ドゥテルテ大虐殺

今週の videonews.com はフィリピンの専門家の日下渉による、ドゥテルテ論であったわけだが、それ以前に「フィリピン論」であった。
しかし、ドゥテルテ問題を考えるに、今起きている、「麻薬戦争」について言及しないわけにはいかない。彼が大統領に就任してから、すでに3500人近い、「(警官の射殺による)死者」がでていて、対して、警官の死者は10人ちょっと。まったく、銃撃戦になっていない。一方的に、警察が国民を打ち殺している。
こう考えると、戦前の関東大震災における、朝鮮人虐殺を思わせる。
しかし、なぜこのような「死者の山」ができているのかを考えると、ようするに、ドゥテルテの就任によって、一挙に

  • ルール

が変わった、ということなのだろう。つまり、ここで言う「ルール」とは

  • メタ・ルール

のことで、以前は、

  • ルールは徹底して「ざる」だった

というわけで、確かに以前から麻薬は「犯罪」であったが、国民がそれで裁かれるということはなかった。だれも裁かなかった。といううか、どんなに麻薬をやっても、

  • 警察にお金を渡せば

無罪放免になった。ようするに、ドゥテルテ以前は「わいろ社会」だった。どんなルールも「わいろ」を渡せば、見逃された。警察から官僚から、あらゆる末端が「腐敗」しているので、すべては「わいろ」次第の社会だった。
ところがここに、急に、今までの「慣習」を徹底的に否定する人が現れた。

  • ルールや破ったら、牢屋だよね

と。それが、ドゥテルテだった。つまり、急に「メタ・ルール」が変わったのだ。これに困ったのが、フィリピンの警察であり官僚であろう。彼らは、麻薬「わいろ」で生計を立てていた。つまり、最初から、麻薬常習者と「グル」だった。しかし、それではドゥテルテによって「逮捕」されてしまう。そこで、どうしようと考えたか。

  • 自分と「グル」だった麻薬常習者の「口封じ」をしなければならない

と考えた。そうしなければ、自分が牢屋に入れられてしまう。そこで、ドゥテルテの「大虐殺」が始まってしまった。
それにしても、3ヶ月ちょっとで3500人近い「民間人」が警察によって殺された。もう、関東大震災のときの朝鮮人虐殺の比ではなくなっているわけである。
まあ、こうなるよなー、という感じだろうか。比較的に「ルール」にルーズに、「わいろ」にもあまり目くじらを立てないで、見逃してきた社会が、急に

  • 過去に遡って、犯罪者を処刑する

となったら、その「暴力装置」側の人たちが、自分が処刑する前に、自分と「ぐる」だった民間人の口封じのために、次々と民間人を簀巻きにして、海に投げ出した、というわけであろう。これ。どこまで行くんですかね。
いや、恐しいな、と思うわけで、実際、世界中の人権団体が今、フィリピンに対して、さまざまな警告を発しているわけであるが、ところが、このドゥテルテは、それなりに、国民的な「支持」を受けて、大統領になっているわけなんだよね。
ようするに、これだけの「大虐殺」をやっておきながら、それなりの国民的な支持がある、というわけで、なんというか、アメリカのトランプ現象と同じような、

的なヘイト・クライムな現象が起きている、ということなのか、と注目をされている。
なぜ国民はドゥテルテを支持するのか。それは、彼が「フィリピンを秩序ある国に変えてくれる」という希望を象徴しているから。どこか逆説的に聞こえるが、きっとドゥテルテが、フィリピンを「秩序ある良い国にしてくれる」と国民は思っている、というわけである。
例えば、この麻薬戦争にしても、麻薬常習者は法律違反者であるだけでなく、少なからず、社会の秩序を脅かす、怖い存在として、国民から恐れられてきたわけであり、また、麻薬は「お米一袋」くらいの値段になり、多くの家計が、「お荷物的存在」として、こういった麻薬常習者たちを「困った存在」として、家庭の中でもけむたがっていたところがあった。
日本でもときどき、麻薬常習者による、常識人ではありえないような「奇行」による犯罪が問題になるが、ようするにフィリピン国民は、こういった「恐怖」に震えながら、毎日を生きてきたわけで、その「恐怖」を、今回、ドゥテルテが

  • 救ってくれる=国家に<普通の国並みの>秩序をもたらしてくれる

という「期待」と共に見ているから、この「ドゥテルテ大虐殺」を、どこまで「ひどい」行為なのかと見積ることがうまくできていない、ということのようである。
フィリピンは長く、議会が大地主たちによって支配され、彼ら大地主がアメリカといった被植民地と裏で「ぐる」になってきたような国で、法律も大地主たちの都合のいいものでしかない、まったく、国民のための法律になっていない。アメリカだって、そういった大地主をコントロールしておけば、なんとかなるという関係の方が、社会をコントロールしやすいわけで楽なんだよね。しかし、そういった大地主たちが、議会を支配しているので、彼らの都合のいい法律しか成立しない。
まあ。そうなれば、だれも法律なんて守らないよね。それが「わいろ社会」なんだよね。
しかし、だからといって、だれも「ルール」を守らないし、いざなれば、あらゆる犯罪は「わいろ」でバーターされるとなったら、ようするに、社会が回らないんだよね。
いくら待っても、電車が来ないし、道路はいつも渋滞。だって、だれもルールを守らないから。しかし、それじゃあ、経済発展できないんだよね。それなりに経済成長をしようとすると、ある程度の「ルール社会」が実現しないと、あまりに社会のいろいろな「当たり前」のことが「できていない」わけで、しかし、海外に住んでみれば、他の国ではちゃんとできている。日本では、電車はちゃんとした時間に動くし、みんな交通ルールを守る。
それに慣れてくると、以前からのフィリピン社会の「だめ」さが、あまりにも問題のように、特に「インテリ」ほど感じてしまい、ここまでのドゥテルテへの期待が高まってしまう。
これから、一体、どうなってしまうんですかね...。