イギリスのEU離脱の意味

今回のイギリスのEU離脱の国民投票の結果において、一つだけはっきりしていることは、若者が離脱に反対で、年配が離脱に賛成だった、ということではないだろうか。つまり、若者の明確なEU離脱に反対の意思だけは読み取れる、ということではないか。
というのは、おそらく彼らはEU内を旅行したり、もっと重要なこととして、EUで

  • これから仕事をして稼いで

お金を作っていかなければならない、という喫緊の「未来」を考えて、例えば、現在のEU内の国々でのパスポートなしでの往来の自由などに代表される

  • 移動の自由

が、とてもクリティカルだと思っている、ということなのではないかと思っている。
そういう意味では、彼らは自らの「能力」の可能性を認識している「強者」のイメージを自らに見出している。たとえ、中東やアフリカから多くの移民が来たとしても、彼らと「競争」で勝てる、と思っている。だから、あまり彼らを脅威に思っていない。
他方、年配の人たちにとっては、すでに多くの資産を作って、これからはそれらを「守って」行かなければならない、という感覚がある。つまり、余計な支出は減らしたい。その支出の原因となる大量の移民の受け入れであり、彼らへの福祉の支出が結果として、税金の増加となることは、長期的な脅威だと。
少なくとも、EU離脱ということで言うなら、それは、単純に「ルール」の問題だ。イギリスがEUを離脱するということは、普通に考えるなら、これからヨーロッパのさまざまな問題を考えていく場に、イギリスが加わらない、ハブられる、ということを意味するわけで、あまり現実的でないように思われる。というのは、普通に考えるなら、「参加」しないデメリットはほとんどないように思えるからだ。細かな点で、それなりに不満があったとしても、大枠で大きなメリットがあることは間違いないわけだから(というか、そもそも、EUがそこまでの各国の政策実行に対して、大きな内政干渉となるものではない、という基本的な認識があるわけであり)。しかし、とにかく、それを選択するということは、普通に考えるなら、イギリスが

  • 小国

を目指している、というふうに解釈されるのではないか。
しかし、たとえイギリスがEU離脱を実行していくにせよ、なんらかのEUとの「取り決め」を行っていくことになることは間違いない。言うまでもなく、EUとイギリスの間の関税や、パスポートの問題をどうするのかや、それなりに、今まで通りの「負担」を、ある程度は、引き受けなければならないことは、普通に考えて分かりそうなものであろう。
つまり、たとえEU離脱を実現したからといって、中東やアフリカからの「移民」の受け入れを行わない、ということは考えられないわけであろう。当然、人道上の意味からも、行わなければならない。
そういう意味では、交渉の過程によっては、EUとイギリスが今後とりきめる「交渉内容」によっては、ほとんど今と変わらないような「立ち位置」でい続けることでさえ、ありえるわけであろう(ほとんどの会合で、実質的な「オブザーバ」のような地位で、会談に同席する、というような)。
そのように考えるなら、今議論になっているような、EU離脱というキャッチーなネタは、あまり大きなインパクトを将来的に残すことにはならないのかもしれない。
もともと、EUは、ナチス・ドイツの反省から始まった、ECCだったかの、ヨーロッパの鉄鋼などの経済共同体から始まっている。それが、基軸通貨のドルとの対抗などを考えた、より広いヨーロッパの共同体構想に広がってきているわけだが、その歩みは、どこか「実験」を思わせるものであった。
つまり、最初から将来的にこのEUがどういったものになっていかなければならない、といった「同意」があるわけではない。常に、直近のイベント・ドリブンで、チャレンジしてきた場が、EUだった、ということなのであって、今回のイギリスのEU離脱の問題にしても、また新たな、そういった

  • チャレンジ

の場の模索の一つの動きと考えることもできるように思われるわけである...。