ファシズムと科学

科学というのは「客観」と考えられている。しかし、もしもこの世界に客観なるものがあり、それを知ることができるなら、それはファシズムではないのか。
ファシズムとは、「あなたの幸せは、私の言う通りに生きることだ」と言うようなもので、一種のパターナリズムに関係している。そういう意味では、怖い考え方だと言えるだろう。
人は誰も、相手の考えていることが分からない。それを分かるのは神だけなのだから、まずもって、「他人を分かれる」という考えをあきらめるところから始めよう、というのが基本的な宗教の考えなのだと思っている。つまり、その上で、どういった

  • 作法

でもって、私たちは日々の日常を生きるのか。つまり、「他人を分かれない」と言っただけでは、私たちは他人に迷惑をかけずに生きることはできない。迷惑をかけたくないと思うなら、他人を<最終的>には分かれないなりに、なんらかの「振れ幅」の範囲で、思いやりをもって行動を選択して生きる、ということになるのではないか。つまり、そうやって判断をして生きても、結果的にそれが迷惑になることを避けることはできないのだけれど(なぜなら「他人を分かれない」から)、でも、その行動が、なんらかの「作法」の範囲内なら、少なくとも相手は、「こちらに気を使って行動してくれたんだな」とは解釈してくれるわけで、所詮、人間ごときが行えるのは、その範囲なんじゃないか、となるわけであろう。
それに対して、ファシズムは、ようするに「科学」全盛のこの時代に、ある意味での「客観」へアプローチする手段を発明したと考えられているわけで、まあ、無敵なんじゃないか、と。科学さえ適切に「適用」すれば、どんな「真実」も確実に判定することができる、と。科学SUGEEEEE、というわけであるorz
この科学的自然界においては、真実は一つであり、正しいか間違っているか。それを判断するのは、科学の役目だ、というわけで。あーそうなんだ。科学真理教様に頼めば、自分が幸せになるには、どうすればいいかを、科学は知ってらっしゃるんですね、というわけである。
しかし、実際にファシズムとはそういうものだったわけであろう。ナチス・ドイツ優生学を非常に重要視した。それは「科学」の名をもって使われた。アーリア人の優秀さは、アーリア人種を「優先的」に保護し、アーリア人種同士を交配させて、より多くの血の濃いアーリア人種を増やしていくことは

  • 正しい

とされただけではなく、ユダヤ人の大量虐殺、民族浄化が目指された。そしてそれは、日本においても同様であって、なんらかの進化論的な「血」の閨閥的な「優秀」さが仮構された。
彼らにとって、科学とは、

  • だれが生き残らせる「価値」があるのか?
  • だれが生き残らせない「価値」があるのか?

に答えることを「可能」にする何かであった。ファシズム国家は、命を選別した。生きて「いい」人間と、生きては「ならない」人間を論理的に決定したわけである。
こういった考えを、もちろん、現代においては認めていないと言うかもしれない。しかし、例えば人工知能というものを考えてみよう。最初に人間が作った人工知能は、やれることも限られていて、バグもあり、つまらないものに思えるかもしれない。しかし、人工知能とは、ようするに、ノイマン型コンピュータである。何十年、何百年と、多くの人によって改良されて行けは、いつかは驚くべき「境地」にまで、辿り着くことになる。つまり、「優生学」もそれと同じなのではないのか、と言うわけである。
ファシズムとは常に「未完」のファシズムであって、パターナリズムとはそういうことなのだ。
ファシズムは常に、「真実」の名の下に行われる「運動」である。それは、「科学」が「行動」を「決定」する。よく考えてみてほしい。民主主義は、なにかの行動をするためには、民主的な意思の確認が必要となる。ところが、「科学」とは、そもそも「真実は一つ」という考えなのだから、「それ」を実行すればいい、ということになるわけである。よって、ファシズムの特徴は

  • 恐るべき政策実行の早さ

にある。国民が「それ」が何かを知る前に、ユダヤ人は民族浄化されている。それは、それが「科学的」に「正しい」ことが決定されている、という考えにもとづいているわけで、もはや、それを国民に問うことは「時間の無駄」と考えているわけである。
こういった認識は、現代という情報社会においては重要になっていると考えられていて、一瞬前の知識はすでに古く使い物にならない、とされ、だったら、あとは独裁者に一瞬一瞬で決定してもらった方が、この早い判断という側面において、有益なのではないか、と考えられるわけである。
しかし、例えば、株式会社の社長は独裁者であり、基本的に社長が決定するが、多くの会社は半世紀もすれば、この世からなくなっているわけで、つまり、倒産するのだが、国家は「倒産」というわけにいかない。そうやって考えてみると、確かに、現代のファシストは危なっかしいことを言っている。
まあ、そこがファシストファシストたる所以なのだろうけど、まあ、ファシスト体質のある人は、せいぜい、株式会社の社長で留まっていてくれないかな、と。そうすれば、倒産すれば、やりたいこともあきらめてくれるのだろうから。
ここまで書いてきて、なぜ、「ファシズム」なのか、と思うかもしれない。なんで、今ごろ、ファシズムなの、と。
例えば、ここで、今話題の日本会議について、補助線を引いてみることができるかもしれない。

つまりマクニール記者はこう訊いたのである。日本の憲法学会に数えるほどしかいない。"合憲派" の顔ぶれを見ると、そろいもそろって日本会議の関係者だ。これはどういうことか。単なる偶然とは思えない、と。
小林名誉教授の答え。
「私は日本会議にはたくさん知人がいる。彼らに共通する思いは第二次大戦の敗戦を受け入れがたい、だからその前の日本に戻したい。日本が明治憲法下で軍事5大国だったときのように、米国とともに世界に進軍したいという思いの人が集まっている。よく見ると、明治憲法下でエスタブリッシュメントだった人の子孫が多い。そう考えるとメイクセンス(理解できる)でしょ」
さすが小林名誉教授である。日本会議の本質を突いている。
魚住昭日本会議を形成する生長の家人脈」)

Journalism(ジャーナリズム)2016年5月号

Journalism(ジャーナリズム)2016年5月号

ファシズムは、早い話がその独裁者を「リーダー」にして、さまざまな民主主義的な多数決では実現できないような

を、「独裁者」が一瞬で解決するわけである。これは、TPPにおいて、膨大な政治資金を寄付できる富裕層が、実質的に、国家を支配して、国民に一切の介入をさせることなく、勝手に国民を不幸にする政策を決定する手口と似ている。

質疑応答になり、一人の男性が挙手し、「日本政策研究センターの優先順位はわかったし、緊急事態条項の追加などであれば合意も得やすいとは思う。しかし、我々は、もう何十年と、明治憲法復元のために運動してきたのだ。今日のこの内容の話を、周りの人間にどう説明すればよいのか?」と質問したというのだ。
この質問に対する日本政策研究センターの回答は、「もちろん、最終的な目標は明治憲法復元にある、しかし、いきなり合意を得ることは難しい。だから、合意を得やすい条項から憲法改正を積み重ねていくのだ」という趣旨だった。
この発言を素直に読み取れば、「明治憲法復元」こそが彼らの目標であるとしか理解できないのではないか。

日本会議の研究 (扶桑社新書)

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なぜ、日本会議明治憲法なのか。それが意味していることは、ようするに、彼ら戦前のエスタブリッシュメントの末裔は、なんとかして、自分たちの戦前の「権利」が、自分たちに戻ってくるべきだ、と考えている、ということを意味しているわけである。
ようするに、どういうことか?
彼ら戦前のエスタブリッシュメントは、敗戦後、アメリカのGHQによって、日本が占領統治下に置かれたとき、

などの特権的権利を剥奪されたわけである。それは、農地改革で多くの豪農が国に土地を剥奪されたことを、今でも恨んでいるのと、まったく同じ感覚であって、つまり、彼らは

  • まったく、戦前の日本は悪くない

と思っているわけである。日本のアジアでの植民地統治は「正しかった」。やってよかった。それを戦後、アメリカに「否定」されたことは納得がいかない。
よくするに、彼らエスタブリッシュメントは、まったく悪かったと思っていないわけである。彼らにしてみれば、自分は、あそこまで「天皇陛下」のために働いて、多くの苦労をして、その中の一つたりと反省しなければならないことがあったわけがない(もしあったなら、天皇陛下が謝らなければならないわけで、そんなことがあるわけがないから)。
まあ。なんて言いますかね。
例えば、漫画家の小林よしのりさんや、彼と対談をやった、東浩紀さんなんて、少しも戦前の日本が悪かったなんて思ってないんじゃないですかね。実際、それを臭わせることを言ってますよね。確かにアメリカに戦争で負けたんだから、それなりに、しおらしくしていないと、世界中の視線が厳しい、といったことは言っているけど、それって少しも、戦前が悪いと思っていないんだよね。
小林よしのりさんや、東浩紀さんって、もしも今でも日本が戦前のまま、朝鮮半島や台湾や満州を今でも日本の領土にしていたとしても

  • 当然

といったような態度だよね。恐しい人たちだね。

対談の終盤、やおら伊藤は、

保守としての主張を強く打ち出していくのと同時に、やはりそれを実現するためのある種の『革命』が求められているんじゃないかと、そう思うんです。そういう保守革命を担うリーダーこそが安倍幹事長でなくてはならない、と私どもは思っています。

と、安倍への最大限のバックアップをうたいあげる。そして安倍はこの伊藤のエールに何の臆面もなく

私もそういうリーダーたりえたい

と真正面から応じ、二人で、「保守革命」へ邁進することを誓い合うところで、この対談は終了している。これでは明らかに、安倍晋三とその支援者による「将来の天下取り宣言」ではないか。
日本会議の研究 (扶桑社新書)

私が今、関心があるのは、そういうわけで、戦前のエスタブリッシュメントの末裔は彼らだけで群れるわけでしょう。そして、そういった動機をもった中から、彼らが仰ぎ見る

  • カリスマ

を必要とするわけだがから、安倍晋三くらいしか、総理大臣に彼らから見て「ふさわしい」人っていないんじゃないですかね。最近では、稲田朋美が注目されているが、ようするに、生長の家の流れをくむ右派の関係者くらいってことになるのでしょう。
そう考えると、簡単に安倍首相を総理大臣の座から手放さないのではないだろうか?
ようするに、前半のファシズムと後半の日本会議の関係というのは、天皇制というのは、明らかに

に関係しているわけですね。そして、日本の富裕層、ブルジョア階級、保守政治家というのは、上に行けば行くほど、天皇家

の関係になっているわけですね。それは、富裕層であればあるほど、日本という国のブルジョアはそうなっていて、みんな上の上澄みは、閨閥で繋がっている。そういう意味で、明治以降の戦前の日本には「貴族院」という

  • 特権階級(=身分)

があった。彼らは天皇家閨閥で繋がっていて、やんごとない身分とされていた。それが戦後、アメリカのGHQ占領軍によって、一切の特権を奪われた。
しかし、彼らはそもそも、何一つ、悪いことをしたと思っていないのだから、反省していないんですよね。一番ケンカが強い奴(アメメリカ)に「いじめはやめろ」と言われたから、おとなしくしているだけで。東アジアの植民地を手放したけど、なんでそうしなきゃなんないのか、少しも反省していない。というか、アメリカの隙を見て、またやりたい、と思っている。だって、悪いことだと少しも思っていないのだから。彼らは、全ての権利が復活されるべきだと思っている。自分たちが戦前にもっていた、一切の権利は、自分たちの下に、もう一度返ってこなければならない、と思っている。彼らは、もしも戦前の貴族院が今もあれば、その末裔である彼らも、同じ貴族院という

  • (生物学的な特権の)身分

だったわけである。彼らは、それを今からでも復活しなければならない、と思っている。それは、天皇家閨閥で繋がった彼らの身分は、ナチストイツにおける、アーリア人種の身分と同じように、独裁者によって守られなければならない、

  • 貴重な血筋

と言っていることと同じであって、彼ら閨閥たちに比べれば、私たちのような大衆という、下等な血筋の身分のものたちは、ナチスドイツにとっての「ユダヤ人」のような扱いなわけで、いくらでも、その血を絶やすことも、ためらう価値のない、どうでもいい連中だ、というわけであって、なるほど、戦前の日本がナチス・ドイツと、世界の国々の中でほとんど唯一

  • 同盟

という仲間になったというのも、こういったファシズム的な人種差別的、優生学的な通底するマインドがあったんだなあ、ということになるのであろう...。