戦前の亡霊2

国会で自民党の推薦した憲法学者を含めて、3人の学者が今回の安保法制は「憲法違反」だと言ったわけであるが、そのこと以上に、菅官房長官が「安保法制が合憲だ」と言っている憲法学者

  • たくさん

いる、と言ったのだ。そして、それに対して彼が後に挙げることになった憲法学者は、

  • たったの3人

でしかも全員「日本会議」に関わっていた、というわけであるw
これで、多くの人は「あー(察し」となったわけであるw この結果ほど分かりやすい「フレームアップ」はなかったんではないだろうか。
日本の憲法学者が200人いるとして、そのうち、たったの3人しか、合憲だという人を、菅官房長官は探せなかったし、しかも、その3人が3人、日本会議だった、というわけである。このことが何を意味しているのか、よく分かるのではないか。つまり、

と、世界中の人が不思議に思わざるをえなくなったのではないだろうか。実際、かなりの国会議員が日本会議であるし、内閣自体がそうだという。
私は日本の政治は非常に分かりやすい構造になっていると考えている。

  • 戦後、日本が国際社会に受けいれてもらうために、A級戦犯が、「日本人も彼らの被害者」という形で罪を引き受けてくれた。
  • A級戦犯が、なんの国民的議論もない間に、靖国神社に合祀された。
  • 政治家が靖国神社への参拝を止めない(政治家たちが、靖国神社とのデタッチメントを継続できない)。
  • よって、日本政治は今だに、A級戦犯を「崇拝」している(A級戦犯の行った行為を「正しかった」と考えている)。

国際社会には、日本人「も」、彼らA級戦犯の被害者だということで、戦後、国際社会に日本人は受け入れられた。実際、イタリアやドイツは、ムッソリーニ政権やヒトラー政権を我ら国民の「敵」として、糾弾することを一貫している。ところが、日本はどうしてもこのフレームを維持できない。
次々と、日本国内から「A級戦犯」は悪くない、正しかったんだ、と言い始める人が後を絶たないわけである。そこで、国際社会は困惑し始める。もしも、「A級戦犯」は悪くなかったと言うのなら、じゃあ、誰が悪かったの、ということになるであろう。もう一回、戦後裁判をやり直さなければならない、ということになるであろう。
だとするなら、私は逆に聞きたいわけである。A級戦犯ではない日本人の誰が悪かった、というのだろう。だれが悪いから、こうなったと言うのだろう。リーダーたちは悪くなかったとするなら、だれを裁けばいいというのか。
しかし、おそらくA級戦犯の遺族の人たちも、別の誰かを挙げることはできないのである。彼らは「みんな正しかった」と言うしかないわけである。なぜなら、A級戦犯が悪くないなら、彼らの「リーダー」である天皇が悪かったと言うしかなくなるからだ。
私はそれでもいいんじゃないのか、と思わなくない。いっそのこと、A級戦犯は悪くなかったとして、一切の責任を昭和天皇に押し付けて、天皇制を廃止して、A級戦犯は戦後ものうのうと生き残ればよかったんじゃないのか。
WW2において、あれだけの死者を出した戦争で、誰も責任をとらないなど、ありえないであろ。それに対して、A級戦犯遺族は、A級戦犯は悪くなかったと言うのであろう。だったら、A級戦犯遺族は、天皇には責任があったくらいは言ったらどうなんだろうか。
私のこの問題に対する、究極のポイントは

  • A級戦犯靖国)を、政治家はどうやってデタッチメントできるのか?

に集約していると考えている。これができない限り、この問題がいつまでもむしかえされる。内政からも外交からも。この問題をぬるま湯でお茶を濁し続ける限り、絶対に日本の政治は安定しない。
今回の安保法制の「憲法違反」問題は、典型的な熟議民主主義のテーマであるわけであろう。憲法学者の政治家への問題提起に、政治家たちは、まったく

  • 応答

できていない。というのは、憲法違反を認めることなしには、まともな反論なんてありえないからである。不可能なのだ。しかし、アメリカとの約束があるから、政治家は絶対に憲法学者の理屈を認めることができない。そこで政治家たちがとれる戦略は、徹底して

  • 会話を成立させない

というところにしかない。しらばっくれて、とぼけて、徹底して会話をすれ違い続けさせる(例えば東さんの一般意志2.0が、熟議民主主義を否定するのも、こういった保守主義的な「会話の不成立」を彼なりに正当化したいってだけなんでしょw)。
今回、安倍政権は憲法違反を確信犯として行っているし、このまま、保安を与党多数決で通すまで、しらばっくれることを覚悟している。しかし、それは、上記の

ことを国際社会に認めさせようとする彼らの「戦略」が<不可能でありながら目指される>ことと、非常に似た構造になっているわけである。
彼らだって、A級戦犯は悪くなかったことを国際社会に認めさせることが不可能だということぐらい分かっているわけである。彼らはそんな「綺麗事」に興味はない。彼らがやろうとしていることは、日本の戦後の経済力をとことんまで、世界中にばらまいて

  • バーター

で、世界中の人たちに、この戦前の亡霊たちへの「黙認」を狙っているわけである。それは、東京オリンピックの誘致のために「お・も・て・な・し」と称して、審査員たちを酒女金でたらしこんだのと同様に、世界中の国々が日本が間違っていると「言わせな」ければいいわけである。このために、多くの私たちが汗水たらして稼いだお金を、彼らは気前良く世界中にばらまくことになるであろう。
私はA級戦犯は悪くなかったと思っている人たちは、そもそも、明治からの、中国大陸への侵略も、台湾、朝鮮の植民地化も、満州も悪くなかったと思っている、と思っている。実際に、当時は世界の列強が植民地獲得競争をやっていたのであって、なんで日本だけ文句を言われなければならない、と思っているわけであろう。
そもそも、徳川家康は日本全土を「侵略」したから、江戸の「平和」が続いたのであり、日本列島が海岸線が長く、国土を守るのが難しい構造をしていることから、むしろ、

  • 侵略した方が国土を守りやすい

と考えていたわけであって、自分たちが侵略するのは「しょうがない」と考えていたわけであろう。
だとするなら、今、A級戦犯を「悪くない」と思っている人たちが、どうして「今の日本が周辺国に侵略して悪い」など思うだろうか。その理屈はなんでもいいわけで、周辺の島国が、いつも中国に恫喝されているから

  • 彼らを守るために

日本が、彼らを植民地化して、日本の領土に含めてやる、とかいった「大義名分」を勝手に掲げて、侵略を始める。
まあ、これが「長州暴力革命」だったわけですよね。
そういう意味で、WW2の終戦は、日本にとっては「長州暴力革命の終わり」であり、江戸幕府への回帰だったわけでしょう(内政中心の、国内経済中心の、平和政策だったという意味で)。
これをもう一度、長州暴力革命に戻そうという勢力が、そもそも、なぜ「侵略」やるべきでないと思えるのだろうか。なぜ彼らが、北朝鮮に攻めてはいけない、と思えるであろうか。中国と衝突すべきでないと思えるであろうか。
こういった意味で、彼らは一貫していると言えばいこともないわけである。一方において、A級戦犯が合祀されている靖国に、政治家が参拝して、他方において、日本のすべての憲法学者憲法違反だと言っている法律を与党の多数決で通そうとすることも、彼らにしてみれば、

  • それしかない

という意味では、首尾一貫している。しかし、そうやって次々と戦後の日本の「社会的合意」を彼らが壊していった後に、何が残るのであろうか? そのときにも、日本は日本の体裁を保っているのであろうか。どうしてそんなにも壊されてしまった日本に、私たちがいつまでもしがみついていると思えるだろうか...。