大沢真理『生活保障のガバナンス』

私がなぜ「共感」という言葉に違和感をもつのか。それは、共感が不要だからではなく、共感では「不十分」だと考えるから、という一言に尽きるであろう。このことは、たんに「論理的」な話だと考えてもらってもいい。お金持ちのボンボンは、日頃から周りに貧乏な人がいない。だから、貧乏な人たちを「ネタ」にして、内輪の友達仲間で、差別的に「盛り上がる」。つまり、こういった関係性においては、お金持ちによる貧乏人への共感は成立していない、ということになるであろう。だとするならそれは

  • しょうがない

ということになるのであろうか? こういった意味において、私はどこか「ニヒリズム」において考察している、と言えるであろう。つまり、どっちでもいいわけである。「共感」があろうが「共感」がなかろうが、どっちだろうと、結果として「貧乏人の生活福祉」が成立するような行動を結果しているなら、それでいい、ということである。
そういう意味で、私はいわゆる、お金持ちによる「英雄」的な

  • 物語

を拒否している。お金持ちが「地球を救う」みたいな話は、なにかの「冗談」だと思っている、自分たちが「破壊」しておきながら、自分たちが「救ってやった」って、なにかの「冗談」だろ、ということである。
このように考えてきたとき、そもそも国家による「福祉政策」というのは、実のところ、どのようなものなのか、といったことが非常に重要であることが分かってこないだろうか。

一般的にガバナンスとは、人やものごとを「治める」パターン、ないし社会が「治まっている」パターン、あるいは「治める」活動をさす(Bevir 2009:3-4)。パターンのなかには「治まっていない」状態を含み、「治める」主体は政府とは限らない。そのため、もっぱら政府による権力的な介入を連想させやすい「統治」という訳語を当てるよりも、「ガバナンス」と表記されることが多い(猪口 2012)。政府や民間の目的合理的な「治める」活動について、本書は「ガバニング(governing)」の語を当てる(Bevir 2009:19)。

戦後の世界は、「福祉国家」によって構成された。そのことは、政治の流れにおいては、少し皮肉な理由によっていた。つまり、この「福祉」というのは、むしろ、

  • 戦中に始まっていた

ということなのである。戦争中、必要とされていたことは、赤紙によって徴兵される国民の「動機」であった。そのため、さまざまな「福祉」が政策として推進された。保険制度や年金がその典型であろう。つまり、戦後はその「延長」から始まった、ということである。
戦後、世界は冷戦と言われるように、二つの勢力によって二分された。特に、ソ連と中国を中心とした社会主義勢力が特徴としたのはその「福祉」政策であった。これに、アメリカとヨーロッパを中心とした資本主義勢力はその「イデオロギー」性において、意識せずにはいられなかった。つまり、なんらかの「福祉」に

  • 優秀性

においいて「対抗」しないわけにはいかなったわけである。しかし、この雰囲気は、東欧におけるベルリンの壁の崩壊に象徴される、社会主義勢力の崩壊によって変わってきた。つまり、新自由主義ということだが、ここにおいて、そもそもなぜ「福祉」を行わなければならないのかが疑わ始めたのである。
福祉を行えば、それだけ、富裕層のお金が少なくなる、ということである。富裕層がお金を集めようとする「執念」に比べて、それが税金として奪われることを「あきらめる」理由は、相対的に低くなった。冷戦時のイデオロギー戦争のような「しょうがない」と思える理由もなくなり、彼らお金持ち連中は、バブル崩壊後、彼らの闘争の前線は、お客に商品を売る場面から、国家に税金を奪われる場面に移ってきた。彼らは「バブル」の「ぜいたく」に慣れた。それは「倫理的」に「正しい」ことだと思うようになった。そしてそれは、バブル崩壊以降の失われた10年において、

  • 貧乏人を犠牲にすれば「可能」

であることに気づいたのである。「福祉」をやめれば、俺はバブルの頃と同じような「ぜいたく」な日々を過せる。なぜお金持ちが税金を払わなければならないのか。税金なんて、貧乏人同士で払い合って、勝手にやっていればいい。なんで自分が払わなければならないんだ。
そして、それは実際に実現可能であった。つまり、政府はこういった利権集団の「寄付」に依存していた。つまり、政府は、こういった一部のお金持ち集団に実際に支配されていた。あと、残っている問題はなんだろうか。それを「強力」に推進していく政治家だけだった、と言えるであろう。
つまり、なんとしても、国民の「不満」をごまかしごまかし、国民に「不利」な条件を飲ませられるような、そういった「政治家」集団の「能力」が求められた、ということである。
そこでまず始めに着手されたのが、「大手マスコミ」の懐柔である。マスコミの報道を完全に「政府寄り」にさせることが目指された。つまり、政府の行う政策の一つ一つが実際には、お金持ち優遇政策であり、貧乏人不利政策でありながら、まるでそれが

  • しょうがない

ことであるかのように、報道される「テクニック」が発達した。それが「貧乏人に不利」な「不平等」な政策であるのに、新聞のどこを読んでも、そうであるとは直接書いていない。そのかわりに、まるで「しょうがない」ことであるかのように、まるで「合理的」であるかのように、変な「バランス」感覚で記述される。
日本の「福祉国家」としての特徴は、まず、戦中から続く「家長中心主義」にあるのではないか。つまり、まず「男性中心主義」だということである。専業主婦は、主婦によるパートによっても、両方とも、それぞれの形態において、特殊な「年金」や「保険」の優遇措置が行われる。この場合、そういった対応が女性にとって有利か不利かの前に、こういった制度が、そもそも

  • 家長としての父親の稼ぎ

が「前提」に作られた制度設計だということである。つまり、この制度設計そのものが、必然的に父親のイエの中における「権威」を前提にしている、ということなのだ。
そして、もう一つ、日本の「福祉国家」を特徴づけるものが、「年金」と「保険」が、極端にその全体における比率を占めていることだと言えるであろう。しかし、この二つは戦中から始まっていることから分かるように、本当に「福祉」を目的にしているのか、そこが疑わしいわけである。

2000年前後の日本では、所得第1五分位は給付の15.7%を受け(OECD 27カ国平均は 22.8%)、税負担の 7.4% を納めていた(OECD 平均は 4.0%)。第1五分位の世帯可処分所得にたいする給付から負担を差し引いた純移転は、1.3% にすぎなかった(OECD 平均は 4.0%)。第1五分位が受けた給付は、第5分位(最上層 20%)が受けた給付の 0.8 倍(OECD 平均は 2.1倍)と、最上層への給付のほうが大きかったのである(Jones 2007:22)。日本の第1五分位、すなわち最も貧しい 20% は、給付は薄く負担は軽くないという意味で、冷遇されている(イタリアもそれに近い)。

日本の年金と保険は、確かに、国民の「福祉」という意味で、日本の治安に資していることは確かでありながら、しかし、これが「福祉」なのかと言われると疑問とせざるをえない。つまり、消費税と同じく、極端なまでの

  • 逆進性

があるわけである。国民年金をどうして貧しい低賃金で暮している人が払えるだろうか。この「払う」というお金の「価値」と、裕福な人にとっての、それと同じ額の「価値」が、まったく違った意味があることぐらい、だれでも分かるわけであろう。言うまでもないが、失業している人が、どうして「同じ額」を払えるというのか。学生がどうして払えるというのか。しかし払わなければそれはたんに、

  • 年金の額の減額

を意味するしかない。特に、企業年金や保険は、近年の非正規雇用の増加を考えたとき、あまりに差別的な制度であることが分かってくる。
ここにおいて、何が問題なのか。
つまり、

  • 逆進性

であることが分かるであろう。逆進性のある制度である、消費税、年金、保険料は、そもそものその「制度の発生」において、その存立基盤の正統性が怪しい、と言わざるをえない。これに対して、ある人は

  • だったら、別にお金を貧乏人に「プレゼント」すればいいじゃない

と言うかもしれない。しかし、もしもそうなら、「最初からお金を奪わなければいい」のだ。よく考えてほしい。一度奪っておいて、やっぱりこれいらないから「返す」と言われて、こんな制度が、そう簡単に成立するであろうか。ものすごいエントロピーの増大ではないか。いらないんだったら、最初から奪わなければいい。
たとえば、国によっては、食料品は「無税」ではあるが、その他の製品の消費税は高いという場合がある。こういった考えの国というのは、とにかくも、貧乏人は食料さえ食べれれば生きていける、という考えだと言えるであろう。そういう意味において、「一貫性」があるわけである。
よく考えてみてほしい。日本の生活保護は、自らのあらゆる「資産」をさらけだすことで受けとる給付金である。日本には、これ以外の「生活保護」はない。しかしこの生活保護は、上記の「性質」を備えている時点で、明らかに「差別的」ではないか。人権を犠牲にしろと言っているのと変わらない。
しかし、である、この「困難」な問題を正面から受け止めて、日本の政治を変えてくれそうな人は見つかるだろうか。たとえばそれを、自民党がやると思えるであろうか(今までやってこなかった自民党がw)。第二自民党と揶揄されている民主党が、党として団結して、改革をなしとげてくれるだろうか。
私たちにできることは、少しでもアジェンダを明確にして、これに反する「ウンコな議論」をしている連中を、徹底して弾圧していくことで、なんとか世論の雰囲気を健全にしていくしかない、ということだろうか...。

生活保障のガバナンス -- ジェンダーとお金の流れで読み解く

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