アニメ「リトルウィッチアカデミア」について

今期のアニメの中でも「リトルウィッチアカデミア」がおもしろい。ただ、このアニメには映画版など以前にも作成されたいきさつがあるようで、基本的なアイデアは以前から周知されていた、ということなのであろう。
ヨーロッパの魔女育成学校に通う日本出身のアツコ・カガリ、あだなはアッコは、魔法の勉強は苦手だが、毎日を前向きに生きている。子供の頃に、シャリオの魔法ショーを見てから、シャリオにあこがれて魔女になろうと学んでいる。
第13話「サムハインの魔法」において、次の魔法祭のアッコとロッテ、スーシィはその演目の一つである、嘆きのバハロワの「いけにえ」に選ばれるのだが、アッコはそのバハロワを

  • 笑わせる

こと、観衆に魔法が楽しいものだと思ってもらえるようなショーにしたいと考える。
キャベンディッシュ家という名門の出身のダイアナは、今回もアッコが自分が任された役割から逃げていると非難をしていたが、アッコが見せたこの魔法祭でのバハロワの「呪い」からの「救済」に、なんとも言えない感情にとらわれる。
こうやって見ると、アッコとダイアナの対比は、アニメ「キルラキル」とも似ているし、アニメ「とある魔術の禁書目録」における、上条ちゃんや、御坂と佐天との対比を思わせるような

  • 高学歴
  • 低学歴

の対比を見せている。確かにアッコは「成績」はよくない。しかし、彼女こそ最も人間が必要とされている「徳」を備えている、と言わざるをえない。つまり、人が生きる上でも最も重要なことをアッコは実践している。
アーシュラ先生は常に、アッコの側にいて、彼女を励ます。それは、いわゆる「学校の勉強」のような、

  • 一般的

な評価でアッコを見捨てない。それは、自らがそうである「シャリオ」自身が学校時代には「おちこぼれ」だったから。
アッコは確かに魔法の成績は悪い。一つとしてうまく魔法を使えない。そういう意味では、ダイアナとは天と地の差がある。しかし、彼女はシャリオのようになりたいと思っている。つまり、シャリオが何をやったのかが、ここでは問われている。
シャリオはアッコが子供の頃、みんなを笑わせて、「楽しい」思いになってもらいたいとショーを行っていた。
つまり、シャリオは人間にとって大事なことは、「能力」といったような未来において使われるかどうかも分からない「潜在能力」ではなく

  • 今、この瞬間

だと言いたいのだ。今、私たちが生きることを「楽しい」と思うことを大事だと彼女は考えた。それが日々を生きようとする源泉であり、人間の徳の「基本」なのであり、そういう意味でダイアナは、所詮は凡庸な秀才でしかなかった、ということになるだろう...。