伊勢崎賢治『日本人は人を殺しに行くのか』

そもそも、安倍首相という人はどんなことを考えているのであろうか。このことは、現在の安保法制を考える上でも、非常に重要なポイントであることがわかる。

まず安倍内閣はどうしてそんなに集団的自衛権にこだわるのか?
どうやら、彼の頭の中には「アメリカとの双務性」という言葉があるようです。
安倍首相は2004年に『この国を守る決意』(扶桑社)という対談本を出しています。先述のハフィントンポストの取材に対し、「自衛隊は戦争する軍隊になりますよ」、「アメリカもう(同盟)やめたと、そうなる可能性はありますね、それが一番怖いふぇすね」と応えていた岡崎久彦さんとの共著です。
その中で安倍首相は次のように語っています。

「祖父の岸信介は、六〇年に安保を改定してアメリカの日本防衛義務というものを入れることによって日米安保を双務的なものにした自分の時代には当たな責任があって、それは日米同盟を堂々たる双務性にしていくことだ」

ここで言う「双務性」とはつまり、「日本は、アメリカに武力で協力していないから片務的である。ちゃんと兵を出して、アメリカと同じくらい武力で戦わなきゃいけない」ということです。しかし、その意味での双務性を、アメリカは本当に望んでいるのでしょうか。
また、安倍首相は同著でこうも言っています。

「軍事同盟というのは血の同盟であって、日本人も血を流さなければアメリカとの対等な関係にはなれない」

この「血」というのは当然、ご自分の血ではなく「人」の血、自衛隊の「血」です。安倍首相が言う「双務性」が達成されるには、自衛隊に死者を出す必要があると言っているのです。

しかし、ここで言う「アメリカ」との「双務性」とはなんなのだろうか?
よく考えてみよう。
安倍首相は、アメリカに対して日本の何が「同じ」にならなければならない、と言っているのであろうか。上記の引用を読むなら、

というふうに解釈できるであろう。それが、彼にとって、日本がアメリカに

  • 信頼される

条件だ、というわけである。もしも、日本の中にアメリカとの「差異」があれば、アメリカは日本を「奇妙な慣習に従って生きている<自分たちとは違う何か>」と考えるであろう。安倍首相は、それでは「ダメ」だと言っているわけである。アメリカとの「同盟」を結んでいるということは、日本が困ったらアメリカに助けてもらうし、アメリカが困ったら日本が助ける、ということなのだから、アメリカがそうやりたくないと思われてはいけない、というわけである。
日本はアメリカと同じでなければならない。そうすることで、始めて、アメリカは日本を「仲間」だと思い、困っていたら助けようと考えてくれる、と。
安倍首相の目的は、日本の

であることが分かったのではないだろうか。特に彼が固執しているのが、アメリカの「軍隊」を、日本に作ることです。彼には、日本の最もアメリカ化の遅れている部分はそこだと考えられています。
アメリカ人の軍人が死んだら、アメリカ軍の軍人の割合から考えて、それと「同じ」だけの自衛隊員が死なないと、安倍さんは

と考えます。アメリカ人ばかり、たくさん死なせてしまって、もしアメリカに日本ばかり「得をしている」と思われたらどうしよう
と、アメリカさんの「不快感」ばかり、彼は気になって気になって、しょうがない、というわけです。
上記の岸信介の頃の日米安保とは、時代の産物でしょう。当時は、冷戦構造まっさかりの頃で、日本がソ連や中国と共産陣営側に寝返らないように、「アメリカの日本防衛義務」とアメリカが言うことには、一定のアメリカ側にとってのリアリズムがあった。
ところが、今、冷戦も終わり、アメリカが日本を「防衛」するとは、どういうことなのだろうか?
そもそも、日本の敗戦は、アメリカによる日本の「占領」から始まっているわけである。そこで、上記にあるように、アメリカは別に日本を守るために日本にいたのではなく、日本を「占領」すること自体を目的として、日本にいたわけであろう。
アメリカが日本にいたのは、例えば、沖縄が分かりやすいが、彼らが日本を「占領」していたから、ここが彼らの

  • 領土

だから、ここにいたのであろう。
アメリカはたんに「アメリカ」にいたわけである。日本は日本ではなく、アメリカだったのだ。
私たちはまず、根本的に考えを改めるべきではないだろうか。
なぜアメリカが日本を「助ける」のだ? そんな理由はどこにもないんじゃないのか? なぜ、アメリカが日本を助けるということになっているのか。バカじゃないのか。アメリカはたんに、アメリカの「国益」にもとづいて、自国民を助けるために、行動するし、日本だって、そうなんじゃないのか。
まず、根本的に、アメリカが日本を助けるとか、日本がアメリカを助けるとか、やめるところから始めないと、どうしようもないんじゃないか。
アメリカ人は、アメリカ国という「社会契約」に基づいて、彼らの国益を増大させるために、必死で生きているし、日本は日本で日本国という「社会契約」に基づいて、日本国民の国益を増大させるために、必死で生きている。なんで、相手の国を助けるとか、助けないとかいう話になっているんだ。
よく考えてみろよ。
日本の憲法のどこに「アメリカを助けなければならない」なんて書いてあるの。それって、日本人の義務なの。アメリカだって、そうでしょ。
まず、こういう「嘘」をやめようよ。日本とアメリカは確かに、歴史的に因縁のある国同士だし、太平洋をはさんで、隣同士の国ではあるけど、

  • 別の国

なわけよ。そもそも、主権が違うのよ。そのように考えて、まず、日本が困ったからといってアメリカは

  • 助けない

ということを基本の前提に、なにもかもを考えないとだめだよ。どこの国だって、ときには仲違いをしたり、仲良くなったりを繰り返して、歴史は進むんであって、それが当たり前じゃない。

軍事作戦では、かならず民間人を巻き込む過失が起こります。もし軍事作戦にあたる中で、地元社会に対する過失が起こった場合、どうなるのでしょう。もちろん、訴追免除でそのまま、ということでは済みません。
では、どうするかといえば、軍を派遣している側の政府が、地元社会に対し、「現地法では裁かれないけど、ただちに本国に送還して、もっともっと厳しいその国の軍法で裁くから許してね」と言うしかないのです。
これが言えない軍事組織は、単純に "使えない" のです。そんな組織が派遣されてば、現地社会がただでさえ持っている「非対称な怒り」の火に油を注ぐことになるからです。それは、COINを破壊する行為です。そのため、各国の軍事行動における「ダメージコントロール」は、各国の部隊の作戦の根幹を成すといっても過言でないほどの注意が払われているものなのです。
しかし、自衛隊法には、自衛隊が国外で犯した過失を裁く規定すらありません。軍法がないからです。では、刑法を使えばいいのかといえば、それもできません。日本の刑法には国外犯規定というものがあり、日本人が海外で犯す業務上過失致死傷を裁けないのです。では、一般犯罪としてならどうか? それも現実的ではないでしょう。ロス疑惑みたいに、日本の検察を戦地に送りますか現地人の証人を日本に招致しますか。その間の、現地感情への対処は? 軍法がある国でも苦労するこの手の問題を、軍事法廷のない国がどうやって対処するというのでしょうか? 日本では、この大切な議論が一切なされないまま、自衛隊が海外に派遣され続けてきたのです。
「軍法をもたない軍隊(に準ずる組織)」の兵士が国外で罪を犯したとき、何が起こるのか?」についての象徴的な事例といえば、2007年9月にイラクの首都バグダッドで起きた「ブラックウォーター事件」です。これは、ブラックウォーター社という民間軍事会社(要は傭兵部隊)の人間が、突然非武装の住民に向かって銃を乱射し、少なくとも11人のイラク市民を死亡させたという凄惨な事件です。
当時、イラク国内(つまり海外での活動)における民間の軍事会社は、イラク国内法から訴追されないばかりか----正規の兵士でもないため----アメリカの軍法でも裁けない状態にありました。つまり、当時のアメリカの民間軍事会社は、イラク国内で何をやっても法に問われない立場にあったのです。この問題は、イラク国内に多くの怒りを呼び込み、アメリカは国際社会から強烈な非難の声を浴びました。これと同じ事態に、軍法のない自衛隊はいるのです。
慣れない若い隊員は、迫り来る(民兵が混じっている)群衆を前に恐怖でパニックを起こし、銃を乱射してしまうというのは、いつでも、誰にでも起きる可能性があります。そんな状況であるにもかかわらず、「非戦闘地域」「後方支援」などという形で(実はこれら言葉は日本独自の言葉であるため、多国籍軍の現場では英語に訳しようがありません)、「事件が起こらない想定」で、自衛隊は海外に身を置き続けているわけです。

自衛隊は軍隊ではない。それは、その成立過程を見ても分かるように、あくまで、自国の防衛を目的として、警察組織の延長として組織されているからである。なぜ、そうなのか。言うまでもない。そういう憲法だからである。日本がこういった憲法を採用することになったのには、歴史的ないきさつがある。安倍首相が、それが

でないことに不満(=アメリカに申し訳ない)と思っているようだが、そもそも、このように日本を強いたのは、その当時のアメリカであり、世界中だったわけであろう。なんでそれが

  • 恥ずかしい

のか。堂々としていればいいではないか。世界中が、日本は「非武装化されていなければならない」と考えたわけであろう。世界中が日本は非武装化していなければならない、と考えて、今もそう思っているから、今の今まで日本はこうだったのであろう。なんで、それが恥ずかしいのだ。もしそのことが恥ずかしいとするなら、その原因は、それを強いてきた、世界中の方だということではないか。
日本は堂々と、日本には軍隊がないので、世界中の紛争地域に軍隊を

  • 送れません

と言えばいい。実際に、そういった歴史的経緯があって、やれないのだから、もしもそのことで、日本が責められなければならないとしたら、その責任は戦後、日本にそう強いてきた

  • 国際世論

の方だということではないか。日本はできないからできない。それを、変な「屁理屈」を労して、嘘に嘘を重ねて、

  • なんでもやります

としゃしゃり出てくることの方が、よっぽど「迷惑」なのだ。明らかに、自衛隊員は

  • 一発も撃つな

と言われている。彼らがどんなに怖くても、絶対に撃つな、と上司に言われている。なぜなら、もし撃って、地元住民を虐殺してしまったら、もう二度と日本は海外に派兵できないからだ。日本は、こうした場合の、地元民と軍事組織の間を

  • 公平

に裁くための「スキーム」も持たずに、

に、地元の秩序を「壊す」ことを結果としてもたらすことを「分かって」派遣されてきていた、という「化けの皮」がはがされるからだ。安倍は何をしたいんだろうねw きっと、日本の自衛隊員をアメリカの兵隊に「守らせたい」のだろうねw アメリカ軍は「日本に来ないでくれ」って、きっと言っているよ。日本の自衛隊が自分たちの側にいるだけで、アメリカ軍が危険になるから、近くに寄らないでくれと、きっと言ってるよ。日本の自衛隊が、アメリカ軍の側にいるというだけで、アメリカ軍の

  • リスク

なんだよ。

集団的自衛権の行使容認に際して、自衛隊がどこまで出て行っていいかの判断は、これまた結局「その時々の内閣の判断に委ねられる」ことになっており、自衛隊が出ていく範囲に関して一切のしばりがない(何も限定されていない)状態なのです。
つまり、安倍政権が掲げている「限定容認」の真の意味は、「『我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある』と、その時々の政権が "主観的に" 感じた場合に "限定して"、集団的自衛権を行使することを認める」という意味での "限定" にすぎないのです。これは、何かを限定しているなどと言えるような代物でしょうか。

今回の安倍政権を、「反知性主義」内閣と呼ぶことになるのは、こういった部分によく現れているように思われる。今、自民党公明党による、与党過半数の余勢をかって、安倍政権は

  • あらゆること

を実現できる。すべての法律を通すことができる。つまり、日本をファシズムの国にできる。安倍政権によって成立した、特定秘密保護法もそうであったが、いろいろと「主観的」な規定を書くことで、一見すると、なにかを「規制」しているように見えながら

  • なんでもできる
  • なにをやってもいい
  • 独裁者の手を一切縛らない

法律が次々と通っていく。実際のところ、今回の法律で、安倍政権は「なんでも」できることになるのだ。彼らがやりたいことをやれるようになる。もちろん、「侵略戦争」もできる。しかし、そもそも安倍がやりたいことが

  • これ

なのであろう。彼はアメリカと「同じ」になりたいのであろう。そして、今回の法律改正は、そのための一里塚にすぎない。アメリカ並みに、世界中を侵略できる国に日本をしたいのが彼の「野望」なのであって、その野望の達成までは、彼は自らの歩みを一歩も止めない、と言っているわけであろう。そこにたどりつくまで、反抗してくる日本人と「戦う」と言っているわけである...。