新国立競技場新問題

新国立競技場は、安倍首相の「白紙に戻す」という発言を受けて、ザハ・ハディドのデザイナーとしての契約を解除して、もう一度、コンペから行うことになり、A案とB案のうちの、A案が採択された、ということになっていた。
ところが、ザハ・ハディド側がA案は自分が作ったデザインに似ている、として、著作権において裁判で争う姿勢も示している。ザハ・ハディド側がJSCに違約金を払う代償として、著作権の譲渡を求められたと言っているわけで、普通に考えて、この行動は、なんらかの後ろ暗い動機をもっている、というふうに勘繰られてもしょうがない態度なわけであろう。
ザハ・ハディド自身は、世界的な知名度もあり、お金も十分にあるわけで、失うものもないわけだろうし、これは「正義」の問題として、正論を言っているだけなのであろう。
問題は、A案が採用された経緯なのであろう。

さて、なぜそのような類似が生まれたのか--。ここからは推測になるが、またろ氏は大成建設側に「そうせざるを得ない理由があった」と見る。もし「ザハ案の多角形の角度、長さに合わせて鉄骨を先行発注していた」(またろ氏)ならば、それを活かすことは自然な話だ。それをキャンセルせずに使えれば費用の無駄も発生せず、工期的にも有利となるからだ。
今回の新国立競技場は鉄鋼市況さえ動かしかねないビッグプロジェクト。鉄骨の発注をキャンセルすれば巨額の違約金が発生し、数か月後にすぐ再注文したとしても、製造ラインが埋まって受けてもらえないリスクがある。またろ氏は大成建設が「昨年の7月か8月に(ザハ案の消滅を)言われたときにキャンセルを出さず、会社としてリスクを取ったのではないか」と推測する。
隈・大成案は最大の評価ポイントである「コスト・工期」に関する評価で伊東案を圧倒し、今回のコンペを制した。つまりザハ案の蓄積と"先行発注の利"を生かしたことが、勝利の要因となった可能性が高い。
伊東案に参加した竹中工務店は東京ドーム、最近ならガンバ大阪の新スタジアムなどでスタジアムの施工実績が豊富。今回の案も"よりスポーツ的"なスタジアム案を出したと評価する専門家が多い。しかし再コンペでは"確実に作る"ことが優先された。
両案の類似点は専門家が見れば明らかで、ザハ・ハディッド氏の事務所も「私たちが2年間かけて作り上げたスタジアムのレイアウトや座席の形状が似ている」と声明を出している。ザハ氏側が今後どういう主張を展開していくかは不透明だが、例えば工事停止の仮処分申請を認めたならば、開会式までのスタジアム完成が不可能になりかねない。可能性として、ゼロではない。
またろ氏は「設計の知的財産権がどこまで及ぶかという裁判は今までもあったが、簡単には認められない」とも説明する。むしろ今回のケースで問題になるのは知的財産権より契約書の内容であり、契約違反ではないかと見る。建設会社は複数の主体が組んで一つのプロジェクトを進めることが多く、その場合は設計の図面を共有することになる。協業時の取り決めは建設会社にとってのイロハのイで「情報、CADデータの使用許諾について何らかのペーパーが(ザハ事務所と大成建設の契約書に)必ず付いている」(またろ氏)はずだ。ただその場が日本の法廷となるか、国際機関になるかは分からないが、係争は発生するだろう。
現時点で考え得るベターな方向性は、両者が平和裏に協議を行い、一致点を見出すことだ。またろ氏も「ザハ氏の知的財産権を認めて、クレジットに名前を残して、そのためのフィーを払う。そこが落としどころになればハッピー」と述べる。
ザハ事務所は2年間に渡って新国立競技場の設計作業に取り組み、コスト削減の腹案も準備していた中で、強引に排除された。日本側のザハ事務所に対する扱いは「ドライな欧米の商習慣に照らし合わせても失礼」(またろ氏)なもので、加えて今回は"コピペ騒動"が浮上している。ザハ氏側の知的財産権と名誉の両面が損なわれているとなれば、それを回復させる措置が必要だ。
新国立競技場の設計案は“コピペ”なのか?(大島和人) - 個人 - Yahoo!ニュース

こうやって見てみると、ある「ストーリー」が浮かび上がってくる。
なぜ、安倍首相は「白紙撤回」と言ったのだろうか? おそらく、前のザハ・ハディドのデザインには大きな問題があった。つまり、オリンピックに間に合わないか、実際に、あの場所に作れないか。おそらく、それがあのような大幅な当初の予算から離れた建設費の高騰になってしまった。
そこで、前コンペでのザハのデザインのダウングレードを模索している中で、あまりにダウングレードして、コンペの案から離れすぎると、なんのために、この場所に建てるのかが分からなくなるような、凡庸なものになりかねない。
そこで、安倍首相と官邸の一味は一計を案じた。世間的には、一からコンペを行うことで、比較的安価で、この場所にふさわしいデザインで再出発を行うという様相を示すが、しかし、その場合に、なんとかして、旧デザインですでに発注を行ってしまっていた建築資材を使い回すことで、なんとかして「無駄」をなくしたい。
余計なお金をかけたくない、というわけである。
つまり、最初からザハと一緒に、新国立競技場の観客席の作成に関わっていた大成建設が「必ず勝つ」ようなデキレースにした。
ところが、この裏書きに、一人異議を唱えたのが、当事者のザハ・ハディドであった。すでに買ってしまっていた、建築資材を使い回すためには、この

  • 観客席の「構造」

は基本的に、ザハ・ハディドのデザインを踏襲する以外にありえなかった。
ここまで話してきて、なにか似ているな、と思わなかったであろうか。そうである。佐野研二郎がデザインした東京五輪のエンブレムとまったく同じ構造だ、ということなのだ。
隈研吾は、自分のようなデザイナーが大成建設に今回、声をかけてもらえたことに感謝をしているが、ということは、別に自分から、大成建設に相談したわけではない、ということなのであろう。彼にとって、そもそもの、この仕事の「トリガー」は、大成建設からの依頼であって、当然そうなれば、相手側の主導権で全てが進むことになる。隈研吾は一種の「サラリーマン・デザイナー」として、仕事を「もらう」関係で、デザインを行うことになったわけで、当然そこには、なんらかの「規制」があったわけで、この事情は、佐野研二郎も変わらない。
二人が言っていることは、まったく一緒で、

  • 私は「自分が自由にできる範囲」で誠実に仕事をした

ということであって、その範疇を超える部分は自分の範疇ではないという、まさに、3・11の原発事故で醜態をさらした御用学者と同じ「立場主義」だったわけである。
おそらく、佐野パクも隈パクも、口が裂けても、自分から「パクリました」と言えない。それは、サラリーマンが会社に損害を与えられないのと同じで、すでに、彼らはそれを含んで、自らが契約している会社と「手打ち」をしているから、なのである。
しかし、この二つの経緯が非常に似ているのは、そういったこの業界の「慣習」では測れない事態をもたらすのが、このイベントが

という、日本の文脈において、非常に特殊に重要だと国民に思われている行事だからであり、国民の「正義感」が炎上するからなのである。汚ない慣習で高価なものを作っても、国民は「応援」をしない。なにか穢らわしいものでもあるかのように扱い始める。厭世感が漂ってくる...。