ホッブス・モデルと方法的懐疑

前回の話題を、もう少し深めて考えたいのだが、ホッブス・モデルの近代国家(ネーション=ステート)において、大事なポイントは、この「自然権の譲渡」「セキュリティの保障」の関係が、結果として

  • 成立

し続けることにある。「だから」リバイアサン自然権を譲渡した人々の「恐怖=不安」が緩和され、彼らがそういった恐怖によって妨げられていたような、多くの夾雑な作業にかまけることなく、自らの「作業」に専念することによって、結果としてその国家の人々の活動が、よりダイナミックになる、というところにある。
しかし、この関係がもしも、ある一部の<民族>といったような集団においてはあまりにも「自明」な、慣習的な「作法」によって、ある意志決定がほとんど無批判に決定されたとき、その「作法」を共有しないような、上記の<民族>といった集団とは違った出自のい人たちは、多くの「損害」を受けることが、その決定の内容によって起きうる。
ここで言う慣習的な「作法」による決定とは、その作法を身に付けていることが「悪い」と言っているわけではない。そうではなく、その作法を自らが「疑う」ことなく、

  • その決定をしている(その国家の決定に、なんの関心も思考も示さない)

ところにある。自らの慣習によって「自明」だから、いっさいの「疑い」をもたずに、つまり、「その」意志決定に内省的に参加「しない」というところが問われているわけである。
もちろん、こういった行為は私たちの日常的な暮しにおいては、普通のことに思われる。しかし、この国家の「意志」に関係するとき、こういった態度は許されない。というのは、問題は、上記における「自然権の譲渡」「セキュリティの保障」の

  • バランス

を失ってしまう結果が予想されるからである。
政治学者の丸山眞男が、60年安保闘争の頃、民主主義を「永久革命」と呼んだことは有名だが、そのことは、上記と関係している。

それゆえ「複眼主義」と「惑溺批判」は、ナショナリズムを支える最も重要な認識態度である。この認識態度のもとで、世の中のすべての事象は、己をも含めて、絶対的に同一なものではありえない。政治的にいうと、友と敵はつねにその立場を変える。したがって丸山にとって、国家理性は与えられた状況のなかで国家の生存と行動を律する原理ではない。それは繰り返し状況そのものを組み替えながら、己の生存を図っていく原理なき原理である。そして同じく啓蒙も、ただ単に与えられた過去の古い習慣(福沢の場合には儒教)への否定原理ではない。それは現在の自由のために現在の自由を否定するという、絶対的な瞬間における矛盾に満ちた決断の連続に他ならないからだ。それゆえ国家理性と啓蒙がその場をみいだすのは、外部と内部に存在する、不変の脅威や習慣との対峙ではない。そうではなく、国家理性と啓蒙は、その姿を名指しえない絶対的な脅威のもとで、内外を分割しながらも統合し、過去と未来を断絶させながらも接続するという、「決断」の一点において現前する。「決断としてのナショナリズム」は、それゆえ、脅威に晒された状況における、独立した、すなわち孤独な個人の決断としての実存的自由なのである。
丸山の「歴史主義」と「唯名論」の結合は、このように福沢論を介して「決断としてのナショナリズム」に帰着する。それは、ある時代精神の歴史性において世界を把握する方法(歴史主義)と、あらゆる秩序から独立した個人を秩序の根源に置く方法(唯名論)の結合であった。丸山の「ナショナリズム」は、主権国家体制という国際秩序の歴史性と、内外と新旧の秩序の狭間に投げ出された個人という普遍性が、「決断」という一点において重なり合うことを意味するものだったのである。そしてこの「決断」は、「徂徠論」において展開されたところの「危機」と「政治」が織り成す「近代性」そのものである。丸山にとって「近代」が理念化・実体化されたモデルやタイプではなく、「近代社会がうまれうぇくるその荒々しい原初点」であり「『フィクション』の価値と効用を信じ、これを不断に再生産する精神」であるがゆえに、この決断はまさに「近代の原初点」、つまり「フィクションが不断に再生産される」ところの「泉源」に他ならないからだ。

帝国日本の閾――生と死のはざまに見る

帝国日本の閾――生と死のはざまに見る

ホッブス・モデルの特徴は、この関係が徹底して「非歴史的」であるところにある。果して私たちは、いつこの「社会契約」をしたのであろうか。それを歴史の中に、つまり「起源」を探す方法は成功しない。だとするなら、それはニーチェがそう呼んだように「系譜学」的に考えられるしかない。ということはどういうことか。まさに、丸山が民主主義を永久革命と呼んだように、私たちはこの今、この一瞬一瞬において

  • 革命

を行っている、ということになる。この連続する「革命」の絶えざる連続性、持続性にこそ、その特徴がある、ということになる。つまり、この一瞬一瞬において、私たちは、何度も何度も「社会契約」を行っているのであって、これをやめたときこそ、民主主義の死だということである。
この「民主主義」であるということは、なにか「自明」な、慣習的な、文化的な、すでにそうあることが、はるか昔から決まっていたような、そういった「自分が<選ぶ>性質のものではない」もの、そういったものとは、決定的に対立する。「国家=文化」論においては、国家の正当性であり正統性は、天皇が今こうあることの、歴史的な物語によって「決定」しているのであって、それと矛盾した政治決定は、どんなにそれが国民の「意志」であったとしても否定される、ということを意味する。これと同じことは、イエ制度に代表される家族主義にも言える。家族主義においては、最初から、家長である父親の「意志」は絶対なのであって、その他の構成員が、本質的な意味で、父親に反する行為を行うことはない、とされている。というか、そうであることが「幸せ」の定義となっているわけである。
これに対して、丸山の考える民主主義は決定的に対立する。こういった、文化や因習的な作法に対して、ホッブス・モデルにおける、民主主義的意志決定の場に立たされる、それぞれの個人はまず、

  • 方法的

に、こういった思考的な「慣習」性の外に出ることを求められる。デリダの言う「脱構築」が必要とされる。まず、各個人は「思考実験」として、自らを、こういった慣習の作法の

  • 外の存在

として仮定することが求められる。つまり「絶対の孤独」の存在として、想定することを求められる。その上で、一切の因習と「離れた」存在として、自らの「懐疑」を始めるわけである。
つまり、お分かりであろう。このホッブス・モデルは、近代哲学における出発点である、デカルトの方法的懐疑を非常に意識しているわけである。

批評家は、小説や詩おける「私」をその極限にまで連れて行かねばならない、批評はこの任務を他でもなくロジックによって遂行する。このときロジックとは、単なる言葉の整合性を言うのではない。「理屈として正しくて、実際には正しくないなんて理屈がこの世で何んの役に立つ。そんな理屈は必ず誤りがあるのである」。そして「人々は言う。『言葉ではそうだろうが、実際はそんなもんじゃない』、とでは実際とは何物か。実は彼等は次の通りに言ったのだ。『その言葉は簡単だ、もっと複雑な言葉もある』、と」。それゆえ批評家のロジックは、どのように言うか、ということを突き詰めることに他ならない。言い換えると、「このように」言う「私」を「疑う」ことが批評なのである。「実際」は、したがって、その疑いのなかにのみあるのであって、その外にただあるものではない。だから批評家が言葉の正っさを仮託しうるような「公式的命題」などありえないはずであろう。なぜならそんなものが存在するとき、批評は潰えてしまうだろうからである。
このように小林にとって近代日本文学の歩み、すなわち自然主義からマルクス主義までの展開は、「実験室としての私」が成立しえなかった過程であった。それはありとあらゆる観念、習慣、制度を懐疑し、その懐疑の過程そのものを自己証明とて提示する言語を近代日本文学が持てなかったことを意味する。それゆえ上述した彼の「不安」は潰えてはならない。つまり何物も「確実」であってはならないのである。批評は、この「確実」を求めるために「不安」に陥ることを意味し、それこそが近代における「私」なのだ。批評に安心を与える「様々なる意匠」を取り払い、自然主義私小説マルクス主義文学をコインの両面として批判したのち、小林が行き着いたのは依然としてこの「私」であった。

私小説は亡びたが、人々は「私」を征服したろうか。私小説は又新しい形で現れて来るだろう。フロオベルの「マダム・ボヴァリイは私だ」という有名な図式が亡びないかぎりは。

私小説論」の最後を飾るこの有名な文句は、きわめて明確な、単純なことを意味している。その意味するところは、近代日本の産物である私小説の興亡に関するものでも、文学一般における私という問題に関するものでもなく、小林秀雄のテスト氏、彼のコギトそのものに他ならない。彼の懐疑が「私」に行き着く他ないことを、そしてこの「私」はそ決して征服されえない、すなわち懐疑が止まり不安がなくなることはないことを、小林は己の思索が歩んできた一〇年余りを、西洋近代文学と近代日本文学のさまざまな意匠を疑った結果として、「私」を語ったに過ぎないわけである。それゆえ、小林の批評が潰えないためには、この「私」、つまり「不安」のなかに止まるこの「私」が常に懐疑していなければならないあろう。それは確実なものを求めるために不安でなければならない、孤独になるために外界と接触しなければならないという、なんとも稀な精神に違いないと言えよう。
そしてこの精神は、実のところ、丸山眞男の決断と同じものである。というのも丸山の決断が決断の反復として、何物にも惑溺しない精神を意味するのと同様、小林の懐疑は懐疑の反復として、何物をも確実なものとして見なさない精神を意味するからだ。つまり丸山の「ナショナリズム」と小林の「私」は、近代日本の精神構造に対する同様の批判だったのである。前者は決断の反復に附された名であり、後者は懐疑の反復に附された名だと言える。言い換えれば、前者は秩序生成の根源が絶対孤独の決断たることを見極めた思考であり、後者はその根源たる絶対孤独の個人に辿り着くために懐疑が必要たることを見極めた思考だったのである。それゆえ丸山と同様、小林の「私」を根底において支えているのは、あらゆる関係を脱ぎ捨てた、絶対孤独の個人である。彼のコギトは、この絶対孤独の個人がいかにして思考されうるのかを見せることだった。
帝国日本の閾――生と死のはざまに見る

丸山が、小林秀雄を非常に意識していたことは、残された著作から自明なわけだが、この小林も、いわば、ここにおける、民主主義における「方法的懐疑」を突き詰めて考えた一人だったと言えるだろう(むしろ、だからこそ、丸山は小林の言説に注目せざるをえなかったのであろうが)。
私は上記における、丸山や小林の思考における「方法」的意識についての記述を読んでいたときに思い出したのは、最近、このブログでも紹介した、ジョセフ・ヒースの『啓蒙思想2.0』であった。
ヒースは、なぜ人々は「真実っぽさ」や「ウンコな論議」といったものにからめとられ、理性的に考えられないのか、つまり、啓蒙は成功しないのか、といった問いに対して、私たち自身が、はるか昔から、慣習として血となり肉となっている、さまざまな「作法」が、多くの場合、そういった行動を阻害している、と考えた。
このように考えたとき、上記における丸山や小林が言っていることは、ヒースの言う、国民の一人一人による政治的決断における

  • 理性的(=計算的)

な能力の十全な発揮のことを言っているとも考えられないであろうか。この「方法的懐疑」において、私たちは、まずこの、自らに備わる「慣習的な反射的」な臆断に

  • 抗って

対象を、理性的に計算しなくてはならない。つまり、私たちはいったん、自らの慣習な作法を、(現象学的還元がそうであるように)「括弧に入れて」脱構築しなくてはならない。つまり、自らを思考実験として、まったくの「抽象的人間」で「あるかのように」想定して、土着の慣習的な因習のしがらみから「離れた」、抽象的な「孤独」な存在として、想定することから始めなければならない。そうすることによって始めて、「純粋に計算的に」、今の状況を客観的に見た判断が生まれうる。
つまりはこの、「方法的意識」が、今においても、ヒースの『啓蒙思想2.0』として反復されている、ということである...。