「低賃金労働者」革命の予感

日本人のほとんどは、低賃金労働者である。ということは、低賃金労働者向けの政策を全面に押し出している政党が、選挙で勝つのではないか?
私は、この素朴な疑問から考え始めた。つまり、まずもって、この考えは間違っているだろうか、と問うてみたわけである。明治の革命政権は、制限選挙から始まった。つまり、お金持ちだけで話し合って、決められた政策は、無限にお金持ちの税をタダにして、無限に貧乏人の税金を増やす政策であった。しかし、吉野作造などの活躍により、普通選挙が実現された。
普通選挙ということは、国民の圧倒的多数の低賃金労働者が、低賃金労働者向けの政策を約束している政党に、みんなで投票すれば、その政党が政権与党となり、低賃金労働者向けの政策が実現されるのではないか。私は、こう考えたわけである。
というか、である。
実際に、そうだったのではないか。
つまり、戦後を含めて、日本の自民党の政策は、どこかしら、低賃金労働者向けの政策を含んでいたのではないだろうか。
では、問題はなんだ、ということになるのであろう?
それは、結局のところ、自民党の政策は、低賃金労働者から見たとき、どこか「面従腹背」だった、ということを意味しているように思われる。
それは、どういう意味か?
まず、国家の予算の大枠を考えてみよう。この予算の特徴として、ある一定の金額を確保できなければならない、ということがわかる。ある程度の金額を確保できないとき、どういった事態が考えられるか。

  • 行政サービスの縮小
  • 国債などの国の借金による補填

国の借金が一概に悪いとは言わないが、どちらにしろ、長期的には、あまり健全な印象を与えない結果となる。そこで、この一定のお金を、どのように確保するのか、という問題となる。それが税金である。
税金は、いわば、さまざまな「対象」にかけられる、一種の「罰金」のようなものと考えるといいであろう。例えば、所得税法人税であれば、儲かったなら、その

  • 比率

に合わせて、応分の負担を求める、という形になっている。この場合、所得が多ければ多いほど、それだけ「余裕」が生まれた、と解釈できるのだから、その人に、より多くの負担を求めることが合理的だと言えるであろう。また逆に、所得の少ない人には、所得税を取らない。逆に、生活保護として、一定のお金を「与え」てもいい。
ところが、消費税は、そういった「塩梅」の調整がない。どんな人でも、買った分の、その割合に対して、かけられる。つまり、消費税を上げられると、

  • 貧乏人であればあるほど、自らの所得から、多くの「割合」の税をとられる結果になる

ということが分かるであろう。このように考えたとき、低賃金労働者がまずやるべきは、消費税の廃止であり、できるだけ少ない税率にさせることだ。
自民党政権は、バブル以降、徹底して、高額所得者の所得税や、法人税の優遇措置を行ってきた。このことにより、所得税法人税の税の総額は、恐しいまでに減った。
これが何を意味していたのか?
だれでも「減税」と聞くと、いいことのように思われる。しかし、このような高額所得者、つまり、お金持ちに対して減税を行えば、

  • その穴埋めをするのは、貧乏人の側

ということを意味する。お金持ちに減税をすればするほど、その穴埋めを、貧乏人がさせられるわけである(実際に、お金持ち向け所得税減税と法人税減税の額を足し合わせると、ちょうど、消費税が、その「穴埋め」に使われてきた、「バーター取引」に、日本のバブル以降の政治がなっていることが分かる)。
なぜ、自民党はお金持ち減税を行うのか。

  • 株取引の活発化
  • キャピタル・フライト対策

現在の日本は、株取引を活発化させる政策を主導している。しかし、実際のところ、株を持っている家庭は、お金持ちばかりである。なぜなら、それだけリスクがあるため、手持ちの額の少ない貧乏人には手が出せないからだ。ところが、この株取引の奨励を意味して、実質、株関連の取引は、さまざまな減税措置がとられている。これが、お金持ちが、どんどん肥え太っている理由の一つが分かるであろう。
もう一つが、言ってしまえば、金持ち増税を行えば、お金持ちも、そのお金持ちのもっているお金も、そのお金持ちの所有物の企業も、どんどん、海外の税金の安い都市に、引越してしまう、というわけである。つまり、現代というグローバル化の時代においては、国家はお金持ちから税金を取れない、むしろ、彼らにこの国にいてもらうためには、どんどん彼らに、貧乏人から奪ったお金を恵まなければならない、というわけである。
さて。
あなたは、この議論に対して、どう思われたであろうか?
私は、次のように考えたわけです。
まず、私は「ただただ」選挙のこと<だけ>を考えよう、と考えました。つまり、ここで重要なのは、<本来>なら、選挙はどのように展開していくのだろうか、と問うたわけです。この場合、多くの人は「今の状態」から、逆算をしがちです。つまり、なぜかバブル以降の政権政党は、どこも、金持ち優遇税制を推進してきました。
しかし、こう問うてみましょう。

  • そんな政策がいつまでも続くだろうか?

と。これは、次のように考えられます。なぜ、低賃金労働者向けの政策が推進されないのか。それは、バブル以降の政界の分布において、低賃金労働者向けの政策が、まだら目状に、さまざまに分散して主張されているため、低賃金労働者を一体

が<代表>しているのかが分かりにくい分布になっている、ということではないのか、と。そのため、どの政党も

  • 半分は貧乏人対策向け
  • 半分はお金持ち優遇向け

といったように、その政策が、せっそうなく、混ざり合っている。例えばこのことは、日本共産党について考えてみても分かりやすいかもしれない。たしかに、日本共産党は、低賃金労働者向けの政策を主張しているように思われる。ところが、彼らの党勢は常に、日本政治において、自民党と比較したとき、政権政党に代わりうる議席を確保することはなかった。しかし、逆に言うなら、「消滅」することもなかったわけである。この関係を、いわゆる「55年体制」と言う。いわば、日本共産党自民党は、お互いが「補完」しあう関係として、常に日本の政治にはあった。自民党の批判勢力として、一定の党勢を保ちながら、自民党の代わりうる党勢になることはなかった。なぜなのか。それは、言うならば、「一定の割合」において、自民党は、共産党の主張に

  • 合意

してきたからなのである。一見すると、自民党は「共産党」と「変わらない」ように、大衆からは見える。つまり、自民党は、どこか

  • 低賃金労働者向けの政策を行う

と言っているように聞こえる。つまり、自民党は「不可能を可能にする」方法を知っているかのように語っているところがあるわけである。しかし、実際の政策実行の「結果」において、その

はうまくいっていないことが分かってくる。自民党は「金持ち優遇税制」をまず実現する。そして、その後に「低賃金労働者向けの政策を行う」と約束する。ところが、お金持ちを優遇しちゃったから、

  • ないそではふれない

というわけで、いつまでたっても、この空手形は実行されない。つまり、低賃金労働者は裏切られる、という結果になる。しかし、大事なポイントは、彼らは「まったくやらないわけではない」わけである。それなりに「ちょっと」はやるわけである。しかし、それは不十分なのだから(だって、金持ち優遇政策をやった時点で、本格的にやれるわけがないことは、だれだって知っているわけですが)、いつまでも「後回し」にされている、といったような様相を示す。
よって、このことから、どのような結論が導けるであろうか。
日本の政治勢力において、以下の二つを「推進」する勢力の「結集」が求められていることが分かるであろう。

  • 低賃金労働者の税金を軽くする政策(具体的には、消費税の税率低下、または、廃止)。
  • 金持ち優遇税制の廃止(具体的には、所得税法人税、の逆進性の緩和の重みを大きくする増税

この二つを明確にした政治集団は、ある一つの特徴をもつことになることによって、「無敵」になる。

  • 日本の「ほとんど」の成人男女である、低賃金労働者からの「支持」を獲得する

このことを今回の選挙において考え合わせるなら、自民党の対抗勢力である、民主党などのリベラル勢力の結集が重要になってくることが分かるであろう。問題はこの勢力に、共産党が参加可能なのか、という問いである。もしも共産党が、こういったリベラル勢力との連携を実現するなら、もしも政権交代が起こったときに、与党に参画して、細部の政策において、インセンティブをもって、低賃金労働者向けの政策を実現していく可能性が考えられるであろう。しかし、そういった雰囲気は今のところ見られない。あいかわらず、共産党は、55年体制における

  • 縄張り争い

に終始しているように思われる。共産党のこと「自民党応援団」的行為によって、リベラルの票の分裂を結果させることで、少しでも「自民党を利する」結果になることを、おそらく、共産党はなんとも思っていない。むしろ、自分たちに対抗してきた、新興のリベラル勢力が「邪魔」なだけなのであろう。
こうして、55年体制から、一体、どれだけ時間が過ぎたのであろうか。もちろん、これだけの時間を無駄にした、と考えるなら、あまりにも時間の進むのは遅い、と思われるかもしれない。
しかし、そう考えるべきではない。
いずれにしろ、今の「民主主義」が続く限り、必ず、以下が「実現される」と考えるわけである。つまり、これは「早いか遅いか」の違いだけで、どっちにしろ、早晩、以下が実現される、ということなのだ。

  • 低賃金労働者向けの政党が、国会の大半を占め続ける(ほとんどの党が、そういう主張になる)。
  • その党は、低賃金労働者の税金を軽くする政策(具体的には、消費税の税率低下、または、廃止)を推進する。
  • その党は、金持ち優遇税制の廃止(具体的には、所得税法人税、の逆進性の緩和の重みを大きくする増税)を推進する。

なぜなら、「民主主義」が、普通選挙という、国民「全員」による多数決を選択しているからである。よって、そもそも、その国民の「大多数」を占めている、低賃金労働者が

  • こうなるべきだ

と主張する政策が実現されないわけがないわけである。つまり、早晩、そうなることは「早いか遅いかの違いでしかない」というわけである。
お分かりであろうか。つまり、話はまったく「逆」だということである。キャピタル・フライトがあるから、お金持ち優遇をやらないわけにはいかない

  • ではなく

早晩、日本の政治は「低賃金労働者」の代表によって、その大半が占められるのだから、「やるべき」とかなんとかといった議論は、まったく「無意味」だということである。つまり、「やりたくてもやれなくなる」というわけである。つまり、こういった「現実」を受け入れた上で、

  • どういった生き方を選ぶのか

を彼らも迫られる、ということを意味しているわけで、まあ、そんなに税金で取られるのが嫌なら、それに見当った社会貢献をやってみて、「低賃金労働者」に「感謝」されてみやがれ、ということでしょう。そうすれば、少しは「おこぼれ」にあずかれるかもしれない。上から目線で、「やってやってる」じゃない、というわけであるw
(こういった「合理的」な認識は、少しでも考える能力をもっている人なら、いずれは辿り付く答えであろう。よって、こういった結果に「不満」や「危機感」をもつような、お金持ち勢力、プチ・ブルジョア勢力は、さまざまな手練手管を使って、この動きに「抵抗」してきている。
東浩紀さんの「一般意志2.0」は、そもそも、一部エリートによる、政治の独占を「グーグル的集合知」によって、多数決による選挙を「廃止」し、選挙権という国民の権利を「奪う」ことを目指したエリート「革命」マニフェストだったわけだが、こういった考えは、一種の「制限選挙の復活」に近いアイデアであることが分かるであろう。彼が言いたことは、

という形をとっているわけで、一種の、もう一度、明治革命政権の最初のフレームからの出発を目指す「復古主義」とも解釈できるわけである。
あとは言うまでもなく、現政権における「特定秘密保護法」が象徴的であろう。できるだけ、国民に「不都合な真実」を知らせなければ、少しでも上記の時代の流れを抑えられるかもしれない、と自民党の富裕層を代表する政治家たちは考えたのであろう。この延長が「国民の権利の廃止」であり、国家による国民の奴隷化という、古代ギリシア以前の、東洋オリエントの奴隷国家への「復古」だと考えられるかもしれない。そもそも、国民に人権などなければ、選挙もいらない、ということになる。まあ、こんな世界が住み心地がいいかは別だが、ある意味において、現代のように、機械文明が発達した世界においては、太古の世界では実現できなかったような「監視社会」が容易になっていると考えるなら、太古の奴隷社会は、今の方が「容易に作れる」のかもしれないわけである orz。)