山内廣隆『ヘーゲルから考える私たちの居場所』

この前紹介した、小泉義之さんの『「負け組」の哲学』という本の特徴として、後半の議論において、

と言っているところにある。その意味は、いわゆる野口悠紀雄さんの「1940年体制論」から考察されていて、つまり、戦中から戦後に至る革新官僚たちが、むしろ、戦中に考えていた革新政策を次々と、戦後、実現させていった、という意味で、言われている。

私が指摘しておきたいのは、社会主義ソーシャリズム)の語義と歴史からするなら、現在の先進諸国は社会主義に分類されるという歴然たる事実である。

「負け組」の哲学

「負け組」の哲学

さて、社会主義について考え直すために、野口悠紀雄『1940年体制----さらば戦時経済』(東洋経済新報社、一九九五年)を引いておこう。
野口は、「日本では皮肉なことに社会民主主義的な政策は、官僚によって推進されてきた」と見る。すなわち、戦後の高度成長を支えた諸制度は、戦前の農村救済策、借地法・借家法、健康保険制度など、「新官僚」や「革新官僚」によって導入された社会政策的な制度に由来している。
「負け組」の哲学

一九四〇年体制ないし戦時体制・総動員体制は、社会主義である(ウェーバーやディルケムの用法に照らして、と言い添えてもいい)。新官僚革新官僚は、戦争を利用して「上からの」社会主義革命を遂行した職業革命家集団である。したがって、それと地続きの戦後日本も、社会主義である(西ヨーロッパの用法に照らして、と言い添えてもいい)。自民党は、その見かけにかかわらず、社会主義政党である。そして、日本の議会政党は、すべて社会主義政党である。そんな社会主義体制が綻びかけているのである。
「負け組」の哲学

こういった認識は、そもそも、私たちにとって、社会主義とは一体、何を意味していたのか、という問いをつきつける。
ここで大事なポイントはなにか。私たちは、例えば、日本の戦中の革新官僚がなぜ福祉を行わなければならないと考えたのか、といった問いによって、彼らの「動機」の不純さをもって「それは社会主義ではない」としがちだ。それは、今の自民党に対しても言える。自民党が国民の福祉をやりたがるわけがないから、それは「福祉ではない」と言いたくなりがちになる。
しかし、ここで問われているのは、どういった動機や行動であれ、それによって実際に

人がいるなら、それは一つの社会主義だと考えるべきだ、ということなのである。
しかし、この場合に、一つの「注意」がいる。それは、やはり社会主義「ではない」と言うことを可能にする地平が必要だ、ということである。
どういうことか。
前回、私は、リチャード・ローティの言う「リベラル・ユートピア」が一種の「エリートによる人類救済計画」のような形態になっていたことを注意した。私はその本を読んでいて、この本で転回される「リベラル・ユートピア構想」は、完全に共産主義運動と同型なんじゃないのか、という印象を受けた。
実際、共産主義社会は何を実現する社会なのだろうか。このことは、結局は、一つのことしかないと思っている。つまり、「一人一人が<満足>する」社会である。毎日、なんらかの理不尽な要求によって、自らが人間として、まっとうに扱われない状態に恒常的に置かれない社会である。そのための条件は二つある。

  • 自分の置かれている状況を客観的に判断できるようになる「教育」を平等に受け、「大学」などの研究生活に開かれた教育インフラに人びとが「開かれている」こと。
  • 自分の置かれている状況を客観的に判断できるような日々の「住居環境」「食事環境」「医療環境」の一定の安定が実現していること。

この二つのポイントは、両方とも、

  • 何が自分にとって理不尽であり、不快であるかを判断「できる」ための最低条件

だということである。つまり、こういったことを判断するためにも、そもそも、上記の二つが実現されていなければ「できない」という意味で必要なのだ
ただし、この場合一つ、忘れてはならないポイントがある。それは、「ゆとり世代」の子どもたちがそうであるように、

  • 他人に気を使う

ということ、である。もしかしたら、自分の言っていることは、たんなる「わがまま」なのかもしれない。そうだとすると、相手を手段としてだけでなく目的としても扱わなければならない、カントの格率に反してしまうかもしれない。そうして「ゆとり世代」は、非常に「遠慮がち」であり「相手のことを思いやる」世代だと言える。つまり、こういった「悩み」を伴わずには、一切の判断はありえない、ということなのだ。
こういった意味において、マルクスからレーニンへと至る、共産主義革命のプログラムは徹底して「カント」的だと言えよう。
これに対して、リチャード・ローティのプログラムは「他者への残酷さへの共感」によって、人びとが「連帯」していく形によって「目指される」革命である。
どう思われるだろうか。
確かに、非常に似ていると言えるし、そういう意味では両方とも「リベラル」な政策ということではそうであるが、微妙にニュアンスが違う。
どういう意味か。
つまり、リチャード・ローティのプログラムは、どこか「ヘーゲル」的なのだ(晩年、彼がヘーゲルを非常に評価していたことは言うまでもない)。つまり、ここで言う「他者への残酷さへの共感」は、一歩踏み込んだ「判断」になってるところが特徴なのだ。
これに対応するのは、ヘーゲルにおける「承認」という言葉である。私たちは本当に承認を求めているだろうか。そもそも、どうなったら承認されたことになるのか。どうして分かるのか。
つまり、ヘーゲルの「承認」論には、どこか「他者についての不透過性」をあまり深刻な問題と考えていない側面が見られる。それはローティについても言えるだろう。「他者への残酷さへの共感」は、そもそもそんなことの認識が「可能」なのか、「成功」するのか、という問いから始めなければならないのではないか、と思われるが、ここで、ローティとヘーゲルは、ある「共鳴」を始める。つまり、

としての何か、だとするわけである。ローティやヘーゲルの言う「共感」や「承認」が実際にあるのかないのかの前に、そもそもそういったことを判断できるのは、数限られた

  • エリート

によってであり、しかもその「表現」は、かすかな「比喩」という、人類の「未来の希望の瞬き」として、垣間見られる、といったような、あるかないかもよく分からないような形でしか、人類に示されない。
しかし、人類の未来は、こういった一部のエリートの「やんごとなき働き」に賭けるしかない、という認識においては、徹底してパンピーとエリートは、

  • 身分的差別

と言ってもいいくらいに、この差異を決定的に肯定するところからしか何も始まらない、という形態になっている。
このことは、マルクス主義の伝統において「プロレタリア独裁」の役割と、完全に同型になっていることが分かるであろう。
私たちが普通に共産主義社会を考えたときに、どうして「独裁制」が、こんな社会にまで残っているのか、と不思議に思った人は多いのではないか、と思われる。しかし、上記のように、ヘーゲルやローティの延長でマルクス主義を考えたとき、むしろ、

わけである。つまり、このポイントは彼らにとっては、決定的なクリティカルなポイントなのであって、決して譲れないわけである。
そもそも、カントとヘーゲルを分かつ、決定的なヘーゲルの特徴とはどこにあるのだろうか。
おそらくそれは、掲題の著者が言うように、ヘーゲルフランス革命についての「評価」に関係していると言えるのではないか。カントなど、当時のリベラルな知識人においては、おおむね、フランス革命については全肯定という中にあって、ヘーゲルも基本的にはフランス革命を肯定している。そういう意味において、彼の哲学が「自由」の哲学として構想されていることは言えなくはない。問題は、フランス革命において、その後に起こった、さまざまな恐怖政治であり、特に「宗教」の危機にあった。
ここから、ヘーゲルは独自の考察を始める。つまり、国民と国家と宗教の三つの関係を考察したわけである。まず、単純に国家が宗教を吸収してはならない、と判断する。なぜなら、その状態の打倒が、フランス革命であったのだから。宗教国家は概ね、独裁的な強権政治に結果しがちになる。
しかし、このことから、ヘーゲルは国家と宗教の、それぞれの「関係」について、考察せずにいられなくなった。

引用文にあるように、国家はヘーゲルにとって、「神的意志の現在における現れ」であり、決して宗教(教会)の下にあるような存在ではなかった。ヘーゲルはこのように宗教(教会)に対する国家の優位を打ち出し、宗教の国家に対する優位性を主張する人びとへの反論を開始する。
宗教にとどまり、宗教の純粋さを保持しようとする人たちがいる。ヘーゲルの頭の中には、哲学者シュライエルマッハー、キリスト教の宗派で言えば、クエーカー教徒や再洗礼派、そしてユダヤ人たちがあった。こういった人たちにとっては、宗教における絶対者への関係だけが意義あるものであり、それ以外のもの、つまり現実的なものは「偶然的なもの、消失するもの」でしかなかった。そうすると、彼らにとっては、国家といえども、偶然的で否定的なものとなる。どうも宗教には現実に対する侮蔑がある。

ヘーゲルは一方において宗教の重要さを語りながら、他方において、国家と宗教の「分離」の重要さを、フランス革命の意義の分析から語らずにいられなくなる。しかしだとするなら、ここで言う「国家」とはなんなのか、という問題が急に浮上してくるわけである。
国家は宗教と一定の距離を置くことが必定となるわけであるが、だということは、非宗教的存在なのか、という疑問がわいてくる。しかし、それを認めることはできない。つまり、国家は宗教における「例外」だと言わざるをえなくなる。
つまり、国家は「宗教的存在」であり、なおかつ、例外的なまでに、「非常に重要」だということにせざるをえなくなる。
そこから、ヘーゲルにおけるほとんど、国家一元論とさえ言ってもいいくらいの、あらゆる諸価値の国家への収斂の様相が、露骨になってくる。
国家は「宗教的目的」とならざるをえなくなる。つまり、ヘーゲルは一方において、市民社会フランス革命を経ることで、自由な存在になったことを認めた上で、その「先」を語る。つまり、でもその自由は「国家が目的」の自由なのであって、そういった「自覚」によって

  • 真の自由

になるのだ、と。国家の「ため」に生きることが真の自由なんだ、と。
こういった特徴をもっともよく示しているのが、ヘーゲルによるカントの連合国家構想への嘲笑であろう。ヘーゲルには、国家を超えるような連合を考えることができない。なぜなら、そうするということは、「国家の宗教的超越性」に対する、なんらかの「関係」を与えなければならなくなるから。つまり、これを認めることで、国家自体の

  • 相対性

を生み出すことになり、国家の「意味」の弱体化を結果してしまう。
ヘーゲルにとって、国家は「あらゆる源泉」になってしまう。しかしこのことは、国家に「宗教的なシンボル」性を与えた時点で、避けがたい宿命(さだめ)になっていた、と考えられるのではないか。

ヘーゲルは戦争を肯定しただけではなく、また戦争の必然性を認めただけでなく、戦争に国家維持のための重要な「意義」を見出した。ここにヘーゲルの悪名論の最も奥深い起源がある。ヘーゲルは戦争のもつ人倫的意義を次のように語っている。

「諸国民の人倫的健全さは、有限な諸規定の固定化に対して諸国民が無関心であることのうちに維持されるのである。それは風の運動が海を腐敗から守るのと同様である。持続する安寧が海を腐敗へと移し変えるように、持続的で永遠な完全なる平和が諸国民へと移し変えるのである。----外に対する偶然的関係に含まれるものである戦争において現れる観念性(排他的方向)と、それに従えば内的な国家権力にとっては全体が有機的な契機となる観念性(求心的方向)とは、同一のものであるということは、歴史的現象においては、とりわけ以下のような形態において現れる。すなわち、首尾よく運んだ戦争は国内が不安定となることを妨害し、内的な国権を確固なものにしたという形態で現れるのである。」(PdR., 三二四節)

国家は他国を排除することによってその求心性を高め、求心化が進めば進むほど他国を排除するようになる。対外戦争が首尾よく運ぶとは、風が海に波を起こし澱んだ海水を混ぜ新鮮な海水に変えるように、弛緩した国内体制に反省を呼び起こし体制を締めなおすことに他ならない。ヘーゲルは引用文中で「人倫的健全さ」を「有限な諸規定の固定化に対して諸国民が無関心であること」と語っているが、それ次のような意味である。戦争を通じて国民にとって個々の特殊なもの、あるいは個々の特殊なものにしがみつくことは無意味で無価値であるということが自覚されるようになることを意味している。戦争は国民を人倫化する作用をもっているのである。人倫化とは国民が国家を自己自身の実体と自覚し、国家と一体化する働きである。

カントの国家連合構想においては、調停を行うのは人間であり、政府機関、あるいは中央議会であった。しかし、ヘーゲルにあっては調停を行うのあ世界精神であり、世界史である。歴史の過程でどんな悲惨が待ち受けていようと、世界精神が争いを調停し、「自由の実現」という歴史の完成へ向かって「人類は進歩していく」という歴史の歩みは、ヘーゲルいとって必然的なこととして理解されていた。しかしながら、現代は我々人間が「核兵器」という極限の「裁きの杖」をもってしまった時代である。つまり、我々人間は自らの手に自らを破滅させるものを手に入れたのである。人間はあまりにも巨大になりすぎた。こういう時代に、自らの「完全志向性」に基づいて自らの「特殊意志」を貫徹することができるだろうか。「特殊意志を貫徹することが世界史を完成させる」などとは、もはや語りえない世界に我々は到達しているのである。この到達地点が「私たちの居場所」である。つまり、我々はもはや、楽観主義的に「理性による人類の進歩」など語りえない時代に生きているのだと言ってよい。

ここは非常に重要なポイントである。ヘーゲルは国家に「無上の意味」を与えてしまった。そのため、非常に興味深い議論へと導かれていくことになる。まず、国家にとって、戦争は

  • なければならない

ものになる。なぜなら、戦争は、国民を嫌でも国家のために行動せざるをえなくさせるからである。実際、戦争に負けると、国を壊されるし、賠償金を払わされる。戦争に負けなくても、戦中は、さまざまな市民の労働力や資本の提供を強制される。
つまり、国民は戦争において、必然的に「国家への<贈与>」を強いられる。
しかし、ヘーゲルの定義においては、そういった「国家への<贈与>」を国民が行っている姿こそが、彼の構想する「人倫社会」なのだから、そういう意味では私たちの考える「自由」と彼のものは、ここにおいて、まったく違うものになった、というわけなのである。
しかし、どうであろうか。
ヘーゲルがこんなことを言っているというのは、驚きではないだろうか。
戦争は「どんどん」やるべきだ。そうすれば、国民は「良い子」になる。
しかし、こういった「ヘーゲルユートピア」は、いわば、実に簡単に終了した。
つまり、現代における戦争とは、核戦争を意味するようになって、この世から人類を「消滅させる」ことと同値となった。
今どき「どんどん戦争やれ」なんて言っている人がいるなら、どうかしている。
こういった意味において、圧倒的に、カントの平和構想の方が「リアリスティック」になったことが、分かるであろう。
しかし、そうであることが何を意味してきたのかには、自覚的であるべきであろう。
なぜ、日本は戦争をしたのか。
そこにおいて、本当にヘーゲルの影響はなかったのだろうか。実際、丸山眞男ヘーゲルを徹底して分析し、戦後においても、ヘーゲルの延長であらゆる民主主義を考えていたことは確かであろうし、なんにしろ、日本の戦中から戦後にかけて、ヘーゲル革新官僚への影響を少なく見積るわけにはいかないであろう。
ヘーゲル全体主義は、「フランス革命」を通過した後に構想されるプログラムである。そこから必然的に、さまざまな「国民」への人権的政策のパッケージが求められる。それが最初に検討した「日本の社会主義性」である。しかし、こういった政策を日本の革新官僚たちが、まさに「エリート主義的」に実行すべきと主張するのが、ヘーゲルのスタイルなわけである。
このような意味から、ヘーゲルにとっての国民福祉への「狂熱」は、国民の国家への「狂熱」と非常に密接に関わっており、簡単に分離できない。
最後に整理すると、ヘーゲルでありローティのプログラムの問題点は

  • 必然的に一部のエリートの特権的な能力を前提にする。
  • あらゆる「目的」が国家単位に収斂するため、他の観点が弱い。

こういった意味においては、こういったものを「未来のユートピア社会」として構想することは、違和感があるだろう(しかし、さきほども言ったように、結果としては、形上は、社会主義の結果に「似ている」とは言えるわけだが)。しかし、なぜヘーゲルはこういった考察へと強いられていったのかと考えるとき、そこに、

  • 宗教

との関係が絶対的にあるわけで、もっと言ってしまえば、ヘーゲルはそういった意味において、最終的なところで「宗教の人」で別にいい、と思っている人なんですね。つまり、そのことと彼のエリート主義的なマインドは非常に深いところで繋がっている。
こう考えたとき、この前から言っている、ソクラテス、カント、ハンナ・アーレントのラインは、宗教に対する超越論的道徳の先行性を前提として、

  • 宗教の後景化
  • 国家連合
  • あらゆるトラブルに対する「人間のみ」による解決(=「すべての」人間による解決=民主主義=集合知
  • 大衆化
  • 他者の不透過性

といった戦略で戦う。つまり、こっちは徹底した「人間」主義的なリアリズムがある。他方、ヘーゲルやローティのプログラムは「信仰」と、その信仰から導かれる他者への「多少強引な」同情の押し付けによって、その「行動」力に「ドライブ」がかかる。つまり、その力強さは、たのもしくも思われるときがあったとしても、パターナリズムのウザさはある。もっと言えば、どこか「神に甘えている」印象がぬぐえない...。