坊屋春道の見る世界

漫画「クローズ」の外伝を読むと、主人公の坊屋春道の中学校時代の様子が、彼の後輩によって語られる場面があるが、その内容はその時の高校時代の彼の慣習と変わらないものがすでに中学時代に確立されていることを伺わせる内容になっている。
春道は徒党を組まない。それは、自分を「理由」として回りに後戻りのできない障害を負わせることをよしとしないから、ということになる。
しかし、もしもそれが重要なら、「オタク」になるしかないのではないか。つまり、引きこもりである。家の中にいて、そこから出てこない。こうすれば、基本的に自分の存在が外に知られることもないのだから、そういった心配が「発生」しない、というわけである。
ある意味で、それは示唆されている、とも考えられる。外伝において、春道は「この街も住みにくくなってきた」といったセリフを言うことで、彼は誰にも言わずに、高校を中退し、別の新天地を探すことを示唆している。
春道はまた、自分に向かってくる火の粉を払うためのケンカはするが、基本的には自分からケンカをしかけることはない。彼がもっている「世界観」はあまり語られないが、基本的には最初の方で説明されている、とも考えられる。

坊屋:カラスの学校なんて呼ばれてるとこに集まって来る連中は勉強嫌いでスポーツなんてかったりー......いったい自分が何していいのか分かんねー そんなヤツらばっかりさ! 退屈ってーのが嫌いで ありあまる力のはけ口を求めてるだけじゃねーか てめーの言ってるすべてなんて それだけのことさ!! どーってことねーだろーが! そんなことよりもよ! 仲間でも作るんだな おめーを見捨てた百人の兵隊なんかよりもよ 一人でもいーから 一緒に血ィ流してくれる仲間をよ!!

クローズ完全版 2 (少年チャンピオン・コミックス)

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坊屋がここで示唆しようとしているのは、なんらかのいきさつによって勉強やスポーツに熱中できなかった子どもたちが、なにをすればいいのか分からず、彷徨っている様子を言おうとしている。なぜ彼らは勉強やスポーツに熱中できないのか? それは、勉強やスポーツは大人たちが「お前たちのためだから」と言って、提供する何かであって、つまりはそれを受け入れることは「奴隷」になることを意味しているからだ。
彼ら、勉強やスポーツに熱中することのできなかった連中の多くは親を亡くしていたり、離婚をしていたりで、家庭に居場所がな。ところが、学校社会はそういった存在を前提にして構成されていない。必然的に彼らは疎外感をもつようにできているわけである。
彼らは「オタク」になれない。なぜなら、彼らを受け入れるはずの「家庭」が崩壊しているから、彼らは勉強やスポーツに熱中できないのであるから、そもそも原因と結果が反対なのだ。「オタク」が

  • 熱中

するコンテンツは結局は家族の「愛」を再生産するものでしかない。つまり、彼らはそういった「大人社会」が押しつけるコンテンツへの「抵抗」として自らのスタイルを確立する。ケンカはそういった大人社会が彼らに押しつけてくる勉強やスポーツとは

  • 違う

なにかとして解釈されているから、彼らはそれに「熱中」するわけである。
ある程度大人になってから、子ども時代を振り返ってみると、そもそも「暴力」というのが子ども社会において、どういった扱いがされているのか、というのが分かってくる。
例えば、柔道というスポーツがあるが、柔道には「歴史」的ないきさつがある。それは、戦中における「高専柔道」と呼ばれていたものが象徴していたわけで、つまりは

  • 戦争の道具

だったわけだ。戦中の高専柔道は普通に試合中に腕を折っていた。そう考えると、柔道はさまざまに「危険」な要素を含んでいる(むしろ、そういった「行為」は意図的に行われていたと考えることもできる。当時の大学とはエリート大学のことであって、ある意味で「捕虜」となったときに、「自白」を行わない「意志」が試される場とも解釈できるわけで)。
例えば普通の柔道でも、受け身を最初に習わされるが、たとえ受け身を自然にできるようになったからといって、投げられるわけだから、さまざまな「障害」が後から出てこないとも限らない。
しかし同じことは「勉強」にも言えるわけである。前回は漫画「天」におけるアカギがアルツハイマー病になるケースを考えたが、「思考」でさえ、そういった形で、「障害」という形になることがある。
私が言いたかったのは、勉強だろうがスポーツだろうがケンカだろうが、相手に「後戻りのできない障害」を与えることはありうるし、それは一緒に行動をする限り起きうると言うこともできる。しかし、逆に言えば、「後戻りのできない障害」が起きる前に相手を

  • 助ける

ことも起きうる。当たり前だが、そんなケンカばかりの毎日を過ごしていた連中も高校を卒業すれば普通に企業に就職して働き始める。それはカッコイイとかカッコワルイとかそういった問題ではなく、この世界で生きていく、ということなのだろう...。