第四十七、四十八節で「懐疑論者」に言及しているのだが、それについて「結局このような人間とは、学問について語ることができない」と述べているのである。

こういった「懐疑」に対するまったく冷めた態度は、驚くべきことと言うより、端的に、デカルト自身の「精神」に反している。言うまでもなく、デカルトは自らを「懐疑論者」だと言うだろうから。もっと言えば、カントの「批判」が、非常に「ドグマ的」なるものに対抗する形で、「懐疑的」なるものと非常に親和的な形で「方法」とされていたこととも比較されるだろう。
スピノザは「エリート」主義である。彼は自分が考えた「考察」に絶対の自信をもち、それに「好意」をよせてくれない連中をすべて、自分の「敵」だと考える。つまり、「好意的読解」でないということが、イコール「悪意」による、クレーマー行為だ、ということになるのだろう。これは言わば、絶対に負けない論理である。自分の言うことに反論している限り、そいつは「頭が悪い」。なぜなら、自分は頭がいいから、ということになるのであろう orz。
スピノザは一見すると、デカルトと同じように、真理に辿りつくための「方法」について語っているように見える。それは、実際に彼自身がデカルトの非常に高度な「入門書」を出版するところから、哲学を始めているように、基本的にはデカルトの引いた延長で考えているからだ。
しかし、非常に重要なポイントにおいて、彼はデカルトを換骨奪胎する。それをもし、いわゆる近代哲学的なターミノロジーで言わせてもらうなら「実存的」ということになるのであろう。
では、そもそもスピノザをこういった哲学にのめりこませることになった「動機」はなんなのだろう? 掲題の本は、そこにある関係を非常にクリアな形で紹介してくれている。

ルノーは、「第四反論」のなかで神の存在理由を起成原因[causa eficiens]で説明してはならないとデカルトに反論した。アルノーの反論は興味深いものである。彼は次のように言う。起成原因を問うことができるのは、ある事物の現実存在[existentia]に関してだけである。たとえば三角形の起成原因を問うことは、誰が三角形を世界に存在せしめたのかと問うことを意味するが、そのように問うことは不条理である。また、三角形の内角の和は二直角に等しいのはなぜかと問われても、それに対して起成原因をもって答えることはできない。それは三角形の本質だからと答えるほかない。同じことが神についても妥当する。神の存在の原因について起成原因をもって答えることはできない。神の本質には存在が含まれていると答えるほかない。
これに答えてデカルトは、「第一答弁」より「神のうちには大きな力が、すなわち、存在するために、そしてまた、いまもその存在が維持されるためにいかなる介助もまったく必要とせず、したがってある意味で自己原因であるほどの、汲み尽くせぬ力がある」という一文を引き、それについて、たしかに自分はここで「自己原因[causa sui]」と言っているけれども、この語は起成原因という意味で理解することはできないはずだと言う。デカルトはつまり一方で神の起成原因を否定したことには賛成するが、しかし同時に、アルノーがそれによって神の広大無辺な力は積極的なものであることをも否定してしまわぬよう希望する、と。デカルトはつまり、神の起成原因を否定するにしても、そのことを「神は原因を欠く[sine causa]」という意味で理解してはならないと言っているのである。

自己原因の概念の開発は、起成原因の概念の刷新と切り離せない。もしアルノーの言うように三角形の本質が起成原因をもたないのであれば、神は万物の原因ではないこととなってしまうだろう。自然界と神との間には切れ目が走り、神は超越的であることを免れえない。それは神に対してわれわれが知るのとは別の因果性を付与することを何から何まで神のせいにする「無知の避難所[asylum ignorantiae]」を設けることにまでつながるだろう。そして自己原因がたんに「それ自身によって存在する」や「存在するための原因を欠く」という意味に解されるならば、自然界の因果性と神の因果性との断絶は決定的なものとなる。神は自然界から切り離されたところで孤独に自給自足していることになってしまうだろう。よって神と自然界とが同じ因果性のもとにあり、かつ神が自己原因として存在するような、そうした論理がつくりあげられなければならなかった。スピノザはそれゆえ、内在性と呼びうるであろう概念をみずからの哲学の中心に配備したのだ。「神はあらゆる事物の内在的原因[causa immanens]であって超越的原因[causa transiens]ではない」(第一部定理十八)。「在るものはすべて神のうちに在りかつ神によって考えられなければならぬ」(同証明)

こうやって見ると、スピノザの「動機」が非常に分かりやすく思われる。デカルトは論敵であるアルノーのと対話の中で、神は

  • 自己原因

である、という表現を言わば「苦しまぎれ」に使わざるをえなかった。それは、神を「存在」との関係において論じようとするなら、どうしても「原因」との関係を抜きに考えることは、あまりにも「バランス」が悪かったからだ。しかし、どうだろう。「自己原因」。

  • なに言ってんの(嗤

となるであろう。これほど意味不明な言葉もないであろう。アルノーが言っているように、そもそも原因とは起成原因のことなのだ。そうでないなら、そうでない、でいいではないか。なんなんだ自己原因って。一体、なにがどうなっていることを言いたいのか。さっぱり意味不明なわけであろう。
しかし、デカルトはどうしても、「原因はない」と言いたくなかった。だって、そう言った時点で、神は「この世界とは完全に隔絶しているもの」といった印象をまぬがれない、この世界に生きる私たちとは、あまりにも隔絶として浮世離れした存在といった、自分たちに「関係ない」存在といった印象として受けとられかねないからだ。
この前、このブログでも書いたように、そもそも形而上学とはスコラ哲学のことであった。ここにおいては、トマス・アクィナスがそうであったように、形而上学の「対象」とは、「神が創造したもの」ということになっていた。つまり、この「対象」の中でなにかを論じるものであることが前提だった。ところが、近代西洋の幕開けとともに、その存在というターミノロジー

  • (今ここにおいて)存在として与えられてしまっているもの

といった意味が浸透していくと共に、その「存在」には、神の創造したものだけでなく「神自身」さえ含まれて、はたして「神は存在するのか」といった命題までが「考察の対象」として逃れられなくなってくる。
こういった視点で見たとき、スピノザにとってデカルト

  • 神学として、あまりにも中途半端

に、すべてをひっかき回したまま、この世から去ってしまった、困った人に映る、ということになるのであろう。こんなに世界を混乱させるのなら、デカルトなんていなければよかった、とさえ言いたくなるほどに。デカルトは、それまでの「信仰者」たちがもっていた

  • 心の安寧

を完全に破壊してしまった。それまでの、確固とした信仰をもたらしていた教義を、あちこち、ひっかき回して、そのままでは使いものにならないようにした。信仰を続けられなくした。そういう意味では、スピノザにとってデカルトは怒りの対象なのかもしれない。
しかし、早い話が、スピノザは「信仰者」なのだ。彼は自らの「信仰」を守るために、徹底的に考えた。一体、どうすることが自らの信仰を守ることになるのか。こういった意味で彼は

  • 合理的

であった。彼にとって、哲学をすることは、自らの信仰を生きることと切り離せなかったわけである。

『エチカ』の有名な太陽の例を参照しよう。太陽を見ると、われわれは身体が受ける刺激ゆえに、それがすぐそばにあるかのように考えてしまう。しかし実際には太陽ははるか遠くにあり、はるか遠くにあってもわれわれの身体に強い刺激を与えることができるほどの熱を発しているだけなのだから、そのような太陽の観念は間違っている。これは太陽についての非十全な観念である。だが他方、この非十全な観念は、太陽が強烈な熱を発し、それが身体に刺激を与えるという事態を正確に「示している[inidicare]のであって、その意味ではそのなかにもある種の真理性が見出される。

しかし、これでは不十分であるとスピノザは考えたのだ。どういうことか。たしかに太陽についての非十全な観念にもいくばくかの真理性があろう。だが、どうやってそのなかから真なる部分を取り出せばよいのか。つまり、所与のもののどこに真理性があるのかをどうやって知ることができるのか。われわれは途上に暮れるほかない。

しかし、『知性改善論』を書いていたスピノザは、太陽から始めることをあきらめた。そしてこの問題に答えて次のように述べることとなる。----われわれは「与えられた真の観念」から出発すべきであるが、そこには次のような明確な限定を付さねばならない。「身体が受ける刺激からではなくて、純粋精神から生ずる観念をもつこと「(第九十一節)。身体から受ける刺激によって形成された観念では頼りない。繰り返すが、太陽の(非十全な)観念のどこに真理性が見いだされるのかは知りがたいからである。いたがって「純粋精神から生ずる観念」を頼りにすべきである。ではそれは端的に言って何か。そうした観念の例として挙げられることになるのは円や球などの幾何学図形である。幾何学図形は「その対象がわれわれの思惟力に依存して自然のなかには存在していないことをわれわれが十分確実に知っているところの或る真の観念」(第七十二節)である。これならばどこが真理でどこが真理でないかが明白であり、出発点には最適であるとスピノザは考えたのである。そして幾何学図形を出発点とするためには、それを明確に定式化する定義論が必要になる。「与えられた真の観念」と定義論は矛盾するどころか連動している。

スピノザデカルトのさまざまな「困難」を解決し、自らの「信仰」を守る上で彼が使うことになる戦略の中でも、この「定義」による言わば、『エチカ』の公理論的なスタイルの採用は非常に特徴的であると言えるだろう。重要なことは、なぜそういったスタイルを彼が採用したのか、ということなのである。
その一つの理由が上記の引用だと言えるだろう。スピノザは「観念」の十全性の矛盾にとらわれたとき、彼はその問題の「解決」を、いわゆる「感覚的」なものを「不完全」として、採用しないところから最初は始める、というスタイルに行き着く(これを、ある種の「観念論的転向」と言うこともできるであろう)。
しかしこのことは、例えば、カントとの比較で考えたとき、大胆かつ説得性を犠牲にした、ということになるのかもしれない。カントにとって、それは「感性の束」として、非常に重要な理論上の役割を与えられている。しかし、スピノザにとっては、どうしてもそこから理論を始められない。その代替物として、幾何学図形が用意される。
しかし、これはどういうことであろうか?
幾何学図形とは、ここではどういった「観念」として言われているのだろうか。例えばそれをカントにおける「抽象」というものへの批判と比較してみるといいのかもしれない。カントにおける「無限批判」は、そもそも、そういった数学的「存在」を「抽象」という、なにか「対象」、つまり、「抽象」をあらわす存在として解釈する立場をとらない。カントにおいては、抽象ではなく

  • 取り除き

といった、まさに、中学校の数学の幾何学でやった「補助線」と同じように、実際にその対象から、今の考察において不要な属性を「除去」していく

  • 行為

を抜きにして考えられない。そういう意味では、カントの考察する対象の中に、いわゆる「三角形」や「平行線」といったものはない。それは、言うまでもなく「幅のない線」や「大きさのない点」といったような観念が矛盾しているのと同様に、そもそも実際の世界には、そんなものはないから、ということになる。
だとするなら、ここでのスピノザが自らの理論の出発点として置こうとしている、こういった幾何学図形が与える観念の意味とはなんなのか、ということになるであろうが、それが「定義」にある、と考えられないだろうか。
スピノザは、つまりは「観念」を

  • 定義

と言いかえたのだ。そういう意味で、スピノザによる『エチカ』は、公理論的スタイルに意味があるというより「定義」から始めることが重要だった、ということになるのであろう(その『エチカ』を最も特徴付けているものが、神の「定義」のその内容にあることは言うまでもないであろう)。
何度も言っているが、彼にとって大事なことは「信仰」である。彼はデカルトのように懐疑論者であろうとすることや、懐疑論者と議論をすることに、なんの「価値」も見出していない。彼にとって、唯一大事なことは

  • 自分の「信仰」という心の平安

である。つまり、彼がなにかしら自分で「納得」のいく地平まで行けたら、あとはどうでもいいわけである。彼がクレーマーと呼ぶ懐疑主義者が、どんなにその問題点を指摘しようとも、そんなものは「自分と動機を共有しない連中」という時点で、悪意をもって営業妨害をするクレーマーとして、自分の見えないところに排除すれば「自らの信仰のための心の平安」を保てる、ということになるのであろう。
そういった意味においては『エチカ』の神の定義は、その「内在的」という彼の与えた特性に全てが込められている、と言えるのかもしれない。内在的、つまり、「内部」ということは、まあ、ライピニッツのモナドにおける「窓」のようなもので、まあ、どんなことでも「中」でのことなので、なんでもありえる、といったような逃げ道をつくった、ということになるのであろう。それは、一種の論争を終わらせるスタイルと言えるのかもしれない。
なんだか分からないけど、「中の人」では、なんかいろいろな事情があって、みたいな話で、まあ、神の話なんてものは人智を超えているでいいじゃないか、と言いたいんでしょうね。それ以上のつっこみは「無礼」ということなのでしょう、信仰者にとっては。
そういう意味において、近代哲学とはスピノザのことであったし、スピノザは今にまで続く「流行」だと言える。スピノザは、言ってしまえば、それまでの神学と哲学をめぐる近代の論争に「答」を与えた、と受けとめられたわけである。
こう考えたとき、いわゆるカントの批判哲学が、こういった文脈を離れて、独特のスタイルとして受けとられたことは理解できるのではないか。
この前も書いたが、カントの批判哲学のアイデアの源泉はロックであった。つまりそれは、たんに懐疑論的というより「主観に基ずく」という言葉が使われていたように、

  • 心理学的アプローチ

を「徹底」するところにある、と言えるだろう。たとえばロックにとって神の存在というより、「なぜ人間は<こうやって>神について考えずにいられないのか」という「心理学的な問い」に、この問題は還元されている。このことは、カントにおいては、神の存在の証明ではなく、神の存在の「アンチノミー」となっていることに対応している。
しかし、だからといって、カントがこういった公理論的な形而上学のアプローチを全否定したことを意味するわけではない(それはカントの晩年の『オプス・ポスツムム』にあらわれていると言えるのかもしれない)。そういう意味では、カントはスピノザを否定していると考えるのも違う。それは、信仰を残すなら、ああいった形しかありえなかったんじゃないのか、という認識とも関係しているのかもしれない...。

スピノザの方法

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