吉川浩満『理不尽な進化』

今週の videonews.com は、またまた、消費税増税しなければ、ハイパーインフレで戦後の焼け野原だってさ。それにしても、宮台さんは、本気で、消費税増税賛成派なんだな。人間性が透けて見えるな。
消費税の増税は、はっきり言えば、お金持ち「優遇」税制なわけでしょう。自分が大学教授で、富裕層の生活をしている宮台さんにとって、消費税を庶民に受け入れさせることは、自分の資産を守るためにも、至上命題なんでしょうね。これについては、神保さんも同じだ。自分のソフトなマーケティング的イメージを利用すれば、庶民に消費税を受け入れさせることなど、造作もない、と思っているんでしょうね。みんなー、だまされちゃダメだよー。ニセ学者に気を付けよー。
たとえば、アメリカは今だに、日本の「消費税」なるものを採用していない。アメリカにおける売上税は、根本的に日本の「消費税」と違っている。それは、日本の「消費税」があまりにも深刻な「逆進性」をもっていることの証明だと言ってもいいでしょう。それに対して、宮台さんも神保さんも、ずいぶんと、日本の「消費税」が、8%から、10%にならなかったことが「残念」みたいですね。そして、また、

  • 愚民社会

ですか。この二人には、今後も注意していくしかないみたいですね orz。
ようするに、全部「論点すり替え」だと言っているわけである。なぜ、ハイパーインフレに対する「回避策」が、消費税なのか。まったく、論理的ではない。消費税増税なんて、経産省財務省の御用学者しか言っていない。つまり、財務省の御用学者は、こう言われているんでしょ。

  • 消費税の増税ができなければ、お金持ち「増税」を行わなければならなくなる。それでは、セレブの方々はお困りになるでしょ。だったら、セレブの方々で、なんとかして、庶民に「消費税」を受け入れさせるように「説得」してください

と。消費税とハイパーインフレはなんの関係もない。いいかげん、逆進的な、「庶民増税」を

  • あなたのためだから

っていうの、やめてくれませんかね。
例えば、こういった連中がよく使う用語として、産業構造改革というのがある。日本は、高度経済成長時代を過ぎて、「成熟期」になった。つまり、裕福になった日本のような国が、発展途上国の貧しい国と、低賃金労働者で競争したら、必ず負ける。つまり、日本の工場が海外に逃げていくのは避けられない。つまり、日本はそれによって余った余剰人口を、

  • 発展途上国が真似できない「産業」に切り替えていかなければならない

というわけである。しかし、その「発展途上国が真似できない」産業って、一体、なんなのかな。そんなもの、一体、どこにあるというのであろう。
私はここに、こういったインテリ知識人の欺瞞性があると思っている。
たとえば、こう考えてみよう。アメリカ企業のトイザラスというオモチャ屋が、日本に巨大なデパートを作ろうとして、日本から、大店舗禁止法は、排除された。これによって、日本中の田舎は、巨大なショッピングモールばかりになり、駅前の商店街は、徹底して潰された。さて。こうして潰された商店街を営んでいた人たちは、これから、借金を抱えて、どうやって暮していけと言うんでしょうかね。
よく考えてほしい。商店街が廃墟と化したのは、この法改正によって、国道沿いに、巨大ショッピングモールが次々と作られたからである。つまり、この法改正がなければ、こういった商店街は、今でも命脈を保っていたかもしれない。つまり、全ての「原因」は、このルール改正である。インテリたちが、商店街の人たちを、露頭に迷わすために、この庶民保護法を壊したのだ。
こうした場合、こういった「インテリ」たちは、彼ら、失業をして、露頭に迷うことになった、庶民に

  • どうなれ

と言いたいのだろうか。これから勉強して、ITのような新たなフロンティアに挑戦しろ、と言うのか。50を過ぎて、定年間近の彼らに。最後のセーフティネットの、「生活保護」で、死なない程度に、生かさず殺さずの「福祉」で、「敗者」として、おとなしく、社会の裏側で余生をごまかせ、と言っているのか。これが「適者生存」の、ダーウィン的サバイバル社会なんだから、自業自得だと言いたいのか。
大事なことは、この法改正を、一部の「エリート」が行った、ということである。この法改正を実際に行った、「鬼畜」エリートや、「鬼畜」政治家が、この日本に存在する、ということである。
こういった状況は、どこか、掲題の著者が言う「理不尽な進化」に似ているように思われる。

変な話、会社の人事などでは、こうした理不尽な絶滅と生存のシナリオのほうが、弾幕の戦場や公平なゲームよりもはるかにリアリティがあるように感じないだろうか。創業社長が急死し、息子が新社長に迎えられる。破天荒なやりかたで会社を大きくした先代とちがい、二代目は堅実を絵に描いたような人物。社内の雰囲気は一変し、勢力地図が塗り変えられる。先代お気に入りの個性あふれる暴れん坊が干され、一見パッとしないが着実に仕事をこなす何某が抜擢されたりする。逆のパターンもある。真面目一徹だった職人上がりの創業社長が引退し、山っ気たっぷりの息子が新社長に就任する。会社のグローバル化を宣言した若社長は、なにやら怪しげなカタカナ職業の人員を補充して、急に先物取引や企業買収や新規事業の開拓などを始め(以下略)。

例えば、現在の日本政府が行っているリフレ政策によって、円安が続いているが、これによって、日本の家電企業が、日本での生産を始める、という話がある。しかし、この場合、大きなインセンティブとなっているのが、

  • 動かしていない工場が日本にある

という所にある。つまり、「もったいない」機材が日本にまだ、あるのだから、もうかるのであれば動かそう、というわけだ。この状況は、日本の原発にも言えるであろう。つまり、「まだ動かせる」から、「もったいない」から、動かそうとする。ものすごいお金をかけて、安全基準をクリアするための、「設備投資」を行って、いつになったら動かせるのかも分からないようなものに、巨額なお金を注ぎ続けていて、それが、電力各社の「電気料金の値上げ」の「理由」になっている、というわけである。
人間が作る「ゲーム」には、ルールと呼ばれる

  • 明文化

されたものがある。これは、文章によってリテラルに記述されたものであって、つまりは、これが「変わる」とは、明示的に誰から、この文章を変えなければ、変わらない、という意味になる。
ところが、ダーウィンによる「進化論」の場合、この「ルール」なるものはない。だとするなら、ここで言っている「ゲーム」の「ルール」とはなんなのか、ということになる。つまり、

  • 適者とは誰か?

が、よく分からなくなるわけである。

哲学界の鬼才・三浦俊彦はきわめて明快に述べている。「誰が適者であったのかという判定は、どのような表現型が相対的に多く子孫を残したか、という結果論とは独立の基準によって決めることができない」のだから、「いかに予想外の者らが生き残ったとしても、結果として繁栄した者が適者、ということでよい。ダーウィニズムの適者主義は、この意味で、明らかにトートロジーである」と(三浦 2006:107-8)。つづけてこう主張する。

適応主義のトートロジーこそが、生物進化に関するダーウィニズムの経験的主張を支えているのである。すなわち、適者は事後的に定義されざるをえないということは、自然選択の母集団が(あらかじめ定まった方向への変異や組み替えではなく----引用者註)「ランダムな変異および組み替え」でしかない、という積極的事実に対応しているからである。(......)「適者」はトートロジカルに定義される他ない、というダーウィニズムの主張全体は、かくして、トートロジーではない。「適者」を結果論的トートロジカルに定義したことが、ダーウィニズムの最大の経験的テーゼだったのである。(三浦 2006:108-9)。

適者は、結果から、「必然的」に導かれる「推論」である。つまり、今現に、生き残っているという「事実」が、それが「適者」と呼ばれることの正当性を与えている。
ところが、である。
ここで言う「適者」は、あくまで「過去」との対比において、導かれた結論にすぎない。つまり、そのことが少しも、

  • 未来

における「適者」であることを保証しない。ダーウィン進化論における「ルール」は、自然しかない。しかし、この自然は「その時、その時で、外在的に決定する」ということが言えるだけで、これらを決定するための、

  • 全情報

は、この宇宙の今の「全情報」と言っているのと変わらないくらいに、膨大な話になってしまう。つまり、何が問題なのか。大事なポイントは、確率論とは、「確率空間」の理論だということである。あらゆる確率は、この空間の定義に依存する。この過程を通すことなく、確率を議論することはできない。
なぜ、多くの人はこのことを理解できないのか。おそらく、ここにおいて、彼らは「この宇宙の全情報」のような、確率空間を考えてしまっている、空想してしまっているからではないだろうか。しかし、どうやったら「それ」は計算できるのか(こういった制約は、どこか、カントの理性の限界を思わせる...)。

理不尽な進化: 遺伝子と運のあいだ

理不尽な進化: 遺伝子と運のあいだ