デイヴィッド・フィンケル『帰還兵はなぜ自殺するのか』

WW1のとき、心理学者のフロイトは、塹壕戦を戦った兵士たちがある、心理学的な障害に悩まされている事態に注目するようになる。いわゆる、戦争神経症である。これが、今に繋がるPTSDの研究へと繋がっている。
ベトナム戦争において、多くのアメリカ帰還兵は、アメリカへ帰還した後、故郷で暮らし始めたとき、さまざまな「後遺症」に悩まされている自分に気づき始めた。
なぜ帰還兵は自殺するのか。
いや。この問い自体が間違っているのではないか。人間とは一種の「壊れやすいガラス細工」のようなものと考えればいいのではないか。つまり、ある蓋然性をもって、極端なストレスをかけると、どんな人間も「確率」的に

  • 壊れる

のであって、その境目は曖昧なまでに確率的にしか示すことができない。根本的に、「勇気」だとか「強さ」だとかいった表現は間違っている。「勇気」をどんなに示そうが、「強さ」を蓋然的に示そうが、そのことが

  • 壊れないことを意味しない

わけである。むしろ、そういった表象は、ある意味での、「壊れやすさ」を示唆しているとも考えられる。
この場合、大事なポイントは、どんな人間もこの「壊れやすさ」から逃れることはできない、ということである。

精神衛生の治療を一度も受けていなかった兵士はいるが、厄介なことに半数は治療を受けていら。はきりしたのはわずかな点だった。繰り返し派兵された兵士は自殺しやすい、ということだ。既婚兵士は自殺しにくい。銃とアルコールはよくない組み合わせだ。派兵のあいだに帰郷する回数が多いほうがいい。爆発を経験した兵士で、眠りに就く前に自分の経験を話した兵士のほうが、話さなかった兵士より体調がいい。しかしこうした事柄をいくら説明したところで、パターンがわかるわけではなく、パターンがわかったところで、正しい治療法がわかるわけではない。

彼は自殺しやすい兵を知るもうひとつの手がかりについて述べる。つい最近発見されたことだが、二十代後半で陸軍に入る者は、自殺に至る確率が二十代前半もしくは十代で入る者の三倍になる。「これは直感的なとらえ方とは正反対の結果なので、よく考えてこう自問しなければならない」クァエリは続ける。「彼らは、なぜ二十八、九で陸軍に入ろうと決めたのか。彼らは大変な愛国者、失業者、ふたりの子持ち、医療保険失効者のいずれかであり、いずれにしても人生をもう一度立て直したいと思って入隊する。そうしたストレス要因をすでに携えて入ってくる。それで私たちは彼らにこう言う。やあ諸君、実はだね、きみたちは半年後には戦地に行くんだ、と」

上記の引用はなぜ、徴兵されるのはいつも「子どもたち」なのかを説明する。大人は、自我が完成され、可塑性を失ってくる。つまり、

  • 悟り

を得てしまっているため、自らが夢見た「幻想」を手放せない。つまり、大人は

  • すでに

「ストレス」の塊なのだ。大人は「強い」かもしれない。しかし、そういった「固さ」は、逆に言えば、可塑性を失い、「壊れやすく」なっていることをも意味する。こういった意味では、大人は「戦士」として使えない。
しかし、だからといって子どもが優秀な戦士になるとしても、そのことが「壊れない」ことを少しも意味しない。子どもだとして、彼らがキャッキャウフフで、人殺しに

  • ハイテンション

でいられるのは、非常に狭い期間だと考えられる。

イラクの警察署を占領していたとき」ニックが言う。「ときたまイラクの警察が死体を運んできた。あるとき警官が、死体を二体トラックの荷台に投げ込んで、クソみたいな扱いをして運んできた。そのとき、ちょうど俺たちは派兵されたばかりで、みんなトラックに駆けよって写真を撮った。そのとき、ちょうど俺たちは派兵されたばかりで、みんなトラックに駆けよって写真を撮った。わかるだろ? ひとりの男は首が切断されていて、体は膨らんで糞まみれになっていた。汚水溝の中にずっと置かれていたからだ。それでいま、そのありさまが頭から離れないんだ。でもその当時は、こんなふうだった。うわー、すげえ、こいつはクールだ。俺たちは何を考えていたんだろうな。なぜあんなクソを見たいだなんて思ったんだろうな。なあ?」
「ああ。俺も忘れられないことがある。話せるようなものじゃない。そのときの写真があるんだ」
別の兵士が言った。ある日、骸骨を見つけた。ほとんど白骨化していたが、皮膚が少し残っていた。彼はその必を摘み上げた。「大腿部のあたりだった。それをかじり取ったような格好をしてる自分の写真を撮った。いったい何考えてたんだろうな」
「まったくな」ニックが言う。「俺はハードディスクをぶっ壊したよ。死体やそういったもののそばで撮った写真やなんかが入っていた。恐ろしい。本当に恐ろしい。恐ろしものだ。俺たちは死体と仲良くしてたんだ。あの当時、俺たちはひどい状態だった。最低の卑劣な殺人マシンだった。いまその当時を思い返すと、こう思う。ああ、俺たちは何をやってたんだ? 何を考えてたんだ?」

この時期、確かに彼らは「優秀」かもしれない。しかし、この時期こそ、後に彼ら「子ども」たちが何度も何度も悪夢にうなされる、コンテンツが彼らの心に蓄積される時期だと言うこともできる。
そもそも、なぜPTSDは心を壊していくのだろうか。まず、次の命題を考える必要がある。つまり、PTSDは病気なのだろうか、と。というのは、これは「基本的」にどんな人間に対しても、ほぼ必ず起きる現象なのではないか。だとするなら、これを病気と言うのは違うのではないのか。いわゆる、拷問というもので、ある長期間、拘束し、精神的なストレスをその人に与え続ければ、人間は

  • 壊れる

であろうし、このことは「時間の問題」にすぎない。我慢強い人だろうがなんだろうが、それは相対的な意味にすぎず、逆に、長く我慢をしてしまった人ほど、後の後遺症が甚大に残るとも考えられなくもない。
このことは、どんな金属もいずれはへたってきて、弱くなるといったここと、似ていると言えるのかもしれない。
なぜPTSDに対して、私たち人間は蓋然的に

  • 無力

なのだろうか。

ニックの観るホラー映画。兵士がドアを蹴ったところで、眠っている赤ん坊が映される。そしてグシャッという音、血が飛び散る、そして悲鳴があがる。三回、十回、それ以上観ても、少しも慣れることはない。実際に起きたことも、彼は映画を観るように繰り返し観ている。階段から落ちていく男、彼に喉を掴まれた老人、泣き叫ぶ女、泣いている赤ん坊、ガラスの破片が散らばる毛布。列を作って出ていく兵士。外に出ると、中尉が言う。「ここはターゲットのファッキンな家なんかじゃなかった」
「ファッキンな家を間違えていたんだよ」

「女房にはとても話せない」ニックは妻にすべてを打ち明けてしまいたいと思い、どうすればいいかわかえらなくなって泣き出す。「俺の見ている夢を女房に話したくないんだ。悪夢のことは話したくないんだ。夫が、結婚相手が、人を殺す夢を見ているなんて知ってほしくない。自分がモンスターのような気がする」

若いアメリカ兵士は、自分がなんの罪のない家庭を襲い、幼い赤ん坊を殺して、母親にヒステリックに泣き叫ばれている姿を、

  • 自分の女房

の姿にどうしても「重ねて」しまう。なぜか。そこに概念的なカテゴリーの区別がないからだ。自分がもし、どこかのだれかの、なんの罪のない家庭に、押し入り、幼い赤ん坊を「グシャッ」と殺したなら、どうして

  • 自分の女房

に対して、自分との間の「幼い赤ん坊」に対して同じことをやらないと言えるだろうか。私たちは自分が考えるほど、さまざまな概念的なカテゴリカルな区別を厳格に行うことはできない。そもそも、そんなことは本質的に不可能なのだ。あらゆる、指示的な概念は、常に、その「混同」を本質としている。それは、人間である限り、避けられないのだ...。

帰還兵はなぜ自殺するのか (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ)

帰還兵はなぜ自殺するのか (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ)