ジョ・ヨンイル「韓国人は司馬遼太郎をどう読むか」

(昨日のアメリカでの、50人を殺したテロは、まずもって、セクシャル・マイノリティがターゲットにされた、という意味で、非常に深刻な事態である。しかしそれにしては、なぜこのセクシャル・マイノリティの人権が脅かされていることが、多く報道されないのであろうか。これは、日本もアメリカもそうなのだが、なんだか奇妙な「保守」化が起きていて、ホモ・セクシャルに反対といった政治勢力が、国家の中枢に影響力を広げている。今回の事件も、その延長に考えることが重要なのであって、下手をしたら、あれと同じことを、今の安倍政権が行いかねない、と思っている。それは、在特会と懇意にしている、自民党議員を見れば、分かるであろう。しかし、である。それにしても、なんで、こんな100人近くも殺せるような「武器」を市民がもっているのだろう。しかも、合法的に買っていた、と言うではないか。大統領が銃規制を行おうとしても、全米ライフル協会によって手籠にされた共和党議員によって、否決されるんという。アメリカは頭が狂っている。)
少し近年の文脈を振り返ってみたい。
少し前に、NHKの大河ドラマ司馬遼太郎の「坂の上の雲」がとりあげあれた。しかも、さらに去年だったかには、吉田松陰の妹なる、もはや、誰も知らない謎の人物がとりあげられるという奇妙な事態にまでなったわけだが、その文脈において、安倍政権、というか安倍首相の意向がかなり関わっていたのではないか、と言われている。
小泉元首相と同じく、安倍首相が、尊敬する歴史上の人物として、吉田松陰をあげていたことは有名で、安倍首相が自らのアイデンティティ長州藩を意識している、ということと同列に考えられたわけであるが、少し歴史に通暁している人なら、こういったこだわりがかなりの「物騒」な認識を示しているのではないか、という疑いをもたせたことは、言うまでもない。
しかし、いずれにしろ、去年の戦後70年談話は、こう言ってはなんだが、それは「通俗的司馬遼太郎主義」のようなものとして解釈されたことは確かだった。つまり、日露戦争「まで」を、日本の栄光の時代として、言祝ぎ、それ以降の

事実については、真摯に反省する、という、まさに「アメリカ」との戦争しか反省しない、といった態度が。
しかしこれは、司馬遼太郎史観というより、

と呼ぶべきもので、この、一般の人に「坂の上の雲」がどのように読まれてきたのか、をよく示している、とも考えられるわけである。

まず指摘すべきことは、『坂の上の雲』のドラマ化について。事実、映像化に対する議論はこの小説が出版されてからずっとあった。ただ、原作者である司馬遼太郎がそれをずっと固辞してきたと言われます。
この単純な事実は、現在放映中であるドラマ『坂の上の雲』が司馬遼太郎の意向とまったく無関係だということをあらためて思い起こっせてくれます。

つまり、ここで二つの「史観」を区別しなければならない、ということになります。そもそも、今の政治家にしても、明治の偉人を「司馬遼太郎の小説」で分かった気になっているに過ぎません。つまり、こういった

と、

は別だ、ということになります。司馬遼太郎は、「坂の上の雲」のドラマ化に徹底して拒否した。これは、もしもこれがドラマ化されれば、自分の「史観」とは、完全に

  • 誤解

されることが分かっていたから、と言うしかないであろう。そういう意味では、「坂の上の雲」は彼の失敗作であった。それは、世間がそれをどう受け取るにしろ、彼の言いたいことが十全に書くことができなかったのであれば、そのように彼が認識するしかない。
だとするなら、世間が「坂の上の雲」を読んで、そこに、司馬遼太郎の「本意」が書かれていると受け取ることになる、これら「大衆」とはなんなのだろうか?
なぜ、このような「分裂」が起きてしまうのか。それは、司馬遼太郎自身が「坂の上の雲」の後半の主題として描くことになった、日露戦争の「評価」に関わっている。

いわゆる「司馬史観」と呼ばれるものがあります。それは簡単に言えば「合理主義」ないし「現実主義」に対する強い擁護と関係があるのですが、これは逆に現実を無視(超越)する思想性に対してはかなり批判的だという意味でもあります。彼は第二巻のあとがきで、まさにこの問題を近代日本が生んだふたりの巨人を比較することで論じている。伊藤博文と、近代日本陸軍創始者である山県有朋のことです。
ふたりは学問においては同門だったのですが、師匠であった吉田松陰は江戸末期を代表するとても「純度の高い」(司馬遼太郎の表現)思想家でした。ところが山県有朋は生涯師匠に好意を抱いていたのに反して、伊藤はそうではなかったといいます。思想がない(無思想)伊藤が師匠である吉田松陰には気に入らなかったし、同じ脈絡で伊藤もまたそんな師匠に共感できなかった。
韓国人の先入観とは異なり、当時日本政府はロシアとの戦争にかなり否定的でした。伊藤に代表される現実主義者の政治家たちはロシアに勝つ確率はかなり低く、勝つ可能性のない戦争は無意味だと見たからです、伊藤と同じく若いときに四カ国艦隊の長州攻撃を経験した山県も最初は戦争回避論者でした。ところが彼は開戦論者に転向してしまう。これに対して司馬遼太郎は次のように説明をしています。

しかしやがて開戦論にかたむき、伊藤のような徹底性を欠いていたのは、山県が軍人という戦争稼業の男で、元老になってからでも第一線の功名を夢想するところがあったほど本来戦争がきらいではなかったという要素のほかに、山県は伊藤とおなじ現実主義者でも、伊藤にくらべれば多分に「思想性」があったことにもよるであろう。思想性とは、おおげさなことばである、しかし物事を現実主義的に判断するにあたって、思想性があることは濃いフィルターをかけて物をみるっようなものであり、現実というものの計量っをあやまりやすい。ときに計量すら否定し、「たとえ現実はそうあってもこうあるべきだ」という側にかたむきやすい。芸術にとって日常的に必要なこのフィルターは、政治の場ではときにそれを前進させる刺戟剤や発芽剤の役割をはたすことがあっても、ときに政治そのものをほろぼしてしまう危険性がある。

司馬遼太郎にとって思想性や芸術性は現実政治で必ず拒否しなければならないものとして提示されているのですが、それは多くの場合信念(当為)を立てて現実を無視する傾向が存在するからです。ここではっきりわかっていることは、司馬遼太郎が数多くの難関を克服し日本が日露戦争を勝利に導いたことについてはある程度肯定的な評価を下しているものの、それ以上に日露戦争そのものが無謀だったという点を強調し続けているということです。言い換えれば、彼が見るに開戦論者は現実を無視した判断で国民を塗炭の苦しみにおいやった「思想的人物」であるというわけです(幸いなことに勝ちはしましたが)。彼が小説でそのような思想と戦う伊藤の行跡を比較的詳しく描写したのは、それに対する批判だと言えます。

この指摘は重要であって、そもそも、日清戦争日露戦争も「無謀」なわけである。それらをある程度、成功させたのは、たんにイギリス側の援助もあったであろうし、もっと言えば、偶然でしかない、とも言える。
伊藤博文は、イギリスに留学したことで、いかに自分たちの無力さを理解していたか。彼は善意からでも悪意からでもなく、たんに「リアリティ」の分析の結果として、日露戦争に反対であった。
実際、日清戦争日露戦争も、両方とも、相手は「降伏」していない。つまり、「講和」を行っただけで、相手国は総力を結集して日本に向かって来ていない。その他に多くの外敵と国境を接している、これらの国にとって、日本とのこれらの「戦争」は、なんらかの局地戦という認識しかなかった。
例えば、70年談話で、日露戦争がアジアを「勇気づけた」みたいな記述があったわけだが、しかしこの記述が奇妙なのは、別に、日本はロシアを「降伏」させたわけでもない。占領したわけでもない。もっと言えば、司馬遼太郎の認識においては、そもそも、日露戦争

  • 無理

だった、という認識があるのだから、それ「で」アジアを勇気づけたと言われても、そもそもそういった「非合理」でありかつ「狂気の暴走行動で、「よかった」というのはないんじゃないのか?

興味深いことに開戦論の震源地は一般大衆とマスコミ、大学と在野の政治家であり、後に軍隊が同調するかたちを帯びました。学習効果とは本当に恐しいものです。すでに日清戦争時に得た莫大な賠償金(受け取った賠償額は当時の日本政府の国家予算の四・五倍でした)で社会基盤施設が整備され、鉄鋼産業が育成されるのを見た当時の民衆は、漠然と戦争が好況をもたらしてくれるという期待をもつようになり、日露戦争をきっかけにとてつもなく成長したマスコミ(今は反保守メディアに分類される《朝日新聞》がこのとき大きな役割を果たしました)がこのような雰囲気を確信させるのに決定的に寄与し、時代の流れを追っていた知識人もまたこれに積極的に加担しました。いわゆる「七博士」は開戦を促すため政府を訪問し、在野の政治家も個別的に政府の要人と接触し開戦の必要性を強調しました。

近年、ポピュリズムという言葉が、大衆批判として使われるようになっている。しかし、上記の引用からも分かるように、どんなに政府が戦争を避けようとしても、学者や大手マスコミや弁護士や、こういった

  • インテリ

が、政府に戦争をさせようとするわけである。彼らは、むしろ大衆を「使って」、政府を動かそうとする。そういう視点で見れば、今の舛添東京都知事を止めさせようとする、

  • 学者や大手マスコミや弁護士

というのは、一体、なにをやりたいのであろう? 同じ「ノリ」で、アメリカのような銃規制の「自由化」や、戦争を始めないでほしいものである。

文學界2016年7月号

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