アジア・サッカー

アジアというものの定義をウィキペディアで見ると、ユーラシア大陸で、「ヨーロッパでない場所」となっていて、やれやれ感がハンパないわけだがw つまりは、ヨーロッパという概念は意味がある概念だが、「アジア」には、なんの意味もない。なんの文化的な意味をもったカテゴリーではない、ということになる。
そういった「アジア」という言葉を使い続けることになんの意味があるのだろうかと思わなくもない。実際、イスラエルはなぜかヨーロッパ選手権に出場していて、なんなのかな、と思わなくもない。
アジアとは「ヨーロッパの外」という意味しかなく、つまりは、ヨーロッパの「関心の範囲外」という意味になっていて、そういった概念で語られるアジアなる地域分けは、一つの差別なんじゃないのか、と思わなくもない。実際に、中東地域と日本に一体、なんの関係があるのだろうかと考えてみると、中東と日本を一緒の「地域」にしている時点で、ちょっと、カテゴリーエラーをおこしていると言わざるをえないんじゃないのか。
ネットを見ていると「中東の笛」という表現で、今回のタイ戦も、イランの審判がレフリングが問題になるんじゃないのか、といった指摘があったわけだが、そもそも「中東の笛」という表現は、中東は、まだ「サッカー文化」が遅れているから、レフリングの「レベル」が低いんじゃないのか、という疑いを示していたのであって、そういう意味では、この表現は、どこか差別的に色彩をもっている。第1戦を私が問題視したのは、例えば、日本代表と海外の国との対戦で、もしも「日本人審判」だったら、多くの人は、それって日本人有利の状態なんじゃないのかと思ってしまうのと同じ意味で、UAEの審判がカタールだったことは(同じイスラムスンナ派を国教としている国同士という意味で)、こういう場合は「同じ国家に準じる」と解釈しないと、という意図だったわけで(ちょうど、利益相反と同じような情況を指摘しようとして)、今回のタイ戦とはまったく事情が異なるわけである。
うーん。今日のサッカーW杯最終予選の、タイ戦は、むし暑い敵地だったわけだが、ボランチに山口蛍を入れ、守備的にすることで、ずいぶんと安定した。タイは日本のプレスの網にかかってくれて、ほとんど危ない場面もなく、最後まで戦えたのではないか。
あいかわらず決定力不足が言われているが、おそらくそれは、今の日本代表が、

  • 実際に直近で、大量得点をとっているFW

を採用していないところに原因があるのだろう。それは、日本の海外移籍が、毎試合でていて、「攻撃的」なFWが一人もいない、というところにあらわれているのであろう。早い話が、日本人はまだ、そういったポジションで、リーグ中に何十点も取ることを期待して、試合で使ってもらっている選手が、一人もいない。みんな「守備的FW」といったような、点取り屋のサポート役のような選手ばかりなので、彼らは急に、日本の試合になったときだけ「攻撃的FW」になることが難しい。急に、いつもと違う役割を求められるから、戸惑っている、ということなのだろう。
FWとして、リーグを通して、大量得点をとっているFWは日本人では少ないだけでなく、Jリーグの日本人の中でも少ない。しかし、そういった選手というのは、確かに、日本代表が求めているような、日本独自の「パスワーク」が得意な選手ではないかもしれないが、彼らは

  • 毎日、点を取るための動きを研究している

人たちなので、とにかく、点をとるための動きに特化した、才能をもっているし、一番大事なことは

  • シンプルに(他のポジションの選手に関係なく、そのFWの中で閉じた形で)

あっさりと点をとってくれる、というわけである。
大事なポイントは、「ぽっとで」のFWは、いつもやってない動きをゴール前でやらされるので「戸惑う」わけで、いつも「点取り屋」としてFWをやっていて、事実、証拠として大量得点をとってきた人たちは、早い話が、

  • 毎日そればかり考えている

ので、非常に「簡単」に点をとる「ルーチン」をもっている。確かに、浅野は去年でも、毎試合、全時間に出場していたわけでもないし、FWとしては得点を2桁までも行っていないし、物足りなさはあるにはあるが、まあ、「点取り屋」であることは確かなわけで、それなりの回数のチャンスがあれば、何回かは決める、ということなのであろう...。