日本会議=生長の家の分派

少し前に、自民党憲法改正草案が、いかに恥ずかしいものであって、なぜこんなものをいつまでも自民党は自党の看板に掲げているのか、ということを不思議に思うというようなことを、このブログに書いたが、おそらく今の安保法案への国民的な抗議行動が今一歩その運動の本質に届いていないと思われる部分として、ほとんどの人が、そもそも日本会議なるものがなんなのかを理解していない、というところにその本質がある、と思われるわけである。
なぜ、日本の知識人は日本会議に言及することを避けるのであろうか。というか、なぜ日本のリベラルは日本会議とガチンコでケンカを売らないのであろうか。明らかに、今の安倍政権が日本会議のメンバーで占有され、実質上の一団体の利害当事者の

  • 実働部隊

でしかなくなっていることが分かっているのに、なぜそうなのか。こと、ここに至って、日本の大学の文系学部の徹底した「削減」を運動の目標にまでしてきており、徹底して日本国内からリベラルであり左翼を消滅させようとしてきているのに、なぜその動きと戦おうとしないのであろうか。
こういった動きに対して、例えば、一部の日本の知識人たちが上野千鶴子さんなどの一般的なフェミミズムへのバッシングを行っていた動きなどを見ても、こういった動き(いわゆる、バックラッシュ)をどのように考えたらいいのだろう、というのは疑問に思うわけである。

山口智美 日本会議の事務局レベルの中枢の人たちはわりと特定宗教系の人たちの影響が強かったりするので、やっぱり宗教系価値観って相当大きいと思います。日本会議の事務所と同じところに日本協議会という団体があって、実質上そこのトップの人が事務局をやってらっしゃって、やっぱ、事務局が誰かってこういう団体って、特に巨大団体なので大きいので、むしろ、会長とかなんかよりも事務局の方が大きいかもしれないくらいで、まあ、日本協議会の系統を歴史的にたどると、生長の家の分派のようなところに行き着く、ところがあるので、やっぱ生長の家的な、今の生長の家はまた違う話になって、もう少しリベラル化してるんですけど、昔の生長の家、つまり、70年代からずっと、今で言うリプロ、ようするに妊娠中絶にずっと反対、72年、82年、2回反対して、両方だめで当時の優性保護法から今の母体保護法から、経済的条項はカットできず、彼らにとってそれがもしかしたら唯一、失敗してきた運動かもしれない。だから、リプロなり中絶なり、そういうところへのこだわりがすごく強い人たちが中枢にいるのは確かです。で、そういう人たちがもっている家族観とあと他のさまざまな多様な宗教団体だとか保守団体だとか、共通しているところ、そんなにたくさん共通していないかもしれないけど、でも、コアとして共通しているところ、それはすごくうちだして、そここそが重要と考えているところがあると思います。
VIDEO NEWS夫婦別姓の前に立ちはだかるもの

興味深いのは、インターネットをいろいろ見ても、

として、戦中の軍人たちからも連なるような、「右翼系宗教団体」として続いてきた「生長の家」の今のリベラル路線から分派していった、そういった「右寄り」のコアな人たちと、今の政権を繋げて議論しているものって、以下くらいしか見つからないわけである(以下も、どちらかというと、その関係を示唆しているレベルという感じではあるが)。

問題は、生長の家が政治路線をひた走っていたころに生長の家で育てられた、運動家たちの「今」なのだ。彼らは谷口雅春の教えのまま(そしてそれは今の生長の家で否定されつつある)、いまも生きている。そして、谷口雅春の戦中の考えを、実地に移そうといまだにやってる。
@noiehoie 2015-03-02 21:39:55
宗教右翼(特に生長の家)と自民党 - Togetter

明らかに、自民党憲法改正草案は、「家族」論こそ議論の中心だ。その家族のあり方から、さまざまな憲法改正の意味が決定している。だとするなら、私たちが理解すべきなのは、こういった宗教右派の主張の歴史的文脈なのではないか。ところが、そういった「報道」が一切、世間に流布してくることはない。そうしたまま、安保法制とか、その「動機の帰結」として導かれる末端の議論に終始している。
ようするに言いたいことは、今日本が「カルト」に征服されようとしているのに、日本の文系学問の破壊が進められているのに、日本の文系学者は、なぜかそれに対抗しようとしない。
(特に、なさけないのが、経済学者系のリフレ勢力なのであろう。彼らにとっては、安倍ちゃんは、自分たちの積年の「持論」を実現してくれている唯一のヒーローになっているので、何も言わない。原発推進にしても、リニア新幹線にしても、新国立競技場にしても(驚くべきは、有識者によれば、オリンピックの競技場なのだから、当然天然芝で、ということは開閉式の屋根でなければならず、その場合にこの屋根の材質の関係があり日本の消防法では、ザハ案はそもそも最初から絶対に作れなかった、というわけである。そして、「公式」にさえ、東京オリンピックに屋根は間に合わないことを認めちゃっているというのだから、なんのために作ると言っているのか。私なんかはこのザハ案に賛成をした知識人は全員、土下座して謝るべきだと思うんだけど、どうせ彼らはやらないんだよねw)、昔の公共事業の走りだしたら止まらないが再現しているのに、まったく批判すらできない。)
自分たち文系学者が国家によって危機的状況に追いこまれているのに、そうなっても、国家と戦おうとしない。自分たちの得意な、文系学問、フィールドワーク、調査報道、で戦おうとしない。じゃあ、滅びるだけじゃね、としか思えないわけであろう。敵を知って己れを知れば危うからず、ではないけど、誰も生長の家の分派とか知らないんじゃない。知ってても言わないんじゃない。それじゃあ、滅びるよね。そして、日本のフェミニズムをくさすようなことを言っていて、政権に阿っているんだからw