「トモダチ=同盟」の危険さ

日本の保守派の特徴は、なんだろうか? おそらくそれを一言で言うなら、

  • 友達

というところにあるのではないだろうか。それは戦前の軍隊においても同じで、あらゆることがこの「友達関係」の延長で考えられているため、原則論として、どういった最低限のマナーが守られなければならないのか、といった議論にならない。つまり、最初から「信頼」を前提とした諸関係の網が張り巡らされていて、そのことの前提が問われることがない。
では、ここで言う「友達」とはなんだろうか? これがカール・シュミットの言う「友敵理論」なわけである。友達とは「なんでも話せる仲」ということである。なんでも話せるということは、それを話しても、相手は「反論をしてこない」ということである。それを話すことが、相手が

  • 敵認定をする

ことのトリガーにならないわけである。しかし言うまでもなく「なんでも」話すという場合のこの「なんでも」は、本当の意味での「なんでも」ではない。それを「話す」人にとっての「なんでも」であって、もっと言えば、その人にとって、慣習的に

  • 自明

であることの「なんでも」という意味であって、言うまでもなく、彼らが「敵」だと思っている連中のイデオロギーを話すということではないわけである。しかし、そういった「慣習」をもっていない人たちにとっては、そもそも、そういったことを話すことを自ら行うトリガーがないわけであるから、そもそもそういったものが「なんでも」の中に入っていない。間違っても、そんなことを話し始める慣習がなければ、それはないのと同じなのだ。
現政権を代表するような親米保守は、アメリカは「友達」なのだから、どうして友達を裏切るような、集団的自衛権を日本が行使しないというようなことがありうるのかが理解できない。それは

  • 友達を裏切る行為

なのだから、集団的自衛権を行わないという選択自体がありえない、ということになる。この場合、何が問われているのか? つまり、集団的自衛権がなぜ日本の憲法で禁止されているのかは、日本の憲法すべてを読めば自明なように、それは、日本の憲法が、

  • 集団的安全保障論

の理念に基いて記述されているから、この理念の否定なしに、そもそもそういった発想を行うことが、日本の憲法を分かっていない、ということを意味しているからである、と言えるであろう。
なぜ、第一次世界大戦第二次世界大戦の両大戦は起きてしまったのか。それは「同盟」論に原因があった。シュミットの「友敵理論」も、基本的には、国家間の同盟のことを言っていた。そして、今の安倍政権が目指しているのも、この「同盟レジーム」という

  • 戦前の発想

をもう一度、日本の基本的な国家姿勢として再定義を狙っている。言うまでもなく、それが今の日本の「中国・北朝鮮=敵」論の基本レジームになっていることが分かるであろう。
他方において、そもそもこの国連の理念に通じ、今の日本の憲法の理念ともなっている「集団的安全保障」レジームは、そういった

  • 友敵=同盟

のレジームを「否定」するところから始まっている。はっきり言ってしまえば、「敵」とか「友」という考えを否定しているわけである。あくまでも「広域的秩序」なのだ。「広がり」の中に、

  • 紛争

があるのであって、その中の「だれか」が仲間であったり敵であったりということではない。それは、国家の中において、「基本的平等権」がそうであるように、だれかを「有利」にして、だれかを「不利」にするように、国民それぞれの間に差別をしていないことと同様に。この場合の「敵」と呼ばれる相手とは、あくまでも、

  • この広域的秩序に「逸脱」したテンポラリーな行為

に対する呼称にすぎず、むしろそれは「存在」や「状態」ではなく「行為」に対して呼ばれているに過ぎない。
このように考えたとき、そもそも、日米安全保障条約が「日米同盟のわけがない」わけである。なぜなら、そういった「同盟(=友敵レジーム)」は、日本の憲法が「禁止」しているのだから。それは、一見矛盾しているように聞こえるかもしれないが、あくまでも

  • 二国間の集団的安全保障

を意味しているにすぎなかった。
(たとえば、東浩紀さんが提案していたゲンロン憲法草案というのがあったが、この草案では、自衛隊は軍隊になっている。では、この憲法は、今の憲法における、集団的安全保障レジームを放棄しているのであろうか? おそらく、そもそもこの憲法を提案している時点で彼らはそのことを、ほとんど考えていない。考えることなく、戦前の「同盟国レジーム」の延長で、

  • 戦前には「普通」であった

なにかを感覚的に「復古」している。素人の憲法議論の危険さが、ここにもあらわれている、と言えるであろう。)
しかし、例えば、今、アメリカを中心にして進められている、対IS用の「有志連合」がそうであるように、アメリカもより「同盟」的な考えに、共和党政権時代のブッシュ・ジュニアの頃から、露骨になってきている。つまり、国連を使わずに、国連という意志決定機関を介すことなく、

  • アメリカの下に集まった「有志」のトモダチ

たちと一緒になって、彼ら「だけ」で、この世界を「支配」することを野望するようになってきている。
今の安倍政権は、この状況に敏感に反応している。つまり、

  • 日米同盟(=「日米というトモダチによる<世界支配>」)

という「友敵レジーム」に非常に魅かれて、その関係をより「はっきり」とした理念として打ち出したい、と考えているわけである。
しかし、言うまでもなく、この場合に大事なことは「日本とアメリカがトモダチ」ならば、日本は場合によっては、

世界支配をできる、ということを意味するのであって、このことが事実上の安倍政権にとっての

の一種になっていると解釈されていると考えることもできるわけである。このレジームを「意味のある」ものにするためには、次の二つの条件が満たされなければならない:

  • アメリカが事実上、世界征服をしている(それくらいの事実上の軍事力の突出した巨大さと、その裏打ちによる、世界中の国のどこも、アメリカには逆らえない属国関係が成立している)。
  • アメリカは絶対に「日本」以外の国とは「同盟=トモダチ」になってはならない(特に、象徴的なのが、中国・北朝鮮アメリカの関係が決して「日本並み」になってはならない、ということ。なぜなら、それでは「敵」がいなくなってしまうため)。

安倍政権が考えていることは、この「理想的なアメリカ」を媒介することによる、

  • 世界征服

だと言えるであろう。いや。もう少し正確に言うなら、「日本とアメリカがトモダチ」というのは仮のもの、「嘘」でもいいわけである。安倍政権が考える野望は、この日本とアメリカの「トモダチ」という関係の維持が

  • 一つのバーター

として機能することなのだ。つまり、安倍政権は「普通にしているならば、絶対に世界中から認めてもらえない」なにかを

  • 公然とやりたい

と考えている。しかし問題はそれをどうやって世界中に認めさせるのか、ということになる。そこで、重要視される手段として「アメリカ」が存在するわけである。安倍政権はどうしてもアメリカが「トモダチ」でなければならない。つまり、そうでもなければ、世界中の国々から袋叩きにあうことを覚悟しなければならないようなことが「やりたくてやりたくてしょうがない」わけである。

  • A級戦犯の名誉回復
  • 戦前の日本の行為の「正当化」
  • 戦前の皇軍の復活
  • 戦後の「政教分離」の破棄による戦前の皇国教育の復活
  • 貴族制の復活、普通選挙の破棄

言うまでもなく、A級戦犯はWW2の「敵」である。上記の「集団的安全保障レジーム」でいえば、世界の広域的秩序の「破壊」を野望した

  • 逸脱行為勢力

だということになる。しかし、安倍政権はどうしても、「彼らは正しい」ということが言いたくて言いたくてしょうがない。今ある世界の「価値観」を覆したい。
しかし、ここに彼らも意識していないような「矛盾」があるわけである。
なぜ、この名誉回復ができないのか。それは「同盟」という考え方にすでに含意されている。WW1とWW2の反省は、

  • 同盟(=友敵理論)を認める限り、世界戦争は避けられず、世界が「滅びる」

という認識の上に成立している。今の世界秩序であり、各国の政治体制の「正当化」は、これらの認識の共有の上に成り立っている。そうである限り、この認識を否定するような行為を、どこの政府もできない、ということに尽きている。A級戦犯の行った最も罪深い行為は、

なのだ。これがある限り、A級戦犯の名誉回復はありえない。それくらい「同盟」は、世界を滅ぼす「危険」な考えなのだ。よく考えてほしい。日本は、確かに、ナチスが行ったユダヤ人抹殺に直接は関与していない。しかし、そうだろうか? 同盟とは

  • トモダチ

のことなのだ。自分たちの「仲間」がやったことなのだ。ということは、どうしてその行為を「認めた」と同値でないと言えるであろうか。もちろん、口先で言うことは簡単である。しかし、実際の事実行為として、「それ(=日独伊三国同盟)によって」ナチスユダヤ人虐殺行為を「行えること」ができたのだから、そんなに簡単に区別できないわけである。
戦後の世界体制は、こういった「同盟」的な世界秩序を否定するところから始まっているわけである。
今の安倍政権の特徴は、この同盟概念に対する、世界中からの「警戒感」をまったくナイーブに共有できていないところにある。安倍総理と麻生副総理が一貫して言っていることは

である。この友敵理論である。世界中が安倍政権を「警戒」しているのは、彼らのこの「同盟=友敵理論」を自明の前提にして、国際社会で発言し続けている「異様=危険」さにあるわけである...。