日本政治の何が論点なのか?

この前の都知事選においても、築地市場豊洲への移転は、一つの争点であった。しかし、昔から、この豊洲移転は無理筋ではないか、ということは言われていた。それは、大手スーパーや外資が、こういった卸売市場の存在をなくしたい、という意向が強くあるから、ということは、だれもが言っていたわけであろう。
だからこそ、この豊洲移転の事業は、新国立競技場と非常によく似た展開を示している。つまり、この事業自体が「まったく筋悪」だということである。一体、豊洲移転を本気で「成功」させようとしている人は一人だっているのだろうか? それは、ザハの新国立競技場を本気で作ろうとしていた人が一人でもいるのか、というのに似ている。
大手スーパーや外資系スーパーにしてみれば、とにかく、卸売市場を潰すことが目的なのだから、とにかく、なんとかして、築地市場を、旧国立競技場を、いち早く壊したように、壊してしまうことが、「第一の目的」ということになる。そして、壊してさえしまえば、50%は目的を達成した、ということになる。
おそらく、築地市場の「解体」と共に、日本の漁業の卸売市場は未来永劫、復活することはない。なぜなら、それを「大手スーパー」「外資系スーパー」が嫌がっているから。彼らは、卸売市場を解体することで、日本の流通を一手に掌握したい。独占したい。彼らがこのチャンスを逃すわけがないだろう。
例えば、日本で近年行われる「事業」として、新国立競技場、築地市場の移転、マイナンバー制度、リニア新幹線原発もんじゅ。こういったものの特徴は

  • 「作ろう」としているもの自体が、まるで最初から「ポンコツ」にしようとしているかと思わせるくらいに「ポンコツ」のものしかできてきやしない

というところにある、と思われる。ようするに、国家であり、国家官僚でありが、こういった事業で「いいもの」を作らなくてはならないという「職業倫理」を感じさせないわけである。最初から、「お金の無駄使い」をやろうとしているかのように、できの悪いものを作って、そして、なんの反省もない。
どうしてなのか?
それは、最初から「ガラクタ」を作ることを「目的」にしているから、と言うしかないのではないか。
彼らには最初から、「いいもの」を作ろうという動機がない。それが一番分かりやすいのが、上記の築地市場であるわけだが、ようするに、「いいもの」を作らない、ということが逆説的に

  • 儲けになる人たちがいる

ということを意味している。
どうも、日本がおかしい。
まさに、バベルの塔のように、堕落した国家が、滅びの道を歩き始めている、そんな印象さえ感じなくはない。
例えば、日本の金融緩和政策で、日銀が、今の日本の大企業の多くの「筆頭株主」になっている、というニュースもあったわけだが、こういったことを私たちは「社会主義」と呼んで、資本主義の「倫理」として批判してきたのではなかったか。
例えば、前回の参議院選挙で、「おおさか維新の会」が一定の存在感を示したわけだが(今だに彼らを「野党」だと思っている人はいないだろう。実質的な、自民党応援団でしかないわけだが)、大阪府が行っている、私立大学の授業料支援補助金制度の財源は、私学助成金を大幅にカットすることによって、というわけである。
これは一見すると、家庭にお金のない学生が、大阪の私立大学に入りやすくなっているわけだが、それによって、私立大学の経営基盤が、他の地域と違って、削られているわけだから、そう考えると、思ったよりも他の地域の私立大学と比べて、低いサービスに満足感を覚えられない、という可能性だって考えられるわけであろう。
そもそも、である。私立大学への「私学助成金」は、本当に憲法上、問題がないのだろうか?
前回の参議院選挙で、おおさか維新の会は、教育の無償化を憲法改正の項目に挙げた(これに、田中康夫は賛同して、おおさか維新の会から立候補した、というわけであろう)。このことは、「大学の無料化」であり、「私立大学の無料化」を意識していたわけで、それと、大阪府での、私立大学の授業料支援補助金制度の延長に構想されていることが分かるであろう。
しかし、である。
私には、その意味が理解できないのだ。
というのは、私立大学というのは、「ビジネス」なのではないのか。お金儲けのために、大学を経営しているのではないか。だとするなら、生徒の入学金や授業料をいくらにするのかは、「大学経営者」の

なんじゃないのか? つまり、おおさか維新の会の主張する「私立大学の無料化」は、

を意味しているように聞こえるわけである。大学経営者は、大学の授業料を「いくら高く」しても、どうせ、国家が学生の授業料を代わって払うというんだから、

  • いくらでも高い値段をふっかければいい

ということになってしまわないか?

前原 私は、どんな地域、所得の家庭に生まれても、あるいは障がいがあっても、等しくチャンスが与えられ、自己決定できる社会、安心と自由が調和した社会を目指したいと考えています。
民主党政権子ども手当の額、またその期間を小六から中三まで拡大した。高校授業料の無償化も実現した。しかし、これはまだ完成ではないのです。〇歳から五歳までの就学前教育を無償化し、高等教育も無償化に近づける----たとえば私学も国公立大学並みの学費にする。これらふたつを実現するには、消費税一%でよいのです。この一%で、すべての子どもに、チャンスが与えられる。演説会で、「消費税の一%を子どもの未来に使うことに反対ですか」と尋ねると、異を唱える人はほとんどいません。
前原誠司「"センター" への道は切り拓けるのか」)

世界 2016年 09 月号 [雑誌]

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いかにも、民進党らしい理屈であるが、まずもってこれを「消費税」の話にしているところが、基本的に民進党財務省の今の税体系を消費税にシフトしていこうという方針に準じている集団であることを示しているのであろう。そして、私立大学の学費の国立大学並み化であるが、これも、「おおさか維新の会」と発想は似ている。
そもそも、国立大学の授業料が過去から上げられてきたのは、私立並みにすることで「不公平感」をなくす、というのが目的であった。つまり、話が逆転している。
例えば、今でも私立大学には私学助成金という「公金」が入っていて、最初から「資本主義」じゃない、と考えることもできる。だとするなら、どういった「改革」が望ましいのか。こういった私立大学の国公立化が目指す方向なのか。なにが答えなのか。
つまり、こういった問題は、資本主義のルールの「外部」を認めるのかどうか、その場合に、それが「錬金術」にならないための「歯止め」をどこに求めるのか、そういった細かな「ディテール」が求められているはずなのだが、おおさか維新の会にしても、前原さんにしても、そういった点はあまり深掘りしないというところで、なにかの「利権」を野望しているようにさえ見えてくる。よって、その本気度がよく分からないわけである...。