武井弘一『江戸日本の転換点』

一方において、江戸時代が素晴しかったと言うと、当時の封建制的身分差別を理由に、明治政府の方がずっとましという理由で、明治政府を正当化する(まあ、現在まで連なる政権ですから、これって自分たちの政権の正当化なんでしょうが)。この場合に考えられているのが、一種の「成長」ということで、つまりは

  • 進歩(=進化)

は素晴しいと言い換えているにすぎない。
しかし、そういうことで言うなら、江戸幕府の政治が「成長」していなかったと言いたいのだろうか? まあ、彼らの口ぶりから察するなら、江戸幕府から明治政府への移行は一種の「成長」なのだから、江戸幕府がダメは前提なのであろう。
他方において、この前も「なぜ国家は滅びるのか」という本があったが、ある長いスパンで考えたとき、多くの国家は滅びる。じゃあ、ここで言っていた「成長」ってなんだったんだろうね、という不思議な感覚になる。短期的な視点において、成長は素晴しい。成長こそが、社会の維持可能性を担保するものだ、と言ってきたはずなのに、中期的な時間のスパンで歴史学者が考えると、なぜか、国家はことごとく滅びる、という話になる。
なんか矛盾していないだろうか?
原発にしろもんじゅにしろリニア新幹線にしろ、辺野古基地にしろ、国立競技場にしろ、国家が「やる」と一度言ったことを、どうしてもひっこめられない。そんなお金があったら、国民の福祉に回したら、というのは誰もが思うことで、つまりは、国立大学の文系を減らして、その分を国立競技場の維持費に回そうとか考えているのであろう。

銭の輸入先である明(中国)では、日本から銀が輸入されたこともあり、基準通貨が銭から銀へ移行し始め、銭の発行・流通が不安定となった。これに追い打ちをかけたのが南米産の銀である。元亀二年(一五七一)、スペインがメキシコ - フィリピン間に定期航路をひらくと、世界最大の銀産地となった南米から明へ、銀が集中的に流入した。その結果、日本へ銭を輸入していた拠点である明の福建地方が銀経済圏になってしまい、これにより日本への銭の供給が途絶えてしまったのである。貫高から石高への転換が生じたのも、この頃だという。

江戸時代を特徴付ける性質として、まっさきに考えなければならないことは、幕府の税金徴収方法として、米の生産高が使われたことであった。このことは、世界でも非常に珍しいというだけでなく、江戸時代そのものの性質を決定的にしていた。
どういうことか。
まず、税金が米の生産高だったということは、ようするに、税収を上げる手段として、米の生産高を上げればいい、ということを意味している。各地方が地元の「税収」を上げて、支配階級である武士たちが「豊かな生活」をする手段は、唯一、米の生産高を上げることと直結していた。
しかし、このことは日本の企業がバブル崩壊以降、

  • 節約

つまり、社員への給料の削減によって、会社の維持を優先したことと似ている。ようするに、

  • 少しの無駄も許さない

というわけである。

江戸時代では、ヒトと自然とが調和し、資源の再利用が実現した循環型の社会づくりは、深層では達成きていなかった。では、社会の根幹であたはずの水田での稲作は、そもそも循環型え持続可能な農業生産だったのか。そのあたりの実情を、又三郎は過去と現在とを比べてこう話す。

古ハ人少々、田地余リ有所ハ年々に地をかへ、或ハ一両年も地を息め置て作りし事有と云り、糞養おろそかにても能実りて、秋のやしなひ乏しからず

古くは人口が少なかったので、田地は場所が余っていれば、毎年のように土地を替え、あるいは一、二年ほど土地を休めておいて作付けることができたという。田地に入れる肥やしが不足しても作物はよく実り、秋の成長も充分であった、と。
まだ土地が余っていた開発期の十七世紀には、地所が衰えれば、余っている土地を使うか、土地を休ませて地所の回復を待つかすればよかた。しかし、又三郎は、農業経営の現状を次のように危惧していた。

今ハ後の損を不考、唯当分多く取を諸国の農人常に思ふと見へたり、当世国々所々古へより人多く養也、是に依て無理に多く田畠より五穀を取上る事是未世、自然の定法なりと見へたり

現在はのちの損を考えず、たださしあたって多く収穫することを、諸国の百姓は常に考えているように見える。近頃は、全国各地で昔より多くの人口を養うようになった。これによって無理に田畠から多くの五穀を収穫すれば、後に勢いが衰えていくのは自然のなりゆきに見える、と。
今の世では、人口が増えて、食料の消費も際限がない。新たに開墾できる土地も少ないので、同じ耕地を使い続け、食料を供給していかなければならない。それにもかかわらず、百姓は後々のことを考えず、目先の利益をなるべく多く得ようとする。このまま無理に耕作を進めれば地力が衰えてしまい、いずれは農業も必ず廃れていくというのだ。

江戸時代は、初期の「牧歌的な農業」時代と、中期の「緑の革命」時代と、後期の「農業崩壊」時代に分かれる、と言えるであろう。初期の牧歌的な時代には、まだ、多くの土地にバッファーがあった。だから、焼畑農業で、ある地域が使い捨てられても、周辺の地域に逃げればよかった。この時代は、そういう意味で社会に余裕があった。
ところが、中期になると、国家官僚は「まだ余裕があるじゃん」と言って、農地の拡大政策を進めるようになる。農民たちは、そうすることを「たたりが起きる」と言って、忌み嫌っていたが、国家官僚はフリーライダーとして、短期的な利益にしか興味がなかった。自分が生きている間に、自分の利益さえ最大化できれば、あとは

  • どうなってもいい

という連中が、この社会の「秩序」を破壊していった。事実、彼らの短期的利益拡大政策は、短期的のここ何年かの間であれば、実際に儲かったわけである。
ところが、である。
田畑の最大化は、さまざまな長期的な、この地域のバッファーをなくしていくことを結果し、やがて、すべてが悪循環にはまっていく。森を切り、畑にしたことで、森の治水機能はなくなり、肥沃な土地は洪水で流され、砂漠となる。畑が広くなりすぎて、農薬不足、水不足となり、農地として広げた土地だけでなく「全て」の土地が、農地に適さない環境へと変わっていく。
もちろんこう言うと、「でも現代農業は、その困難を克服したんでしょ」と言うかもしれない。
しかし、そうだろうか。
現代農業は、農薬、科学肥料、殺虫剤、品種改良、遺伝子改良などによって、一見すると、上記の江戸時代の困難が克服されているように思われる。しかし、実際は、その多くを海外の輸入に頼っているわけで(もちろん、海外の遠くから運ぶということは、ポストハーベストなどの、強烈な殺虫剤が、特別に、海外からの輸入食品では許される、ということになる)、それだけでなく、日本の農業だって、環境問題などによって、本当に持続可能なものなのかは怪しいと言わざるをえないであろう(環境問題は、どこか、この社会を「実験」のようにして、実践によって証明していかなければならないところが、どこかある)。
私が言いたかったのは、ここで言う「成長」というもののうさんくささ、だと言っていい。成長万歳は結構であるが、じゃあ、なぜ短期的に成長する国家は、ことごとく、中期的には滅びることになるのか。
なにが悪いのか?
このことを考えない「成長礼賛」はありえないであろう。私にはどうしても、辺野古基地や原発もんじゅや国立競技場が、上記の江戸時代の「緑の革命」であり、まさにバベルの塔にしか思えない。まさに、滅びの象徴にしか思えないわけである...。

江戸日本の転換点 水田の激増は何をもたらしたか (NHKブックス)

江戸日本の転換点 水田の激増は何をもたらしたか (NHKブックス)