ジョージ・サイモン『他人を支配したがる人たち』

よく、認知的不協和という心理学の言葉があり、他方において、この言葉への批判もある。というのは、結局のところ何が認知的不協和なのかを厳密に分類する

  • 立場

とはなんなのか、という問題にとらわれるからである。
しかし、こういった批判をする人が誤解をしているのは、何が「認知的不協和」なのか、ということを、こういった問題を提起している人は言いたいのではなくて、概ね、人間のやることは認知的不協和のようなものなのではないか、といった一般的認識を言いたいわけであって、そういう意味では、その「定義」はどうでもいいわけである。
つまりは、基本的に私たちの生活は「主観的」でしかありえない、と言っているわけだ。
いや。この問題を反対の方から言うこともできる。「認知的不協和」と言っているが、本当にそうなのか、という疑問である。例えば、御用学者が実に無邪気に、消費税「しょうがない」論を展開し、原発再稼動「しょうがない」論を展開するとき、彼らの「口ぶり」は、驚くまでに断定口調であり、まるで、それは「運命」によって決まっているかのようであるが、この「断定口調」の嘘くささにこそ、こういった連中の「本音」があるわけで、だとするならそれを「認知的不協和」と呼ぶこと自体の「うさんくささ」があるわけである。
確信犯的に、消費税増税原発再稼動を「避けがたい宿命」のように言う連中が、果して本当に、その言説を「信じている」のか。つまり、本当にこれは「認知的不協和」なのか。なんらかの「パフォーマンス」なのではないか、というわけである。つまり、どこかしら「意図的」に、確信犯的にやってんじゃないのか、と疑っているわけであろう。
こういった意味において、消費税増税原発再稼動は、かっこうの「橋頭堡」だと、私は考えている。この二つの問題について、なにか

  • 気持ち悪い「レトリック」

を使っている連中がいたら、彼らは一種の「エア御用」だと考えていいのではないか、と思っている。
例えば、今週の videonews.com で宮台さんは奇妙なレトリックで、今回のアベノミクスにおける消費税増税見送りは「異常」だと言っている。

野党に限らずやはり政治的なプラットフォームがかなり劣化しているんだと思いますね。だって安倍さんの今の会見でんも社会保障改革はそれでも税金上がられないから十八ヶ月停滞しますと言ってるわけでしょ。実際には社会保障改革年金改革はもちろんこれは低所得向けの手当という意味での再配分機能をもつわけだからそのために必要な増税なのだということを三党合意をふまえて安倍さんも主張するし野党も主張するというのが普通正道でしょう、どう考えても。
VIDEO NEWS » アベノミクスの先にある日本の姿とは

この場合、一つの留保が必要であることは分かる。つまり、今回の消費税増税は三党合意によって民主党政権の頃に合意されたものだ、というところにある。つまり、与党、野党の合同の「大政翼賛会」によって、財務省主導で決定していたこと、だということである。日本の財政の健全さが、さまざまに懸念されている中で、それなりの増税の議論が必要であることは、それなりのコンセンサスがあったとして、なぜ消費税なのか。なぜ、この逆進性が言われる悪名高い弱者いじめ税をやりたがるのか。つまり、福祉の財源として国民に増税を強いることがあることは理解するとして、なぜ、逆進性の著しい「消費税」という

によって「低所得者向け」の福祉を行われなければならないのか。それが、本末転倒ではないのか、という側面が問われてきたわけであろう。
そこで何度も提示されるのが、キャピタル・フライト論であるが、これこそ「So, what?」であろう。お金持ち増税をしたり、企業増税をすれば、彼らが日本から逃げてしまう。だから、そもそも、お金持ちと大企業に「増税」はできなくなったんだ、と言うわけである。これが「頭の良い」人たちが言う「グローバル化」なる「運命論」、だというわけだが、だったら、いいではないか。やっちゃおう。どうせ、この日本に住む低賃金労働者は、国民の過半数を優に超えるわけで、どうして、こういった連中に気を使わなければならないのかの意味が分からない。選挙は多数決である。その結果が、最大多数の低賃金労働者の意向になるのは

  • 当たり前

ではないのだろうか。どうせ、民主主義である限り、こうなるのであるから、むしろ、この現実から目をそらそうとする、お金持ちさんたちの方こそ、非情に「歪」な論理によって、自らの既得権益が守られると考えることこそ甘いわけであろう(例えば、最近できたフランスの左派政権による、金持ちに重税を課す政策は、たとえ、その運用において、さまざまな問題を生んでいようと、一つの現代的なアプローチの一つなわけであろう)。
そもそも、そういったお金持ちさんたちは、たとえばこうやって税金を安くしてもらったとして、その分の浮いたお金で、貧しい人のために「寄付」を今までやってきたんですかね。やってないんだったら、税金で取られることと、なんの違いがあるんですかね。
今は民主主義の時代なのだから、多数決によって、どう考えても、国民の最大多数の、低賃金労働者や年金暮らしの老人の意見によって政治の意志が決定するにきまっている。むしろ、この現実と向かい合えない、エリートたちの方こそ「現実離れ」をしている、。ということにならないだろうか。
私が気に入らないのは、消費税増税は「富裕階層」には関係ないのに近い、という現実があり、他方これで困るのが、低賃金労働者だということを理解すれば、富裕階層にとって、消費税が自らの「階級」に有利な税制であり、

  • 功利主義的に自分たち「富裕階級」が<得>をする

と「素直」に、宮台さんも神保さんも言うなら「素直」だと思うわけだが、それを「低所得者対策」だとか言って、弱者のためには、もう「消費税しかない」みたいな偽善者風に平気で、財務省の手先よろしく言ってるから「うさんくさい」となるわけであろう。
素直に言えばいいではないか。「自分が得をしたい」って。

人を追い詰め、その心を支配しようとする者----「マニピュレーター」は、聖書に書かれた「ヒツジの皮をまとうオオカミ」にじつによく似ている。人あたりもよく、うわべだけはとても穏やかなのだが、その素顔は悪知恵にあふれ、相手に対して容赦がない。ずる賢いうえに手口は巧妙、人の弱点につけこんで抜け目なくたちまわり、支配的な立場をわがものにしている。
自分の望みを果たすためならオオカミたちはとことん闘いつづける。だが、一方で好戦的なその意図だけはとにかく他人の目から隠そうと必死だ。こうした人格の持ち主たちを「潜在的攻撃性パーソナリティ」と私が呼んでいるのも、彼らにうかがえるそんな特徴のせいにほかならない。

もう「消費税しかない」と、国民を脅す彼らには、どこかこういった「攻撃」性はないであろうか。低賃金労働者や年金生活者に、「消費税は避けられない」と言うことは、一種の「脅し」なのではないのか。
問題は「本当にそんなことについて、国民的コンセンサスが成立しているのか」という疑問なわけであろう。本当に、消費税しかないんだ、ということについて、一体、この国の誰が、低賃金労働者向けへの説得に成功したというんですかね。そういった議論もろくにできもしないくせに、いっちょまえに、

  • 愚民社会

とか言って、国民を低能扱いしてニヒリズムにひたるのでしょうね。
しかしそうなのだろうか。
ここには、一種の「階級闘争」があるのではないか。当然のように、消費税増税は避けて通れない道だと、そのことを認めない国民を「愚民」と言って、悦に入っているエリートさんたちがいるとして、他方に、なんでそれを「自明」だと受け入れなければならないのかが理解できない「懐疑」派庶民がいる。果して、後者は「愚民」でしょうかね。
むしろ、私たちが「警戒」しなければならないのは、「しょせん大衆など頭も悪く、自分の損得の勘定もできない愚者だから、いくらでも、自分たちの損になるように仕向けられる」といったような、掲題の本が示唆しているような

が関係しているんじゃないのか、という疑いなわけである。

精神医学者のアルフレッド・アドラーはかつて、人間には優越性をかぎりなく追い求めてやまない一面があると指摘した。アドラーが指摘するとおり、人は公私にわたる優位性を勝ちとるため、権力や名声、確固たる地位を求めてたがいにしのぎを削っている。

人それぞれのパーソナリティにおいて、掲題の本は非常に「攻撃的」な性質をもつ人がいることに注意を向けている。議論において、相手を論争によって打ち負かそうとする、非常に攻撃的な部分をもつ人、というわけである。彼らは一見すると、ものごしも柔らかく、いつもニコニコして、人格者のように振る舞っているが、他方において、ひとたび論戦の様相を示すとき、非情に相手に対して

  • 攻撃的

な態度を止めることがない。そして、その攻撃性は、むしろ「自己言及的」な態度を経るまでして、さまざまなに利己的に、手練手管を駆使したものになる、というわけである。

他人と口論になれば、辟易したあまり、もうごめんだという思いが心をかすめる。だが、ひとりになれば見捨てられたのも同然。それを恐れてただふてくされて、「どうしたのだ」と声をかけてもらうまでそうしている。このタイプとの生活が困難なのは、その機嫌をなだめる方法などほとんどありはしないからなのだ。

もしも相手が「愚痴」を言い始めたら、警戒をした方がいい。愚痴は、一方において自分の「正当化」を示唆しながら、他方において、相手への「非難」を含んでいるという意味において、非常に

  • 攻撃的

な態度だということが分かる。そもそも、愚痴を言いたいだけなら、他人に見つからない自分だけのスペースでやればいいのに、そうやってパブリックな空間でやりたがるというところに、その人の

  • エゴイスティックな他者攻撃性

のパワーの大きさが現れている。つまり、上記の引用にある「マニピュレーター」の最も典型的な特徴だとも言えるのかもしれない...。

文庫 他人を支配したがる人たち (草思社文庫)

文庫 他人を支配したがる人たち (草思社文庫)