老倉育のリアル

いろいろと小説や漫画やアニメといった、物語を読んでいるわけであるが、正直に言って、どうも、おもしろくない。このおもしろくなさって、なんなのかなと考えてみると、なんというか

  • 当たり前

なんですよね。例えば、普通に中流家庭に産まれて、進学校に入って、塾に通って、東大に入りましたと。そして、卒業して、立派な一流企業に勤めました、と。そして、結婚して子どもができて、今、「幸せ」です、と。そして、その

  • 延長上

で、当たり前のようにツイッターでつぶやく。だれだれが「むかつく」だとか、他人にできないことを自分ができてて「幸せ」っていうか、「これができない他人ざまあw」とか。
いや、あんた、幸せな半生をおくってきて、今そういうふうに考えたり、感じたりするのって、

  • 当たり前

なことなんじゃないのか、と。そんな当たり前のことを言って、「So what?」なんじゃないのか、と。お前の話していることは、なんの「事件」でもない、と言いたいんですよね。つまり、「つまらない」わけです。
例えば、アニメ「ViVid Strike」の主人公のフーカ・レヴェントンもリンネ・ベルリネッタも幼ない頃から両親のいない、孤児院で育てられた、という設定になっている。孤児院時代は、いつもいじめられていたリンネをフーカが守っていた関係であったが、フーカがお金持ちのベルリネタ家に養子としてもらわれた後、彼女は格闘技の道を目指し、強くなっていく。リンネの活躍に刺激されるように、フーカも格闘技を始めるわけだが、この幼馴染がもう一度まみえて、「戦う」ことに、親のいない二人がまるで「姉妹」のように育った二人の精神的な繋がりのようなものを描こうとしているわけであろう。
普通に幸せな家庭で育って、親にたっぷり愛情を注がれて、それなりに勉強ができて、いい大学に入って、いい企業に就職して、幸せになるということは、ほとんど規定路線の通りに歩いていれば達成されるものであって、その延長線上で、

  • むかついたり
  • 快楽を感じたり
  • ぐちを言ったり
  • 持論を述べたり

って、ちょっと、本人としては「こなれた」ことを言って、耳目を集めようとしているのかもしれないけど、ようするに、その内容が、「あなたの今まで生きてきた人生から考えれば、そういうことを今言うことは、ほとんど当たり前なんじゃないのか」と思うわけである。
それに対して、両親を失って、孤児院で育てられたような子どもが、例えば、大学に進学するというだけで、大変な「壁」にぶつかるのではないのか。しかし、上記のような「当たり前の人生」を送ってきたような人には、そういった人の「大変さ」を想像できない。
これはなんなのかな、と考えるわけです。
例えば、いろいろとアニメはあるんだけど、素朴に面白いのは、なんというか、「オタク的な趣味の、あるある」を描いているようなものだったりする。

まあ、共通するのは主人公がどこか、ドジッ子キャラで、天然なんだけど、ある趣味にはまっていく(趣味に素朴に感動していく)過程で、彼女を囲む「趣味仲間」に恵まれる(アニメ「灼熱の卓球娘」なんて、卓球部の女の子たちが、完全に卓球にはまっていて、しかも、けっこう、みんな体が「ごつい」んだよねw でも、そういった態度自体が気にならないというか、それくらい、卓球にはまっている姿が描かれる)。
ようするに、こういった趣味をもっている人ならだれもが体験するような、「あるある」をふんだんに作品にもりこんでくるから、作品になんらかの「リアリティ」があるんですよね。
そういう意味では、「観念的じゃない」わけです。なんというか、理屈で考えれば、論理的にはそうなるんだろうけど、別に、それについての体験をしているわけではないから、それほど深いことは書けない、といったような、そういった作品は、なんか薄っぺらいんですよね。
ここで、いい加減、掲題のタイトルの話題に入っていこうと思うが、老倉育(おいくらそだち)というのは、西尾維新の小説、<物語>シリーズの登場人物なわけだが、彼女については以前もこのブログで書いた。
もう一度整理をすると、以下のような形になっている。

  • 終物語...直江津高校。物語形式。主人公の阿良々木の視点で描かれる。ダークヒロインの位置で、エキセントリックに阿良々木を攻撃する。
  • 愚物語...直江津高校を転校して別の高校。老倉の視点での一人称のモノローグ。
  • 撫物語...大学生。撫子の視点での一人称のモノローグ。私たちは、老倉のことを撫子が街で偶然に再会した様子の「描写」によって知る。

終物語で初登場する老倉育は、この<物語>シリーズにおいては、阿良々木が戦場ヶ原ひたぎと恋人同士になった後の話であり、つまり、老倉は「ヒロイン」とは言うが、そもそも阿良々木と老倉が恋人関係に発展したり、それと類似の「ルーティン」を行う関係に突入することがありえない情況になったところから、彼女の登場が始まっているのが特徴であり、実際に老倉育は「怪異」の体験をしていない、唯一のヒロインだと言ってもいい。
老倉育の問題は、ちょうど、アニメ「君の名は。」の逆の展開をしている。つまり、阿良々木は老倉を「忘れていた」のだが、なぜ彼が彼女を忘れたのかといえば、

  • 阿良々木は老倉を忘れることによって「幸せ」になれたから

と言うしかない。少年時代の阿良々木は、老倉の「不幸な家庭事情」を知っていながら、その彼女の存在を「忘れる」ことによって、阿良々木は戦場ヶ原というような彼女と幸せになれた。それは

  • 忘れる

ことによってであった。宮台真司がよく「クレージークレーマー」問題とか言っているが、ようするにこういった「人生に成功した」連中は、さまざまな人の不幸を見て見ぬふりをして生きてきたから「幸せ」になったに過ぎない。老倉が、激しく阿良々木を憎むのは、アニメ「君の名は。」が、忘れてはいけない大事なものを忘れてしまうことを苦しさに煩悶するなら、阿良々木は

  • 老倉のことを忘れることで幸せになれたオレってラッキー

というわけである。
実際、阿良々木のハイスクール・ライフにとって、戦場ヶ原との「いちゃラブ」をやっていくためには、同じ学校に、老倉のような「昔の女」がいちゃ「邪魔」だから、

  • さっさと彼女を転校させる

というわけである。それで「ハッピーエンド」だというのだから、なにをか言わんや、なわけであろう。
そういう意味では、愚物語における、老倉の転校先の高校での彼女を作者は描かないわけにいかなかった。しかし、そこにおける描写手法は、独特の形をとることになる。サミュエル・ベケットの『モロイ』を思わせるような、老倉の

は、読者に異様な印象を与えるが、むしろ、その限られた「視点」が逆に、この問題の「視点」を私たちに教えてくれる。
対して、撫物語はどうだろうか? 撫子という、阿良々木の妹の同級生で、子どもの頃から仲がよかったわけだが、その関係で、撫子は、老倉を知っていたし、老倉も撫子を知っていた。この作品は、撫子の「モノローグ」によって語られるわけだが、偶然街で老倉に再会した、撫子は、その様子を、たんたんと報告する。
撫子が、今は学校に行っていないことを知って、老倉は彼女をなぐさめる。自分の体験から、そういった時期がたとえあったとしても、

  • なんとか大人になることぐらいはできる

と。この作品を読んで老倉の半生を知っている私たちは、彼女が彼女にとって、非常に重要なことをここで述べているということに気づくわけだが、撫子にとっては、そういった話はまだ、あまり実感のあるものではないので、非常に軽く聞き流している印象を受ける。

そこまで配慮してくれているんだとしたら、この人、元引きこもりとは思えないくらい、対人関係のプロですよ。
こうなると媚び撫子の空っぽのリアクション能力が、いたたまれません。
もしかして大学は心理学科でしょうか。
「いえ、数学科よ」
そんな学科があるんですね、
世の中、知らないことだらけです。

撫物語 (講談社BOX)

撫物語 (講談社BOX)

「大丈夫なのよ、撫子ちゃん。将来、自分がどうなってしまうのか不安なままでも、生きてさえいれば、大人くらいにはなれるから」
だから----安心しなさい。
そう言って育お姉ちゃんは、ごく自然な動作で手を伸ばし、私の頭をふわりと撫でました----髪の毛に触られるのを心地いいと感じたのは、初めてのことでした。
撫物語 (講談社BOX)

おそらく、このくだりは書かれなければならなかった。まず、阿良々木「だけ」を幸せなままにして、老倉を不幸なままに作者はしておくことができなかった。阿良々木と戦場ヶ原がなぜ大学は数学科を受験したのかといえば、もとはといえば、老倉が阿良々木に数学の楽しさを教えたのだから、そう考えるなら、老倉に数学科に入れないわけにはいかなかった。
そして、そう言っている今の老倉の大学生活も、転校した先の高校がそうだったように、そんなに楽しいものではなかったわけだけど、

  • 大人になるくらいはできる

ということを彼女に言わせることは、例えば、アニメ「ViVid Strike」の主人公のフーカ・レヴェントンとリンネ・ベルリネッタが、両親もいないまま、施設で、二人だけで、「私たちは大人になれるのか」と問うことと同型なのであって、むしろ、こういったところに

  • 幸せ

が「ありうる」社会を構想できるのか、というところにこそ、未来の理想社会を構想する意味があるわけであろう...。
(最後はおまけであるが、先月、老倉育のフィギアが発売になって、さっそく見てみたが、ちょっと目元が優しいんだよねw
なんというか、<物語>シリーズで発売しているから、どこかルーティーンで作っているところがあるんでしょうね。実際安くて、おてごろな値段でしたし。なんとも、輪郭のぼやけた、残念な感じはしたのだが。
ただ、ここのサイトの人の画像を見せてもらうと、けっこう、鋭くなる角度でとってるなあ、と思って感心したんだけどw




【レビュー】物語シリーズ 老倉育 フィギュア | FIGUP

まあ、こんなところですかね。私にとっての、老倉育「問題」なるものは...。)