金杭『帝国日本の閾』

明治の文明開化において、明治革命政権は、明治国家を建設するに際して、西欧において一般化していた「近代国家」の形態を踏襲する選択を行った。つまりは、民主主義であり、国会制度であり、憲法制定といった、もろもろの「意匠」である。
このことは、日本も明治維新が、いわゆる、欧米の「権力均衡レジーム」に対して、日本がそこに「参画」するという形での、世界秩序への参画をもくろむという形での、「世界秩序均衡」の中に、日本の一定の影響力をもった位置を確保しようとする活動の一環だった、と考えられる。
なぜ、この問題が重要であったのか。
そのことは、そもそも、西欧において、一世を風靡して今に至っているこの「近代国家」というもののアイデアを、まずもって、内包していたその「モデル」こそが、ホッブスの社会契約=リバイアサン論であったからなのである。
では、なぜこのホッブスのアイデアが重要であり、どういった形態をもつものであったのかを、あらためて、整理しよう。

  • 自然状態においては、人と人は「戦争状態」にあった、と仮定される。
  • そのため、人々はその関係が「恐怖(=不安)」をもたらす、と考えた。
  • よって、この恐怖から逃れることを目標に、以下の、いわゆる「社会契約」と呼ばれる形態を目指すこととなる。
  • 自然権:人 --> 国家
  • セキュリティ:国家 --> 人

このモデルには、どのような特徴があるだろうか。なぜ、このアイデアは「説得的」なのか。それは言うまでもなく、近代以降の個々人が常に抱えることになっている「恐怖=不安」に対しての、一定の「安心」を提供することになった、具体的な「手段」を提供することになっているからである。そして、おそらく「唯一」でもある説明なのである。
しかし、多くの人が思うであろう疑問は、一体、この「恐怖=不安」の回避方法は、現実的なのか、という疑いが消えることはないんじゃないのか、という予感がある。
上記のホッブス・モデルは、よく考えてみると、非常にラディカルな様相を示していることに気付いてくる。まず、もっとも驚くべきラディカル性は、

  • この国家に所属することになる「人」は、一体誰なのか?

について、ほとんどなんの仮定も設けていないことである。
なぜこのことが、驚くべきことだということになるのか。明治新政権は、日本国というものを作った。ここには、当然、日本人なるものが所属していることが示された。しかし、その日本人なるカテゴリーに一体、どんな「色」がつけられることになるのか、と。
ここは、重要なポイントである。
よく考えてみてほしい。ホッブスは、ここで言う近代国家の成立過程において、上記の仮定しか設定していない。つまり、それぞれの国家を構成することになる人々の「属性」については、なんの制限もしていないわけである。唯一仮定しているのは、それらの人々が内面に抱えることになる「恐怖=不安」だけしかない。
つまり、ここで生まれた「国家=リヴァイアサン」に対して、どんな人たちも、自らと、この国家との上記の弁証法を想定することは、当然可能なのである。もっと言うなら、なぜこのホッブス・モデルが、近代国家モデルとして、強力だったのかは、ここにあるわけである。
まず、明治政府が作り出した日本国家の構成員は、当然、日本列島に住む人たちによって、構成されていることは、徳川幕府の体制を、そのまま引き継いだ、明治政府にとっては自明のことであった。しかしこの自明性は、すぐに曖昧さをぬぐえなくなる。それが、朝鮮、台湾という、二つの「植民地」の位置付けにあった。言うまでもなく、朝鮮人も台湾人も、

  • 日本人

になった。大事なポイントは、当然、朝鮮人の人たち一人一人も、上記におけるホッブス・モデルを前にして、ある認識を突き付けられたわけである。

  • 日本国家は「社会契約」として、自分のような朝鮮人の「セキュリティ」を保障する、と言うのであれば、自らの自然権を、日本国家に譲渡すること、つまり、武力的抵抗の縮小には、一定の合理性がある

ということである。

この構造は、まったく同型である。つまり、この関係は少なくとも、「ホッブス・モデル」という中においては、まったく区別されない。このことは、皮肉な形で以下の「靖国神社」の公式見解にこそあらわれているわけである。

しかしその歴史を国家防衛の歴史として記述する靖国の論理は、この「外地異種族」の排除が不可能であることを垣間見せてくれる。一九七八年、当時の靖国神社の池田権宮司は次のように言った。「戦死した時点では日本人だったのだから、死後日本人でなくなることはあり得ない。また、日本の兵隊として死んだら靖国にまつってもらうんだという気持ちで戦って死んだのだから遺族の申し出で取り下げるわけにはいかない。内地人と同じように戦争に協力させてくれと、日本人として戦いに参加してもらった以上、靖国にまつるのは当然だ」。

(この指摘は逆説的であるが、非常におもしろい論理になっている。たしかに、朝鮮人の人たちは日本の伝統を背景として生きてこなかった。しかし、「彼ら」が日本の文脈の中で、日本の歴史を「作った」と解釈されるとき、彼らを「日本人」と呼ばない理由がなくなる。それは、そもそも、私たちが「いつ日本人になったのか」と問うことと関係している。つまり、皮肉なことに、だれだって、どこかの時点で「日本人になる」わけである。子育てママさんの公園デビューならぬ、「日本人デビュー」をするわけである。)
ではここで、なぜホッブス・モデルは強力であるだけでなく、一定の「正当性」があるのか、に答えてみたい。

破壊と建設が同時に行われることが近代であり、そのためには「作為によるフィクション」という意識が必要であることは縷々指摘したとおりである。ここで問題はこうした意識が外的条件によって直接生まれたものではなく、どこまでも外的条件を抽象化した方法の産物でなければならない点である。なぜなら、外的条件によって直接意識が決定されるなら、個人の意識は秩序の根源どころか、世界においていかなる能動的な働きも持たない従属的なものになってしまうからである。そうすると、個人の「決断」はただの「状況追従」になってしまい、そこから秩序は創出されえず、秩序や制度や観念は「実在」と化する。それゆえ秩序が人間の産物であるという意識が生まれるのは、まずなによりも外的条件を抽象化する方法によるのでなければならない。

このホッブス・モデルは、なにがいいのか。それは、徹底して主権者が「自ら」が自らの責任において選ぼうとしているところにある。つまり、慣習や伝統を「言い訳」にしていない、ということである。もしも、ある民主主義国家において、なにかの政策の決定における「しょうがない」的な説得のロジックが存在するなら、そもそも、その個人は、そのことについて、なにも考えなくなるであろう。つまり、その事実はアプリオリに決定していた、ということになるのなら、それについて考えることは無意味ということになるからである。しかし、これを反対から言えば、たんに何もしない、ということを言っているにすぎないわけである。慣習や理屈が存在することを否定しているわけではない。そうではなく、慣習「だから」これについて考えることは無意味ということなら、このことについては、だれも何も考えることなく、

  • 空気
  • 無責任の体系

が支配することになる。たとえば、日本という国家の、あらゆる正当性の源泉を天皇制に見出そう、という考え方が戦前からひき続いて存在する。つまり、日本という国家の意味の源泉を、この天皇飛鳥時代から続く、日本の歴史の中に見出そうとするとき、そこには、台湾人や朝鮮人にとっての「歴史」は排除される。いや。排除されることに意味があるというより、日本の歴史や、日本の文化という、この日本列島にあることに、過剰な意味が与えられてしまう。つまり、この地理的制約を離れて国家を構想できなくなる。
ホッブス・モデルのラディカリズムはここにある。ホッブス・モデルは、徹底した個人主義である。言うまでもないが、各個人は、さまざまば文化の中を生きている。しかし、こと「国家」そのものが、それらの「文化」に汚染されることはありえない。つまり、国家は一点の、さまざまな地域文化からの距離に「本質」がある。つまり、これらの「文化」を

  • 言い訳

に政策決定が「思考停止」されることは許されない。ホッブス・モデルにおける各個人は、国家への譲渡において、徹底して、自らの文化による因習と離れて、独立して思考することを求められる。つまり、徹底して、個人として、社会の慣習的な流行にながされることを、徹底して禁じる。ホッブス・モデルにおける個人は、徹底して自己自身で考え、自己自身によって、その一瞬一瞬の政策決定に意志表示していく、その主体的な姿そのものなわけである。
もちろん、ここで私たちが、さまざまな慣習的な作法をもって生きていることを否定しているわけではない。ある意味において、日常生活はそれでいいわけであるが、こと国家に関することには、ホッブス・モデルのプロトコルに準拠することが求められる。
しかし、こういった政治に対する、個人主義モデルは、明治以降なかなか理解されず、逆に、こういった認識のまったくの反対において、日本的なナルシシズムが跳梁跋扈することになり、今に至っている、と言えるだろう。

そしてこの日本の家族主義は、我よりも家族を重んずるのに止まることなく、個人が国家のために進んで犠牲になることにつながると高楠は主張する。

西洋婦人などは良人が死んだと聞ては直ぐ気絶するのが多い、日本人の方は今一歩上に行かねばならぬ、倒れて泣きたい心も家族の為めに取り乱してはならぬ。利己主義から云うと戦争なんぞに出ても死ぬる程馬鹿気た事は無いから命があっての物種と云うことになるが家族主義の方から行くと私が親が何う思うであろうか茲で自分が恥をかけば親兄弟一家一門の恥辱と云うから何うしても死ななければならぬと云うように成って来る、(...)個人の利益を犠牲に供して国家のために働く、そこで自分一人の為に家族の全部が生きて来る、一家の面目があがる家門の名誉となり、若し自分が生きて還った所が何をしに還ったかと云うような事であるなら、誠につまらない、前途無料死の一字あるのみと、勇んで死ぬるが家族本位より見たる個人の本位である。

こういった家族主義の日本における形態は、むしろ「イエ制度」と関係して今に至るまで、存在していると言っていい。それは明治においては、儒教的な国家元首(=天皇)と、イエにおける「家長(=父親)」を、一定のアナロジーによって解釈するものであった。
以前、このブログで、沖縄集団自決について検討したとき、むしろ、この事件の「異様さ」は、まず、父親によって、幼い子供と母親といった、家族の一人一人が「殺され」た後に、父親が自殺する、という形式になっていたところにあったと指摘したことがあったわけだが、これも典型的な「家族主義」だと言えるだろう。
家族主義は一見すると、その説明には生物学的な正当性があるように見えながら、基本的には「国家=文化」主義の派生形態だと言える。つまり、ホッブス・モデルの個人主義的自我からは遠い。それは、つまりは、

  • 家長(=父親)以外は「思考停止」

であることを求める形になっており、そしてそれを「幸せ」だと嘘ぶいてきた、というわけである。家族主義が「国家=文化」主義の派生形態と考えるとき、大事なポイントは、あくまでも「国家=文化」主義の方が、家族に対して「優位」の位置にある、ということである。「国家=文化」主義は、一方に天皇の日本史における位置付けから、天皇そのものの存続という「国体」と同一視されるが、早い話が、日本人が全員死んでも、天皇さえ生き残れば「国体」は守られるわけであって、つまりは、家族主義は国体の

  • 手段

にすぎない、ということである。
掲題の著者はこの、「国家=文化」主義と、ホッブス・モデルの最も典型的な不協和音こそ、植民地問題であり、朝鮮問題、台湾問題であったと指摘すると同時に、日本人「自身」が、この問題をほとんど有効に指摘できてこなかったことを、追求する。
その最も醜い形であらわれた事件こそ、関東大震災における、朝鮮人虐殺である。

さて、すべてが軍事化されるというとき、ここで重要なことは、「朝鮮人襲来」という「流言蛮語」も軍事化されて解釈されるということであろう。後の研究が朝鮮人虐殺への軍の関与を証拠立てるものとして取り上げた「船橋送信所関係文書」には、内務省警保局長が各地方長官宛に送った次のような文書が残されている。「東京付近の震災を利用し、朝鮮人は各地に放火し、不逞の目的を遂行せんとし、現に東京市内に於て爆弾を所持し、石油を注ぎて放火するものあり。既に東京府下いは一部戒厳令を施行したるが故に、各地に於て充分周密なる視察を加え、鮮人の行動に対しては厳密なる取締を加えられたし」。このような打電は朝鮮や台湾にまで送信されたのだが、山口県知事には「貴府に於ては内地渡来人に付ては此際厳密なる視察を加え、苟くも容疑者たる以上は内地上陸を阻止し、殊に上海より渡来する仮想鮮人に付ては充分御警戒を加えられ、適宜の措置を採られ度」と注意を促している。すべてが軍事化された場において、公式の電送系統を通じて送られる文書は、いわゆる軍事情報としての性格を帯びることになる。つまり「流言蛮語」は、単なる噂ではなく、「軍事情報 miltary intelligence」として扱われたのである。

こうして自警団の活動は、軍と警察の指揮下に置かれることとなった。自警団による検問は禁止され、武器の携帯は禁止されたのである。だがこれは自警団活動そのものを禁止することではなく、その活動をどこまでも司令官の指揮に従属させることを意味していた。というのは、検問を禁じるのは自警活動そのものの禁止ではないし、武器携帯は届出さえすれば、禁じられるどころか逆に公に認められるようになったからふぇある。したがって「自警団」は戒厳司令官の指揮のもとに置かれるとされた「安寧秩序を保つ為地方の行政司法事務」のなかに組み込まれたのだと言える。

自警団は、夜が明けてから朝鮮人と判れば、片っぱしから鳶口や日本刀で虐殺しはじめた。(...)橋のたもとにくると、そこは、死体で足の踏み場もない位であったが、橋の両側も死体でいっぱいであった。これらの死体は、全部朝鮮人の虐殺死体であった。橋を渡って行く途中、私達の中の一人である鄭氏が、自分の兄と似ている死体を見つけ「兄さんが死んでいる」とわめきながら荒縄を切って駆け寄っていった。すると、消防団の奴らが鳶口でひっかけようとするので、鄭氏は恐しくもなって、川の中にとびこんでしまった。消防団の奴らが云うには「朝鮮人は海の底を歩いてでも逃げてゆく、だから船で捕まえなくては...」そして奴等は伝馬船で追いかけ、まさに溺れて死にかかっている鄭氏を、捕まえたのである。

掲題の著者は、この事件にとって決定的に重要な認識こそ、この事件が日露戦争の後の「日本の時代の空気」に関係していたと考えるところにある、と言う。それは、上記における「自警団」なる不思議な集団の姿がよく現している。自警団は、日本人によるボランタリーな組織である。しかし、他方において、彼らは非常に「密接」に、警察や保守政治家とネンゴロになっている。むしろ、警察は上記にあるように、彼らを「管理」の中に包含する形態をとりながら、実質彼らに「武器の使用を<許可>」し、彼らに

  • 自由

を与えているわけである(この関係は、どこか現在の在特会と、彼らのデモを「守る」警察の異様な光景を思わせないであろうか)。
日露戦争後における、日本の「異様な雰囲気」は、最初は、戦勝国としての、「戦利品の分け前」を求める大衆の姿から始まったのであろう。それは次第に、

  • 当たり前のように(現在の在特会のように)国家に近づき、要人とネンゴロになり、鉄砲玉として仕事をすることで、戦利品を要求するようになる

むしろ、大衆自体が「警察」の役割を自ら勝手に行うようになる「全体主義夜警国家」の姿だと言えるであろう。
同じことは、朝鮮半島における日本人の「植民」行為においても、くりかえされる。つまり、韓国併合の後の朝鮮半島に「植民」を始める日本人において、朝鮮半島の土地は、「戦利品」程度の認識しかない。そこに人が住んでいる土地を奪っているという自覚がない。それは、上記における「国家=文化」主義における、朝鮮半島の人は、日本人とは「同じ文化を共有していない」という認識から

  • 日本の外部

としてしか、感覚できていない。しかし、ホッブス・モデルで考えるなら、日本列島の住人だろうが、朝鮮半島の住人だろうが、日本国家というリバイアサンと社会契約をしているその形態において、完全に「同型」である。
つまり、ここで大事なポイントは、

  • ホッブス・モデルにおいて、朝鮮人の方たちは、日本国家からの「セキュリティ」を十分に受けていない

と解釈していることにあり、そのことの「重大」性を、日本の知識人も、そして現代に至るまで、まったくアジェンダ化できてこなかった、という部分にある、という。

一九一九年八月一四日、尹致昊(ユンチホ)は「もし日本が欲しているのが朝鮮人ではなく朝鮮ならば、誰が総督になろうとも朝鮮に希望はない」と書いた。

日本人が朝鮮人の土地を強奪するために愛用する方法のなかの一つは、総督府やある大会社がその土地を徴発するという情報を垂れ流しながら、その土地の片隅を買い取ることでらる。こうすると愚かな土地の主は心配でたまらなくなる。その後、日本人どもは朝鮮人たちの土地を、時価の一〇分の一になるかならないかぐらいの価格で買い取ろうと、仲介人として割り込むか、直接朝鮮人地主と交渉する。そうすると朝鮮人地主は少しもお金をもらったことを幸運と思いながら、自分の土地をとんでもない安値で売り飛ばすしかない。文明化を成し遂げたという日本人がこのような方法で、どれだけの朝鮮人の土地を奪ったことか(『尹致昊日記』一九二一・三・二六。以下『日記』)。

日本が自国民の朝鮮移民を引き続き奨励するならば、我々朝鮮人としては日本人とともに慈愛をもってわれわれを待遇すると言った天皇の約束、すなわち『一視同仁』の真実性を疑うしかない。日本人と朝鮮人が同じく天皇の『赤子』なら、なぜ日本人を移住させるために朝鮮人の故郷の土地から追い出すのか(『日記』一九一九・一〇・五)。

ホッブス・モデルのこの、「国家=社会契約」主義において、大事なポイントは、国家をなんらかの土着の「文化」「慣習」によってカテゴライズしない、というところになる。これは、近代国家にとって、最も重要なポイントのはずだ。なぜなら、そういったものによって統合をしようとすると、それを受け入れられないような文化背景をもつ人たちを必然的に「排除」しなければならなくなる。もちろんそれは、文化の「否定」を言っているのではなく、文化を国家のプロトコルの性質にまで求めてはならない、というところにある。
こういった視点において考えたとき、敗戦における台湾や朝鮮半島の、日本からの「独立」が、その後の日本における、植民地支配の「記憶」を、あっという間の

  • 忘却

へと結果したわけで、おそらく、今の今に至るまで、上記にあるような(丸山眞男がこだわった)近代国家の要諦のようなことを、ほとんどの国民は考えたこそすらないのであろう...。

帝国日本の閾――生と死のはざまに見る

帝国日本の閾――生と死のはざまに見る