なぜ天皇問題は「宮家」問題なのか?

私は現在の、憲法改正論議というのは完全な茶番だと思っている。それは、ようするに、憲法改正問題とは、

と同値だと考えているからだ。憲法改正と言いながら、皇室典範を変えられないのは「なぜ」なのか? それは、皇室典範が彼らの「アイデンティティ」だから、と言うしかないであろう。
つまりは、皇室典範とは、一種の宗教の「教典」の役割を担っている。そうである限り、彼らにとってこれを変えるなど畏れ多い。つまり、皇室典範憲法より「上」にある存在なわけである。それは、日本において、憲法以上に日米密約が「優先」されるのと同じ現象だと言えるだろう。
敗戦の後の米軍占領下において、新しい憲法を作るにあたって、皇室典範は変更されなかった。そのことがより、皇室典範を「神聖化」した。米軍でさえ変えることのできなかった皇室典範が、戦後の今においても変えることを私たちに「タブー」にしている。
憲法を変えるというなら、天皇制を変えることになることを避けられない。この二つは離すことができない。そのことが何を意味しているのか?
つまりはこれは、「宮家」問題だ、ということになる。

占領期に皇籍離脱を余儀なくされた11宮家は、いずれも伏見宮家の血統に連なる。
そして伏見宮家とは、はるか室町時代天皇家から分かれた血統である。
旧1宮家の皇籍復帰論者は、男系男子による継承は唯一絶対の伝統であり、現在の天皇家の男子が絶えれば、傍系からとるのが当然だと説く。しかし、これほど遠縁の皇族が即位した事例もまたない。
ちょっと検索してみたら、八木秀次が小泉政権での「皇室典範に関する有識者会議」における意見陳述に用いたメモが見つかった。
ここで八木は、「2.過去の皇統断絶危機の際、男系の「傍系」から皇位に就かれた例」として

第26代・継体天皇(先代・武烈天皇とは10親等の隔たり)
第102代・後花園天皇(先代・称光天皇とは8親等の隔たり)
第119代・光格天皇(先代・後桃園天皇とは7親等の隔たり)

の3例を、また「遠縁から即位された例」として

第49代・光仁天皇
(先代・称徳天皇とは8親等の隔たり、天武系から天智系へ)
第100代・後小松天皇北朝
(先代・後亀山天皇南朝]とは11親等の隔たり)

の2例を挙げている。
しかし、後小松天皇を第100代と数えるのは南北朝合一によるものであり、それ以前から北朝天皇として即位していたのであるから、後亀山天皇を継いで即位したわけではなく、「遠縁から即位された例」としては不適切だろう。こんなものを出してくる八木の見識を疑いたくなる。
ということは、王朝交代説もある継体天皇の系譜を仮に信じるとしても10親等、それ以外では8親等が最も遠いのだろう。
対するに、愛子さま、悠仁さまと、現存する旧皇族の男子某とでは、40数親等離れている。
この違いは決して小さくはない。
そして、これほど血統が離れているからこそ、戦前においても伏見宮系の皇籍離脱が予定されていたのだろう。
もともと、明治維新の時点では、宮家は伏見、閑院、桂、有栖川の4つしかなかった。
明治維新後、伏見宮系の男子を独立させ、13宮家にまで増やした。
私が旧宮家の皇籍復帰に賛同できない理由(上)

上記の記事は、なかなか興味深い観点から書かれているが、ようするに、竹田恒泰とかいう人を本当に、「宮家」として「復活」させるのか、ということが書かれている。
上記の引用にあるように、敗戦で皇籍離脱をした11宮家は伏見宮家に連なるわけだが、明治維新のときの4つの宮家にも含まれていない。というか、室町時代に血統が離れた、と言っているわけで、40親等も離れて、愛子さまの代わりに、この竹田恒泰天皇になったら、そのあまりの異様さに国民はドン引きするだろう、と言っているわけである。室町時代に血筋が離れたって、普通、それ、赤の他人って言うんじゃね、ということであろう。
どうもこの竹田恒泰という人は本気で、宮家の復活を目指して政治運動しているようで、自分が天皇になる気マンマンということなのだろうか。
そのように考えると、日本会議はこの竹田恒泰を講演会に呼んで講演させているわけで、どうもかなりの日本会議の割合で、この竹田恒泰に、それなりにファミリアリティを感じている集団ということになるのだろうか。
おそらく、天皇制の最も大きな欠点はこの「宮家」にあるのではないか、と思っている。戦前の日本においても、この「宮家」の関係者が、さまざまな日本の重要な「要職」についていた。しかし、である。
よく考えてみてほしい。
彼らは「天皇」なのか? まさかw 室町時代に血統が離れた、と言っているわけであろう。そういう人たちが、たんに「宮家」というだけで、変に周りから「ちやほや」されたら、おかしくなるのは当然なんじゃないか? そして、そういう「おかしな」慣習を身につけてしまった宮家の人たちが、さまざまな「要職」で、

  • 無理矢理にも、高い役職についた

場合を想像してみてほしい。つまり、戦前の日本が滅んだのは「宮家」の責任が非常に大きかった、ということなのだ。
軍隊の「暴走」にどれだけ、宮家が関わっていたのか。
ようするに、日本会議は、今の天皇大江健三郎並みの「左翼」「極左」であることを知っている。だからこそ、露骨な「嫌悪感」を隠さない。彼らか、明確に今の天皇や皇后を「軽蔑」している。彼らは、天皇を退位させて、竹田恒泰天皇にしたい。
しかしね。
これって、典型的な「戦前」だよね。戦前の日本は、さまざまな場所で、「宮家」が非常に大きな「権力」をもってしまった。つまり、日本の政治の暴走は「宮家」の暴走だった。多くの日本の知識人はこれを知っていたからこそ、宮家の廃止が重大な意味をもった。宮家が日本を滅ぼした。そして、今。再度、宮家の復活を掲げて、日本会議は「左翼」の今の天皇に代えて、

  • 僕らのヒーロー

竹田恒泰を「真に天皇にふさわしい」存在として、今の天皇家に代えようとしている。まあ、日本会議のヤバさって、こんな感じなんでしょうね...。