ゼリービーンズ

むかし、ふくやまけいこという漫画家が描いた「ゼリービーンズ」という漫画があって、今は、こちらのサイト(ゼリービーンズ - ふくやま けいこ | マンガ図書館Z - 無料で漫画が全巻読み放題!)で無料で見れるらしい。
この漫画は、未来社会が舞台となっているのだが、この未来は少し不思議な状況を呈している。まず、子どもの二割は、人工受精によって、親のいない状態で育てられる。これらの子どもは、国によって管理される形で、育てられ、学校にも行く。こういった子どもは、義務ではないが、成人男女から、卵子提供、精子提供された中から、選ばれ受精され育てられる。
こういった子どもたちは、将来どうなっていくのか。二つのパターンがある。一つはそのまま、国家に育てられて、公務員になるパターン。そしてもう一つは、成人になる前に「保証人」と呼ばれる大人に引き取られるパターンとなる。
ある日、一人暮らしをしているアメリアのところに、エリスという少女が訪ねてくる。上記の人工受精によって育てられた彼女は、卵子提供された女性がアメリアだということで、親を訪問できる11歳という年齢になったということで、3日間の訪問でやってくるところから作品は始まる。
ここで、整理すると、この世界のおもしろいところは、この二割の人工受精の子どもの「親」は、養育の義務はない、ということである。国家の「要請」によって、卵子精子を提供するだけで、結果的に自分の子どもが産まれるかも分からない。まったく、ここで関係が切れている、ということなのである。この作品のおもしろさを理解するには、この「設定」を理解する必要がある。

エリス あのねいま、学校の資料局から電話がきて......、女親のカードがまちがっていたんだって。清掃局のプログラムと混戦していて......こっちが正しいカードだって。
アメリア ハッ! おかしいとは思ったのよ。よく考えたらもう十数年も病気で卵子の提供はしてなかったんだもの
エリス どうして!? アメリアどうしてだまってたの。
アメリア たしかめる気がなかったの! それだけ。ほら、バスがきちゃうじゃないか。
エリス ねぇ アメリア、夏もまたきていい?
アメリア なにいってんの。人ちがいってわかったでしょ。ほらっ バスが......。
エリス いいじゃないのねぇ 血がつながってなくたって、好きあえる人っているじゃない。ね、またくるよ。
アメリア あーあー、わかったわかった。好きにしな。

ゼリービーンズ (アニメージュコミックス)

ゼリービーンズ (アニメージュコミックス)

アメリアは、エリスの訪問の時から、エリスが自分の子どもでないことが分かっている。しかし、彼女はだからといって、彼女を、まるで他人の子どものように扱わなかった。
他方、エリスは当然、彼女が実の母親だと思い、この三日間、

  • それを前提に振る舞ってきた

わけである。この「非対称性」が、この場面の「おもしろさ」である。明らかにエリスは「困惑」している。それは、どうしてアメリアが「優しかった」のかを理解できないから、と言えるであろう。エリスにとって、その他のことはどうでもいい。エリスにとって、実際にアメリアが母親なのかどうかは、本質的な問題ではない。彼女を混乱させ、彼女を深く考えさせたのは、この

  • 三日間の間の「母」と「子」の「パフォーマンス」

そのものにあったと言えるであろう。間違いなく、エリスの側からすれば、この三日の「行動」は母と子のそれ「そのもの」であった。だからこそ、彼女は、その

  • リアルさ

を否定できなかったのだ。
他方、アメリアにとってはどうであろうか。アメリアの行動は、むしろ「大人の作法」に近い、ということなのかもしれない。アメリアは、25歳の詩集を二冊出版している作家であるが、ほとんど世捨て人のように、世間と隔絶して独り身で生きている女性である(どうして、そういった生活をしているのかは、作品の後半で明らかになる)。そんな彼女の前に、この小さな「トラブル・メーカー」があらわれた。それに対して、アメリアは来るものはこばまず、去るものは追わずで対応している。また、エリスに対して、自分を母親だと思って来ているところを、無下に追い返すわけにもいかないと、できるだけ、エリスの「期待」に応じるように振る舞っている。
作品の後半で、彼女も人工受精で産まれた、同じ境遇だったことが描かれ、また、今は亡きある男性に養子として迎えられたことも分かるのだが、そういった彼女なりの「同じ境遇同士」の、なんらかの「共感」感情が、このような行動をとらせたのかもしれない。
上記の引用個所のおもしろさは、エリスの「大人びた」態度であろう。この第一話の最初で、エリスが親元に行くことが「許可」された理由として、それにふさわしい年齢になったから、ということが暗黙に示唆される。つまり、この事実に向き合える年齢になったから、彼女は国に許可されたわけである。つまり、この事実を「受け止められる」年齢に<なった>ことが、いわば「フラグ」として、この場面に適用されている。
つまり、「逆説的」であるが、<だから>エリスはアメリアを「受け入れた」のだ。こういった感じで、この作品は、人間の親と子とは「どういうもの」なのかについて考えさせてくれる...。