下重暁子『家族という病』

今回の安倍政権の安保法制の強行採決を、他の法律の強行採決と同じように考えてはいけない。自民党にとって、なぜこの法律の強行採決がどうしても行わなければならないのかは、非常によく考えられて行われている。彼らは馬鹿じゃない。例えば、衆議院参議院の選挙は一年先であり、当分行われることはない。彼らの考えでは、それまでの間に、国民が喜ぶような政策を行えさえすれば、国民の

  • ご機嫌

が直り、選挙の時期にはリカバリー可能だと考えている。ではなぜ、この法律だけは特別なのか?
自民党が考えていることは何か?

幼い頃、父は一種の憧れだった。陸軍の将校だったせいで、毎朝馬が迎えに来た。父は軍服で長靴をはき、ひらりとマントをひるがえして馬に乗って出かけていった。私は毎朝母に抱かれ、馬ににんじんをやりながら父を見送った。
敗戦になり、父は落ちた偶像となった。もともと画家志望だったのだが、軍人の家の長男で、陸軍幼年学校、陸軍士官学校とエリートコースを歩むことを強要される何度もぬけ出しては、絵の学校に通い、そのたびに水を張った洗面器を持って廊下に立たされ、ついに諦める。なぜ諦めたのか。そんなに好きなら家出をしてでもその道を歩むべきなのに......。
自分の書斎をアトリエに、ひまさえあれば油絵を描き、中国の旅順やハルピンに赴任中は、風景のデッサンを送ってきた。敗戦後は二度と戦争はごめんだと言いながら、その後日本が力をつけ、右傾化するにつれ、かつて教育された考え方に戻っていくことが、私には許せなかった。

私の家でも、親子の間の確執は大きかった。父は戦後公職追放になったイライラを抑え切れず、母に手を上げることもあった。
私は出来るだけ父と顔を合わせぬことで衝突を避けた。中学生だった兄は、反抗期も手伝って、ついに正面から衝突する破目になった。
ある日学校から帰宅すると、座敷から父と兄の怒号が聞こえ、母の哀願する声も混じっていた。そっと近寄ると、男二人がつかみ合い、母がそれを止めるため二人を分けようとしていた。
父と兄はお互い全く相手の言うことを受け入れず、あわやという場面もあり、もしあの時近くに凶器があたらどうなっていたか。事件が起きていても全く不思議はない状況だった。母の必死の執り成しで二人は離れたが、その時父の平手打ちで母の鼓膜は破れてしまった。正直いって恐かった。それを機に兄は、東京にいる祖父母のもとから学校に通うようになり、父と離れることになってことなきを得た。

私は、今の自民党の安保法制の強行採決を考えるとき、戦前の軍隊の指導部が実際、なんだったのか。彼らが戦後、解散させられ、その後、何をしていたのか。何を考えていたのか、こういったことが非常に重要だと考えている。
明らかに、自民党が考えているのは、

  • 戦前の軍隊の指導部の<復活>

であるわけだが、多くの人には、それが一体何を意味しているのかが分かっていないのだ。自民党が今、こだわっている集団的自衛権の行使とは、つまりは、憲法第9条の有名無実化を意味している。つまり、そうすることによって、

のである。この、自衛隊を「軍隊」にする、ということが、あらゆる意味で、自民党にとって重要なのである。
なぜか?
それは、「戦前」の政治構造が、この<軍隊の存在>によって、成立していたからなのである。
日本の政治は、二つの権力構造によって、成立していた。

  • 顕教 ... 国会、内閣、裁判所
  • 密教 ... 陸軍、海軍

前者は表向きの意思決定機関でしかなく、さまざまな政治の場面で、後者が前者を「脅迫」する形で、日本の政治は進んできた。戦前、一見すると「国民は平等」であった。ところが、後者の密教の政治が稼動する場面では、軍人や軍人に連なる権力者たちが、実際は、

  • 国民を脅迫する

ことによって、国内の意思決定を動かしていた。
それは、明治維新が、長州藩の軍人による、「内戦」による、天下統一によって成立していたことからも分かる。密教において、「人権」や「平等」といった掛け声は、軍人たちの「力による圧政」によって、握り潰されていた。
社会契約論には、一つの欠陥がある。それは、リバイアサンが「力の集約」によって、無限の権力の源泉を握ってしまうところにある。この力の源泉を握っている限り、軍人たちは、そもそも、国民をいくらでも好きなように蹂躙することができた。近年、従軍慰安婦の話が話題となるが、あれで連れられて行ったのは、朝鮮人だけではない。日本人の女性であっても、そうすることは容易であった。それだけ、軍人には絶対の「権力」が与えられた。
自民党が考えていることは、北朝鮮と同じように

だと言える。それは、今の安倍政権がベトナムと友好関係にあることからも分かるし、むしろ、東アジアや東南アジアの国々では、クーデターによる「軍隊」が実質的な政治権力を握っているところが多い。
先軍政治の特徴は、国民は平等ではない、というところにある。国民の中でも、陸軍の将校、海軍の将校は、一番えらいし、権力がある。次に、陸軍の兵隊、海軍の兵隊は、二番目の権力がある。最後に、その他の国民に権力が与えられる、という形になる。もちろん、顕教においては、国民平等を掛け声にしている。しかし、実際に暴力を実行する権力をもっているという時点で、彼ら軍人は、実際に国民にその暴力を振うことで、どんな欲望もかなえるわけである。
確かに、顕教において、戦前は日本で一番偉いのは天皇であった。しかし、別に天皇が武器で国民を脅すわけではない。そういう意味で、軍人たちは天皇を馬鹿にしていた。天皇はなにもできない。そういう意味で、軍人こそ、日本の

  • 全て

を支配していた。軍人たちの「圧倒的」な権力こそが、戦前の日本の本質であった。
私たちは、自民党が戦前の何を元に戻そうとしているのかを、よくよく考える必要がある。例えば、戦前においては、そもそも国民は平等ではなかった。それは、戦前の軍隊が、一般の国民に対して、非対称な権力をもっていたというだけではなく、

  • 家族

の中に非対称性があった。つまり、

  • 家長=父親

の絶対的な権力(=強制力)である。父親は、いくらでも子どもや母親を殴ることができた。むしろ、そうすることを

  • 国家権力

によって「守られていた」わけである。日本において、家族とは、こういった「表象」を意味する。
分かるであろうか?
自民党が目指しているのは、この「非人権」的な家長(=父親)の権力の「復活」である、ということを。自民党がやりたいのは、こういった

  • 家長...父親
  • その他の家族...母親、子どもたち

の二つの間に、「人権の階級」を作ることである。そして、それを可能にするのが、「自衛隊を軍隊に変える」ことによる、

  • 軍人
  • その他の国民

の二つの間に、「人権の階級」を作ることによって、であることが分かるであろう。この比喩は、

  • 軍の指導部
  • 軍の一般の兵隊

の二つの間に、「人権の階級」を作ることと同型であり、

の二つの間に、「人権の階級」を作ることと同型になる。
大事なことは、こういった「平等な人権」という顕教的なルールを、密教の「力による人権や平等思想の破壊」を実質的なルールに変えていく「戦前回帰」だということが分かるであろう...。

家族という病 (幻冬舎新書)

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