グローバル化運命論という悪魔

つい最近まで、世界中で流行していた議論が「グローバル化」であった。世界は必然的に「グローバル化」していく、と。まあ、どこの世界でも同じようなショッピングモールwができて、同じような商品が並んで、同じような言語を話すようになり、話す内容も同じになる。どこに住んでいる人間も同じような生活水準になって、同じようなことを

  • 考えて

暮らすようになり、ようするに「同じ」になる、というわけである。
もちろん、こういったことを言っている連中はだから、「みんな」が「お金持ち」「貧乏人」ではなく、「中産階級」になると言っているわけではない。この区別は、どんな先進国の中でもあるように、世界が「フラット化」しても存在し続ける、と言うわけでw、なんなんだかな、と思わなくはないのだが。

宮台 これからますます貧困化していくことは確実です。ますます幸せより金という人たちがでてきます。この人たちはよくもあしくもクレクレタコラですから、「行政、金だせよこの野郎」になります。でも、残念ながらグローバル化が進んでいきますから、企業の収益が上がったとしても、残念ながら税収はどんどん下がっていきます。これは確実です。
となりますと、国に、行政に金だせといっても金はでてきません。今後永久にこれはありません。しかしこれはね。1997年にブレア政権をサポートしたアンソニー・ギデンズがすでに言ってたことじゃあないですか。グローバル化が進めば、国が困っている個人を直接手当てする可能性は今後、なくなると。よってなにが可能になるかといえば、社会投資国家が可能だと。ようは、個人を直接、国が支えるのではなく、個人はまず社会に包摂される。社会とは地域社会、あるいは宗教共同体、大規模な血縁集団。いろいろあるかもしれませんが、いずれにしろそこでまず相互扶助、助け合い、尊厳の確保がなされた上で、そういう個人を包摂する社会を国家が支援すると。これ以外の方法は、今後絶対にありえないと断言している。
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ここで、わざわざブレア政権がとりあげられていることが典型的だが、ようするにこれって、ブレグジットに反対していた連中が言っていた「運命」論ですよね。「こんなことをしたら大変なことになる」と血相変えて怒っていた人たちが言っていたことで、だから、イギリスは、「じゃあブレグジットね」と、EUを離脱してしまった。
同じことがアメリカでの、トランプの当選で起きたわけで、ようするに上記の引用にあるような、

  • (自称)運命

に、じゃあみんなで逆らおうよ、ってんで、トランプが当選したわけでしょうw じゃあ、ここで言っている「運命」ってなんだったんだろうねw あのさ。トランプの当選は、ある意味において、ロジカルなわけでしょう。つまり、オバマは確かに「いいこと」を多くやったのかもしんないけど、ウォールストリートの改革がその典型であるように、早い話が彼をもってしても、既存のエスタブリッシュメントの腐敗に対しては、なにもできなかったわけでしょう。じゃあ、なぜできなかったのか? 国民はおそらく、民主党が弱かったから、と考えるでしょう。民主党共和党に比べて、さまざまに弱かった。だったら、国民は

を当選させようとするんじゃないだろうか。民主党は自分たちが政権をとっても、政治の最大の課題を解決できないなら、自ら野に下るしかないわけだよね。国民に三行半を下されるわけです。そして、それがトランプだった。トランプの言っていることは、本来、民主党がやらなければならない政策だった。ところが、民主党の中枢はエスタブリッシュメントにズブズブだったので、彼らと距離を置いた政策を採用できない体質になっていた。ようするに、トランプは

  • 共和党の党内選挙で「勝利」することで、共和党はトランプを応援しないわけにいかなくなった
  • 民主党はトランプが民主党より「民主党」な政策を主張すると、トランプの政策に反対できなくなる

というわけで、「みんな」の賛成を勝ちとり、結果として、トランプが「民主党の理念」を実現する、というパラドックスが起きるわけである。
さて。宮台の言う「運命論」ってなんだったんだろうねw これこそまさに「ポストモダン」的なニセ科学じゃないのかw

宮台 もともとジャン・ジャック・ルソーも想定したような、政治的な自律できる主体っていうのは、集団主体として2万人が限度で、国民国家なんていうのは、あるいは、何万、何千万、何億人なんてね、あかの他人なのに仲間だと思わなくちゃいけなくて、そのあかの他人を仲間だと思って戦争しなきゃいけないとかって、もうまったくありえないし、経済主体についていえば、そのあかの他人のために再配分の原資にあたるような、再配分の税金をとらせてあげるって、基本的にありうえない、動機づけがありえない。あかの他人をどうして助けんだよ。そういう状態の中で国民国家っていう枠が意味をもたなくなったときに、しかし、じゃあどういうにして国家が下支えしているとされていた社会を支えるのだろう。
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ここにまで至ると、宮台の「本音」が爆発しているようにも読めますよね。ようするに、宮台は自分の「お金持ち」としての財産を、貧乏人にとられるのが嫌なんだ。いろいろ偉そうなことを言っているけど、日本国民に自分の貯めたお金を取られたくない。
宮台はお金持ちが、国家によって、高負担の所得税をとられることが我慢ならなかったわけだ。そして、それを止めさせる理屈をなんとかして、こんな変な理屈まで作りあげた。
だったら宮台は、とりあえず「2万人」だか知らないけど、世田谷区に税金を納めればいいんじゃないかな。でも、やんないんでしょ。
私は前から思っていたんですけど、上記の一番目の引用にある、「新しい公共」って非常に問題があるんじゃないかと思うんですよね。というのは、そもそもこれって、

  • 国家がお金がないから、国民は自分たちで融通しろ

というわけでしょ。ようするに、個人主義批判なんだよね。しかも、その理由が「国家はお金がない」から。
まさに、この「思想」って石原慎太郎東京都知事の時代の、新自由主義的な「福祉削減論」ですよね。国家は国民に福祉を使わない。そう言っておきながら、裏では、企業には国家は膨大なお金を注いでいたわけだ。
そもそもここで「お金がない」と言っていること自体が、イデオロギー臭いわけだけど、それ以前に非常に問題なのは

という発言なわけでしょう。常に、この世界で「困っている」人は個人ですよ。だから、個人を人々は助けるのでしょう。もしも、公共的なマインドとして、こういった「個人主義」の前提がなかったら、それは恐しい世界なんじゃないのか?

低所得高齢者への公的支援がいくつも用意されている米国と違い、日本の下流老人が頼れるのは生活保護だけである。にもかかわらず、それが「セーフティネット」の役割をあまり果たしていない。生活苦にあえぐ下流老人が役所へ申請に行っても、「親族に扶養してもらえないのですか」などと聞かれて、なかなか認定してもらえなかったりするのだ。それが結果的に先述したような悲惨な事件につながることもある。
そこで提案したいのだが、生活保護を使いやすくするために申請者の親族に対して行われる扶養の可否の照会をやめたらどうだろうか。役所から親族に連絡が行くのを恐れて申請をためらう人が少なくないからである。他の先進国を見ても、親族に扶養義務を課しているのはドイツとイタリアくらいで、米国、イギリス、スウェーデン、オーストラリアなどほとんどの国では受給条件として問われるのは個人の資格だけだ。

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なぜかアメリカでは、こういった「個人主義」が当たり前のように存在して、制度としてさえ、機能している。なんで日本ではこういった基本的なことができないんでしょうかね。それは、ようするに、宮台先生のような人が石原元都知事の「御用学者」として、彼の貧乏人差別主義を「擁護」してきたからなんじゃないのか。
まあ。今の民進党では、宮台先生も適当にハブられているんだろうから、そう影響力もなくて、いい感じなんでしょうが...。