ゲンロン0という自己啓発本

ある程度、マーケティング的なことを行っていくと、どんな本が売れるのか売れないのかということは分かっていく。一番効果的なのは、

ということになるであろう。とにかく、ネガティブなことは言わない。どんな話題でも、とにかく「マッチョ」なことを言っているといい。ようするに、

  • お前はもっと「がんばれ」

と言っている本が売れる。
とにかく、一番ダメなのは、書いている本人が「鬱」になる話題で、本人が他人から「元気」と見られなければ、「それを目指そう」となってくれないからマズい。だから、なんとしてでも、自分のカラ元気をふりしぼる。ようするに、それを可能にすることを言う。自分への批判は見ないようにする。それは自分への「悪口」であり、自分への悪意なのだと考える。
人は批判されることが嫌いで、とにかく、なんとかして批判から逃げようとする。それは批判している人が「間違っている」ということにしたい。そうすれば、自分がそれに直面しないですむから。
しかし、こういうことを実践しているものこそ、まさに「自己啓発セミナー」であろう。
東浩紀先生は、『福島第一原発観光地化計画』から、ちょっとそういった「鬱病」の傾向を感じさせる本を書くようになった。この本においては、リニア新幹線が東京と福島を繋ぎ、その福島から、ロケットが宇宙に発射される、という一体だれがこんなことを「夢見ている」のかさっぱり分からない「目標」を掲げて自分を鼓舞している。つまり、これを見ると、いろいろ書いてあるけど、日本は原発を止める気はない、ということを言っている、というふうにしか読めない。
あれほどの原発事故があっても、それでもなお、原発を人間は手放せない。それは、人間の「進化」にとって、原発が必要だから、というわけである。
とにかくデカイこと、マッチョなことが言いたい、ということらしい。
今回出版された「ゲンロン0」においての彼がどういう理屈で「ふまじめ」を正当化しているのかなと読んでみると、彼が相変わらず、世紀末に酒鬼薔薇聖斗事件に対応して宮台真司が述べた「脱社会的存在」論の延長で語っているんだな、と。そうやって見ると、ようするに

というのはこういうことだったんだな、と改めて総括できると思っている。

ぼくがここで念頭に置いているのは、ホームグロウン・テロリストやローンウルフと呼ばれる、先進国の内部で、組織的な背景がなく孤独に犯罪を準備する新しいタイプのテロリストたちである。彼らはイデオロギーをもたない、標的も政治家や経済要人に限らない。彼らはむしろ、この二一世紀の世界で幸せに生きる一般大衆、それ自体を攻撃する。ロンドン万博に大衆料金で入り(同万博には特定の日に入場料が安くなる制度があった)、パリのパサージュを一銭も使わずに遊歩して楽しんでいた労働者階級、その子孫をこそ標的としている。
現実にそのような事件は頻繁に起きている。本書執筆の前後に限っても、まず二〇一五年の一一月にはパリでライブハウスやレストランが銃撃された。二〇一六年にはフロリダでナイトクラブが襲われ、同月のイスタンブールでは空港のロビーが爆破され、同年七月にはニースで花火大会帰りの観光客で賑わう街路にトラックが突入した。年末の一二月にはベルリンでも同じようにトラックがクリスマス市に突入し、そして年が明けて二〇一七年元日には、ふたたびイスタンブルールのナイトクラブで銃の乱射が起きている。いずれもとくに政治的なイベントがあったわけではなく、標的になる要人がいたわけでもない。紛争地でもない。犯人が特定されれば(たいていは死んでいるが)いちおうは動機が探られ、ジハーディズム(イスラム過激主義)や難民問題との関連が掘りだされるが、その内実はといえば、ネットで動画を熱心に観ていたていどであることも多い。
そんな彼らの動機については、「まじめ」に考察すればするほど空回りしてしまう。

ゲンロン0 観光客の哲学

ゲンロン0 観光客の哲学

上記の東先生の「理屈」が何を言いたいか分かるだろうか? ようするに、宮台真司さんが酒鬼薔薇聖斗に言った「脱社会的存在」が今、世界中を席巻している、と言っているわけである。さて、

  • あなたはそう思いますか?

今、ネットでゲンロン0を絶賛している人たちって、上記の理屈を絶賛しているんだろうか? まず上記の理屈がおかしいのは、ようするにここには一つも日本の例がないことでしょう。なんで日本の例がないのか? 日本が基本的に平和だからでしょうw じゃあ、なんで日本ではこういった「事例」がないんでしょうか? なんでなんでしょうね。
それでは、なんで東先生はこういうことを言って、日本の平和に生きている人々を「怖がらせ」ようとしているのか? なんらかのマーケティング的な「意図」があるわけでしょうw
そもそも、東先生は知らないわけでしょう、そういった各地域での、こういった犯罪に至った人たちの事情を。まず、上記の加害者はイスラム系なのか? なぜ、そうなのか、そうでないのかを書かないのか?
というかさ。日本で起きたじゃん。

  • 相模原事件

の加害者は、典型的な「福祉反対論者」であったことが知られている。つまりは、身体障害者にお金を使うことは「社会の無駄」だという主張だった。これこそまさに、政治的な意図があったのではないのか? しかも、右翼団体に関係していた時期があり、ドラッグとの関係も噂された。
というか、なぜ東浩紀先生はこの日本でよく知られている事件を無視したのか? 言うまでもない。これこそ、「政治的」な犯罪だったから。もっと言えば、まるで

  • 東先生の主張に「共感」して犯した犯罪

のようにすら見える、そういった性質の「政治的」な犯罪行為だったからであろう。自分に都合の悪い事例は無視して、警察に射殺されて彼らの本意を辿れない事例は勝手に「脱社会的存在」と決めつけて、この人は一体なにをやりたいんだろう?
東浩紀先生の言う「ふまじめ」というのは、あらゆる「規範」を否定する

ということになるであろう。しかし、だとするなら、ここで言う東先生の「乗り越える」とは一体何を言いたいのだろう?

けれども、人文系の学者は、まさにいま「まじめ」と「ふまじめ」のその二項対立こそを超えねばならないというのがぼくの認識である。
ゲンロン0 観光客の哲学

まあ。普通に読めば、東浩紀先生自身が一種の「サイコパス」であって、でも、そのことを社会に認めさせたい、と解釈するしかないんじゃないんですかねw だから、彼は「御用学者」を肯定する。「東大話法」を肯定する。なぜなら、「御用学者」も「東大話法」も

だからなのだ。彼はあらゆる「不道徳」をそれが「芸術」であるという理由で「肯定」できると思っている。つまり、人間はなにをやってもいい。ただし、それは人間が「動物」として「管理」される(=奴隷にされる)ことを意味しているわけである(もちろん、そうやって「管理」する「エリート」と大衆を区別しているわけだw)。
以下の書評で橋爪大三郎にほめられて喜んでいるみたいだけど、そもそも、橋爪大三郎は消費税35%男なわけでしょうw 財務省の手先として、宮台真司と一緒になって、福祉不可能論を唱えている。そりゃあ、意見が合うにきまってますよねw というか、ほとんど褒め殺しですよね。

粗削りで強引な論かもしれない。
今週の本棚:橋爪大三郎・評 『ゲンロン0 観光客の哲学』=東浩紀・著 - 毎日新聞

いや。そう言っちゃったら、全否定と変わらない気がするんですが、橋爪先生...。