如月ショック

アニメ「劇場版艦これ」は、全体として「シリアス」路線での作品となっていたわけだが、テレビ版を見ていた人たちにとっては、これはどういうことなのだろうか、といった感想はもったのではないだろうか。
テレビ版は、それなりに、「息抜き回」のようなものもあって、各キャラの「性格」を強調するような場面も、各キャラごとに満遍なくちりばめられていたように思われる。そう考えると、なぜ映画版は、そういった「要素」をとりいれなかったのだろうか、といったことは思ったわけである。
例えば、アニメ「この世界の片隅に」は、「反戦を描かなかったのがいい」という評価が一部でされているのだそうである(おそらく、ネトウヨ的な発言なのだろうが)。そして、同じようなことは、アニメ「艦これ」についても言えるんじゃないか、と思っている。
アニメ「この世界の片隅に」は、戦中の日本の庶民の生活を描いているわけであるが、もしもそこで「反戦」が描かれてしまうと、この作品を純粋に「快楽」で見れないわけである。なんらかの「不純」な要素を含意して見ないといけなくなる。当時の庶民は必死にがんばって、毎日を生きていたし、それも「国を守るため」なんだ、と。向こう(アメリカ)が攻めてきているんだから、女子供を守るために、相手を殺すのは当たり前なんだ、と。
しかし、こう言ってはなんだが、日本が中国を「侵略」したのは、中国の「戦利品」が目当てだったのではないのか。戦争に勝てば、中国の土地を自分のものにできる、中国の女を自分のものにできる、中国の財産を自分のものにできる。
もしも、第二次世界大戦で、ナチス・ドイツと日本が勝っていたら、

  • 本当に勝っていたら

世界はどうなっていたのか? ナチス・ドイツと日本は「タッグ」を組んでいた。一体、なにを始めていただろう?

だが、原作ゲームにおける轟沈は決して現実のような理不尽・不可避なものではない。黎明期の幾多の艦娘の犠牲や有志の検証によって轟沈の条件が既に明確になっており、艦娘を沈めないプレイングは現実的なものとなっていた。つまり、(少なくともアニメが放映された時点では)提督の采配次第で、轟沈の悲劇は確実に回避することが可能なのである。
このため、多くの提督の間では艦娘を轟沈させることはタブー視・忌避されており(捨て艦という用語が存在するのも、それを忌避する層の存在ゆえである)「荒れる種であり提督間のタブーでもある轟沈は、そもそも扱わないか、扱いに慎重になるだろう」という、視聴者の慢心・淡い希望・思い込みがあった。しかし、この如月の儚くあっさりとした最期により、ここで打ち砕かれたのである。
事実、テレビ番組「zip!」の艦これ特集で蒼龍・比叡を轟沈させた場面では「故意に轟沈させたのではないか」「(レベルから考えて)手に入れたばかりだろうに、何てことをするんだ」といった批判の声が多く、Twitterでも大いに話題になっていた。
如月ショック (きさらぎしょっく)とは【ピクシブ百科事典】

なぜ、映画版の艦これはああだったのか? それは、テレビ版の第3話で描かれた、如月の「轟沈」という

  • 鬱展開

に、なんらかの「決着」をつけなければならなかった。原作ゲームのプレーヤーである「提督」たちにとって、このKYな話の展開は、単に「どん引き」だった、それに尽きているのであろう。テレビ版は、艦これユーザーから、非常に評判が悪かった。つまり、各チャラとのネタ的な展開をちらばめてどうのこうのの前に、この「落とし前」をつけない限り、そもそもの作品の評価をコミュニティからしてもらえなかった。
早い話が、如月ちゃんが海の藻屑となって、海の下に沈んでいるのに、キャピキャピとみんなで笑っていたって、どん引きなのだ。
こうやって考えると、私たちが日頃、「どうやって」物語を消費しているのかが、よく分かるのではないか。物語の途中で、ヒロインが、ゴミ屑のように、なんの意味もない、なんの「世界」の意味もない、田舎のチンピラに殺されて死ぬ(例えば、アニメ「戦う司書」のノロティを思い出してもいい)。しかし、じゃあそうやって殺すなら殺すで、なんらかの

  • 聖性

をそこにもたせなければならない(ノロティは、その後、なんらかの神のような存在として、重要な役割となる)。例えば、カミカゼで死んだ若者は、靖国の神となったように。
ここにあるのは、なんらかの「贈与」の関係だと言えるだろう。私たちは、彼女の無惨な死を、たんにその事実として受けとれない。つまり、なんらかの「返礼」を相手に行えないなら、理不尽だと考えてしまう。
ある「神話」があったとして、その話で、突然、ヒロインが無惨な死を迎えたところで突然、話が終わっていたとして、ミームはそれをそのままにしておかない。

  • 話を捨てる
  • 話を改変する

この二つが往々にして起きるわけだが、もしもこの二つがどうしてもかなわないとき、

  • 新たな話が追加される

ということが起きる。今回の映画版艦これが、どうしても描かれなければならなかったのがこれだと言えるだろう...。