日本経済の論点

今週の、videonews.com での議論を考えて、日本の、高度経済成長期以降の経済構造を考えたとき、結局のところ、どういうことなのか、と思うわけである。どこにポイントがあるのか。どこが、国民の選択のキーなのだろうか?

  1. 日本の経済構造は、バブル崩壊以降の「がまの口」と呼ばれる「借金体質」であることは間違いないと思う。
  2. なぜこのような事態になったのかを考えると、バブル期から続く所得税を中心とした「金持ち減税」が、ちょうど、その分の「税収不足」に対応している。つまり、金持ち減税をやらないでいたら、今の借金のほとんどがまぬがれていた。
  3. ではなぜ、金持ち減税を行ったのかということになるが、レーガン大統領の頃から続く、「アメリカに見習え」で、そうしないと企業の社長などのモチベーションを「アメリカ並み」に与えられないから、国力が落ちるのではないか、と考えられたから。
  4. 将来的なトレンドとしては、間違いなく、老人福祉の支出が何十年に渡って増加することが目に見えている。
  5. それに対して、バブル以降、日本は「消費税」の増税を行ってきた。近年の「消費税」の増税は、福祉の財源に対する「目的税」とすることを政府は大義名分としている。ということは、どういうことかというと、ようするに、ここでの消費税は、上記の「金持ち減税」による税収不足の穴埋めを行うお金ではない、ということになる。

これが、日本という国である。
なにかが「おかしい」と思わないでしょうか?
そうです。なぜ政府は「お金持ち減税」について、「財源論」をやっていないのでしょうか? 今、消費税を8%から10%に上げる問題が議論されている中で、軽減税率の品目の議論がおこなわれました。しかし、その場合、その軽減税率分の「財源」を何にするのか、が議論されています。
だったら、なぜ「お金持ち減税」については、「財源論」をやらないのでしょうか。お金持ちを減税したなら、その分のお金は、別のだれかから、むしりとるしかありません。それはだれでしょう? お金持ちからとらない、と決めたのですから、あとは、貧乏人しかいませんよね。
ところが、日本の政府はそれができなかったわけです。国民に、金持ちの税金を少なくして、その分を、貧乏人から取ります、と言えなかったわけである。
だから、どうしたか? お金持ちの減税分を「借金」でまかなうことに決めたわけです。つまり、「将来世代」の「つけ」にしたわけです。
例えば、今は「福祉目的税」とされている「消費税」は逆進性がありますから、結果として、「お金持ち優遇」で「貧乏人増税」となっているわけですから、消費税増税路線は、さらなる「お金持ち優遇」政策であることが分かるのではないでしょうか。
ここで、「経済成長」の議論をしておきましょう。

  1. 確かに、経済成長が起きれば、上記の問題を全て解決する。しかし、これからの未来において、洗濯機やエアコンのような「経済成長」が起きるのかは怪しい。というのは、IT社会が象徴するように、あるイノベーションで一部にテクノロジーによる「快適さ」が普及しても、その反面として、雇用の減少などが起きて、結局のところ、GDP上はペイペイで終わるのではないか、と思われる。
  2. 中国などの近年成長してきた発展途上国は別としても、先進国と呼ばれてきたような日本や欧米の国々は軒並み低成長がトレンドとなっている。
  3. そもそも先進国はどこも人口減少と高齢化がトレンドなわけで、労働力人口が減るのだから、当然、GDPとは全人口分の足し合わせなのだから、間違いなく、GDPは減っていく。実際、先進国の人口一人当たりのGDPは、それなりに増えてはいるわけで、そう考えるなら、今の「低成長」が、実際のところは、「いいバランス」にあるのではないか、と考えることもできる。
  4. もちろん、将来。なにか画期的な「イノベーション」によって、ものすごい経済成長をするのかもしれないが、そうだとしても、それは「ギャンブル」なわけで、ギャンブルで政治決定をすることは合理的ではない。

ここまでの議論を整理するなら、まず、一つの「問題点」が考えられます。

  • 日本の大衆的な議論として、「お金持ち減税」が「合意」されたことがあるのか?

言うまでもなく、お金持ちを減税すれば、その「財源」は、貧乏人から取るしかありません。これを、一体、日本人は「いつ」合意したというのでしょうか? 本当にこの政策は、国民の「合意」による政策なのであろうか?
今のこの日本において、バブル以前に戻す「お金持ち増税」は、それほど無理な政策でしょうか? 国民的合意は難しいでしょうか? 私はこの政策を、筆頭に掲げて、選挙を戦う政党が、これからの日本の政治のトレンドになるのではないか、と考えています。
大事なポイントは、この政策は、バブル以前の日本人は「みんな」受け入れていた、というところにあります。
そういう意味において、日本の政治の論点は

  • リベラルかどうか

ではありません。

  • 金持ち優遇かどうか

です。この論点を避け続けるブルジョア知識人との戦いこそ、将来の日本を占うのではないでしょうか...。