「TPP賛成」派の東浩紀先生

そもそも、今回の東先生の本を「礼賛」している人たちって、東先生が主張している「TPP」に賛成なのだろうか? 彼はいち早く、TPPに「賛成」していた。いや、それ以降、一度として、このTPPの具体的内容に関連して、

  • 反対

を発言したことがない。これは、私たち日本に住んでいる人にとって「恐しい」ことではないのか?
おそらく、この主張と今回の彼の本は深く関わっている。彼の「普遍主義」がTPP賛成を国民に要求する。いわばこれは、「踏み絵」なのだ。彼のこの本を「礼賛」するということが、TPPの無条件賛成と繋がっている。暗に、そういった態度を強制しているわけである。
しかし、今の国会を見ても、恐しい惨状をていしている。種子法廃止や水道民営化など、次々と「外資」に日本を売る、まさに、

  • TPP法案

が国会に提出され、いずれ日本はアメリカの属国になるであろう。トランプが「日本のあれをくれ、これをくれ」と言ったら、唯唯諾諾と従う日本の売国奴という「普遍主義者」が、日本をアメリカに「譲渡」することによって、彼らがアメリカに「特別視」されることで、既得権益とするわけであるw
そういう意味では、彼らは「テロリスト」である。
よく考えてみてほしい。東先生はTPP賛成である。それを理由に、トランプを「ポピュリスト」として非難し、一刻も早くTPPの実現を目指すべきと主張している。つまり。、その延長で彼は日本のコミケなどの「二次創作」文化に「反対」だったのではないのか? ところが今回の本では、最初にわざわざ「二次創作」という章まで用意して、議論し、なぜかネット上では「そのこと」を理由にして、この本を賞賛している議論まである。しかし、TPPを字義通りに読めば、今後、コミケは維持できないであろう。しかし、そもそも商業誌でいくらでも出版物を出している東先生にすれば、「競争相手」としてのコミケを排除できることになんの痛痒もないわけであろうw
東先生が今までさまざまに発言してきた「東京主義=都市中心主義」にしても、日本の地方への「福祉」を廃止して、都心部のインフラに一極集中させるべき、という主張だったわけで。彼はそれを「友敵理論」で説明していた。つまり、「仲間」である、東京住民(都市住民)が

である「地方」と戦うと。例えば、福島第一観光地化計画にしても、その福島第一の「事故=事故を起こしたプラントの廃墟」が

  • 世界史的な意味

があるから、これを「芸術作品」として、「観光地化」させるとしか言っていなく、一度として「福島」に住んでいる人々にコミットメントしているわけではない。彼が被災地の廃墟となった「小学校」に衝撃を受けた内容のエッセイでも、むしろその

  • (少し前までの生活感が生々しい)廃校となった小学校という「芸術作品」

に「世界史的な意味」がある、といった主張に過ぎず、また、被災者一人一人への「共感」にしても、それは「福島」の人に対する感情というより、

  • 一般的な(普遍的な)人間への共感

というレベルを超えない視線を感じさせる。しかし、それは当然なわけであろう。なぜなら、彼の立場は「普遍主義」なのだから。それを理由に「福祉」に反対する「リバタリアニズム」なのだから。つまり、彼は一度も原発を否定していない。むしろ、地方に人間が住まないで、地方にだれも人がいなければ、そこに原発を作って、そこから東京に電気をもってくればいい、ということをにおわせることを言ってもいる。というか、しつこいくらいに、福島第一の低線量放射性物質の人々への影響はない、という発言を繰り返していることからも分かるように、そもそも彼の立場は

  • 地方に人が住んでいるのが「悪い」

という立場なのだ。地方は「敵」であり、地方を滅ぼして、地方を

  • 東京(=都市)の幸せ

のためだけに使えば、東京はより「幸せ」になり、「ワンダーランド」になる。例えば、彼の言う「観光」にしても、どこにも、レヴィ=ストロースが言っていたような「旅は嫌いだ」といったニュアンスがない。つまり、彼の言う「観光」は、そもそも、世界の「フラット化」された、都市群を「周遊」するだけを意味しており、なぜかどこに「同じ」内容のもしか置いていない「ショッピングモール」を回り、マクドナルドのハンバーガーを食べる「だけ」の「旅行」なのであって、つまりは、

  • 外国の自分と同じ「インテリ」と繋がる

ための儀式にすぎない。つまり、「観光」とは、「敵」である自国の「地方」を滅ぼすために、「外国」勢力の都市主義者と「連帯」するための手段を言っているに過ぎないわけだ...。