レイプ事件とアカウンタビリティ

レイプ事件の御用ジャーナリストは、まさに『総理』という、レイプ事件で不起訴になって、TBSを辞めた後に書いた本の後書きで次のように書いている。

一般人の感想ならまだしも、もしジャーナリズムや学者を名乗る人物が「最も総理にしてはいけない」と断定するなら、根拠を示す必要があり、どのような人物が適しているのかという点について見解を表明した上で、対象となる政治家について客観的事実を示し、適不適を評定するのが責任ある発言者の態度だといえよう。これができないのであれば単に感情的に批判していることは明らかであり、その評論はジャーナリズムのもアカデミズムにも属さないといわざるをえない。
「アメ政治を許さない」と主張する人の話を聞いてみても、アベもアベ政治も知らないケースが多い。イデオロギーや好悪に基づいて感情的にアベを嫌い、印象論でレッテルを張り、戦略的にアベを貶めようとする人がほとんどだ。

総理 (幻冬舎文庫)

総理 (幻冬舎文庫)

(すげーな。これもう文庫になってんだw)少なくとも、自分の行ったレイプの起訴を逃れるために、「アベ」に泣きついて、「アベ」にお情けをもらって、TBSを解雇される前に自分で辞めて退職金をもらい、「アベ」の御用本を書いて、「アベ」ヨイショのために、テレビのコメンテーターを出まくっていた人が言う

  • 「アベ」批判は「レッテル張り」だ

っていう主張に一体、なんの説得力を感じればいいのだろうw あんたさ。まず、起訴されろよ。そして、ちゃんと裁判の場で、まっとうな世間の「評価」を浴びろよ。その上で、偉そうな能書きをたれればいいんだよ。やることやってから、人前に出なよな。
しかしね。こんなふうに言っている「御用」知識人は日本中にいっぱいいるんじゃないだろうか。まるで、この本の後書きを読んで

  • 勇気づけられた

かのように、安倍政権は「パヨク」が言うほど悪くない、みたいな。現にアベノミクスとか、がんばってるじゃないか、とか言ってる連中。しかし、それって一体、何を言っていることになるのだろう? まさに「プロレス」なわけで、ああ言えば上祐
民主党政権のとき、基本的に記者会見はオープンになったはずなのに、安倍政権になったら、また、元の「秘密」政治に戻ってしまった。これを、

  • いや。民主党が「リベラル」すぎるのであって、自民党に記者会見をオープンにするように求めるなんて、大衆は「甘い」んじゃないか

みたいに言うんだったら、それってなんなんだろうな、と思うわけである。
もちろん、こんなことは、最初から自分は民主主義に反対なんだ、エリート秘密主義でいいんだ、と言っているような、化石のようなエリート・インテリに向かってどうこう言いたいわけではないわけである。そういった「エリート」勘違い連中は邪魔だから、早く死んでくれないかな、とは思うけど、彼らがそう簡単に説得されるとなんて思っていない。というか、最初から、こんな連中は話相手だと思っていない。こんなことを言っている連中の書く本なんて、どうせたいして売れないし、ほとんどの国民に無視されて、未来永劫忘れられるだけだと思っているので、最初から無視すればいい。
私がまともに相手にしているのは、少なくとも、民主主義が重要だと思っている人たちには、このことがいかに重要であるのかを分かってもらえるはずなのではないか。
なぜ、安倍政権は記者会見をオープンにできないのか。それは、今の共謀罪の国会での議論を見れば分かるのではないか。つまり、大臣があまりに「素人」すぎて、なぜこんな奴が大臣を務めているのかが、だれにも理解できない。一言で言えば、

  • 安倍首相の「お友達」だから

と言うしか、まったく理由を思い付かない。
そもそも、安倍首相自身が答えられないのだ。全部の質問を前日にもらって、官僚に模範答弁を書かせて、プロジェクターに映して、それを読み上げることしかできない。
つまり、それ以外には何も言えないのだから、つまりは、なにも答えられないのと変わらないのだ。一切のイレギュラーな問題に答えられない。
じゃあ、なんで総理大臣をやっているんだろうね。
自分が答えられない問題は、官僚に模範答弁を書かせようにも、その模範答弁を国民が気に入ってくれない。というか、安倍総理自身が自分でがんばって答弁を考えても、国民が気に入ってくれそうな答弁になりそうにない(国民は頭がいいからね)。だったら、まず、自分が

  • 満足

できる答弁という一線をあきらめるしかないと思うわけだが、彼はそれをやらない。それは、自分が「総理大臣」だから、この日本で一番「偉い」のだから、どんな答弁であっても

  • 言いたくなければ言わなくていい

という「権利」が認められている、と解釈しているからだ(まあ、だれも彼に命令できない、とはそういう意味なのだからw)。
しかし、そんなことでいいのだろうか?
たとえば、あなたが会社の社長だとしよう。そして、ある社員があなたに「経費」で落とすことを認めてくれと領収書をもってきたとしよう。その場合、あなたは、それを認めるだろうか? 言うまでもない。その社員の

  • 説明次第

なわけであろう。つまり「理由」である。その社員の説明する「理由」があなたにとって納得のいく「合理的」な内容であるなら、ひとまずはその説明を受け入れるのではないか。
たとえば、あなたが裁判官だったとしよう。原告が「あいつは俺にひどいことをした」と言ったとき、「具体的になにをされたのですか」と聞いたら、「いや、それは言えない」とか言われたら、どうして被告を有罪にできるだろうw
じゃあ、今。安倍政権で起きていることとは、なんなのだろう。
大事なポイントは、国民が選挙で、自民党に投票するか、野党に投票するかの選択を迫られたときに、質問にまともに答えられない安倍政権に、なんで、承認を与えなければならないのか、ということなのだ。
稲田防衛大臣が、次々と裁判で敗訴しているが、ということはつまり、「スラップ訴訟」であったということが明らかなわけであろう。裁判で訴えても、まったく、勝目のある答弁が行えない。じゃあ、なんで裁判を行うのかといったら、そうやって「スラップ訴訟」で、彼らが気に入らない人間を、「恐怖」させる、裁判行為で相手を脅しているわけであろう。
まあ、ようするに「アカウンタビリティ」のことをずっと言っているつもりなんだけど、エリート主義者って大衆に説明不要って考えの連中ですからね。安倍政権が自分が行うことについて、国民に説明できない、または、説明をまったくやる気がない、っていう態度について、エリート主義者は

  • 優しい

んだよねw だから、そもそもこういう人たちって、日本という民主主義国家に住んでちゃいけないんじゃないのか、と思うんですけどね。だって、民主主義に反対なんでしょ。だったら、日本を出ていって、民主主義を採用していない国を自分の居場所にすればいいわけじゃないですか。今の憲法が、戦後の昭和天皇の働きもあって「民主主義」国家が採用されているのに、それに反対なら、どうぞ日本を出ていって、自分の理想の国家に移住すればいいのにね。なんでしないんだろうね。きっと、日本がいい稼ぎ所なんでしょ。日本人の恵んでくれる、はしたお金に頼ってい生きているくせに、民主主義に反対って、じゃあ、天皇にでも、お金を恵んでもらえばいいのにね。
さて。そもそも、「理由」を用意できないということは、同じことを行う、ということである。レイプを警察にもみけさせたのなら、当然、また、同じことを行う。つまり、再犯する。そして、何度も繰り返す。しかし、今回、この御用ジャーナリストの犯罪を黙認したのなら、次に同じことを、こいつが行っても「以前と同じ」という理由によって、容認せざるをえなくなる。そして、泥沼に嵌っていく。もはや後戻りはできない。安倍の友だちに一度、レイプを合法化したなら、

  • みんな

に認めなければならなくなる。安倍首相はそうやって、次々と彼に泣きついてくる連中を「友だち」という理由で、無罪放免せざるをえなくなる。まあ、男子校のノリだよね。男同士の「友情」は、外部の女を「モノ」として扱うことで、男同士のホモセクシャルな友情や団結を強くする...。